第5話 アップルパイと『林檎売りのシナ』.1

「すまないね、フィオナちゃん。こんな時間にわざわざ配達頼んじまって」


「いえいえ、いつもご贔屓にしてもらってますから。おじさんも早く風邪を治して、仕事復帰出来るといいですね」


「おうよ、フィアナちゃん家の林檎食って大人しく寝てれば風邪だって吹き飛んじまうさ」


「もう、そんなお世辞はいいから病人は早く林檎食べて寝てて下さいね」


「はいはい、そうさせてもらいますよ。じゃあ、もう日も暮れてくるから気を付けて帰りなよ」


「は~い、お気遣いありがとうございます。では、またのご注文をお待ちしております」


 そう言って茶目っ気のあるウィンクをして、最後の配達先を後にしたフィオナは栗色の髪をそよがせ、すっかりと軽くなった木製の手曳きの荷車の重さに、商品を全て売り切ったという充足感を感じながら、我が家であり自分の職場であるアイルベン郊外の果樹園へと通じる通りを歩く。

 今日は早朝から収穫した林檎を飲食店や八百屋等に卸したり、個別注文のあった個人のお客へと配達したりと、都市中を重たい荷馬車を曳きながら歩き通したので、既に足は棒のようになっている。

 ヘトヘトになって疲れ切っているということは、それだけ商売が繁盛していることへの証左だけれども、自分の脚で稼ぐことの大変さにはどうしても疲れを隠すことは出来ない。


「……どこかでお茶でもしてこようかしら?」


 陽が昇る前に起床し、林檎の収穫作業から運搬等々、朝から働きづめで息が詰まる毎日の繰り返しばかりだ。

 林檎農家の娘として生を受けた以上、それ以外の生活等他所の家に嫁にでも行かなければ手に入らないだろう。

 そこまでして家業から逃げ出そうとまでは思っていないが、年頃の娘が色恋にもかまける暇もなく林檎を育てて売り続ける青春をこれからも送り続けるのは少々辟易する面があるのも事実だ。

 労働ばかりの日々の癒しとして、お洒落な喫茶店なりレストランなりで一時の休息を取るぐらいの我儘は許されると思う。


「どこかにお店でもないかな……」


 先程配達した家は都市の大通りからも外れた区画で、大通りまで戻るよりも裏通りを抜けていった方が近道だと思ったが、何か軽く食べていくのなら飲食店の多いあちらに向かっていた方が正解だったかもしれない。

 

「こんなうらぶれた通りにお店なんてあるわけ……うん?」


 来た道を引き返そうかと方向転換しようとした刹那、通りの奥から何やら綺麗なピンクの花びらが風に吹かれて流れてきた。

 地面に落ちたそれを拾い上げてしげしげと眺めてみるが、こんな桃のようなピンクの花を咲かせる植物がこのような場所にあるのだろうか。


「……ちょっと行ってみよっかな」


 こんなに綺麗な花なら一度どこに咲いているか知っておけば、日々の労働の癒しと目の保養にもなる。

 もし誰も知らない穴場だったら、誰にも言わずに自分だけの秘密の花園として、時々寄り道に来るのも悪くない。

 そんな風に考えながら荷車を曳いて足を進めてみると、美麗な花々が見事に咲き誇る樹が植えられた一軒の家の前に辿り着いた。


「凄い綺麗な花……」


 まさかこんな寂れた裏通りにこんなに美しい花が咲いた場所があるなんて思わなかった。

 

「見たことのない花ですけれど、なんて名前の花なんでしょう?」


「あのお花はサクラといいます」


「きゃっ!?」


 突然背後から投げかけられた言葉にギョッとして振り返ると、ピンクの花と似た色合いの髪をしたウェイトレスの格好をした少女がニコニコとした人懐っこい笑みを浮かべて立っていた。


「あのお花ってサクラっていうんですか?」


「はい! 私のご主人様の生まれ故郷に咲いているらしいとても珍しいお花です!」


「へえ~、珍しい樹なんですね」


「そうなんですよ。あっ、立ち話もなんですから、どうぞ中へ」


「いえいえ、人様のお家に初対面の私なんかがお邪魔してしまうのは悪いですし……」


「ご心配には及びません。当店は異世界レストラン『サクラ亭』です。きっと、貴女様の気に入るような素敵なお料理が待っておりますので、もし小腹が空いているようであれば、どうぞご利用くださいませ!」


 朗らかな笑みを浮かべつつも、意味することは客引き以外の何物でもない少女の商魂に苦笑を漏らしながら、フィオナは改めて家の外観と周囲を見直す。

 瀟洒な煉瓦造りの二階建ての家の軒下には折り畳み式のメニューボードが置かれていて、白のチョークで書かれた可愛らしい文字が躍っており、本日のオススメメニュー等を通行人に紹介していた。


「あっ、ここってレストランだったんですね。ここに書かれている『異世界』っていう単語の意味は何なんでしょうか?」


「ふふふっ、それは『この世の物とは思えない程のおいしい物がた~くさんある素敵な世界』のことなのです」


「へえ、そんな素敵な世界がこのお店の中に待っているという風に受け取ってもいいのでしょうか?」


「そう解釈して頂いて構いません。当店のマスターはお料理の腕なら王宮の総料理長にも負けないぐらい凄いんですから!」


 目をキラキラと輝かせて身を乗り出して力説するウェイトレスの少女の勢いに多少たじろぐフィオナだが、こんなにも純粋にこの店のマスターの料理の腕前を誉め立てている少女が噓八百を並べているようにはどうしても思えなかった。

 王宮の総料理長の料理とどちらが上かはともかく、それなり以上においしい食事が待っているのなら、是非ごちそうになりたい。

 フィオナはそう決心し、未知の料理が待つ料理店へと足を踏み入れることにした。






「メニューはこちらになります。ご注文が決まりましたら、お呼び下さい。こちらのお冷はサービスですので、ご自由にお飲みください」


「はい、分かりました」


 折り目正しくピシッとしたお辞儀をし、銀製の水差しとメニューを置いて去って行った可愛らしいウェイトレスさんにほっこりとした目を向けていたフィオナは、案内されたテーブル席に座りホッと一息をつく。

 店内は清掃が行き届いていてほこり一つもなく清潔に保たれており、厨房に立っていた気の良さそう黒髪の少年の柔和な微笑みと会釈にはとても好感が持てた。

 テーブルの上に置かれた花瓶には表の庭に咲いていたサクラの枝が生けられていて、可愛らしい小さな花弁を見ていると自然とそれだけで疲れが抜けていくような気持ちになる。


「ハッ!? いけない、いけない。早く注文を決めないと」


 落ち着いた店内の雰囲気についつい和やかな気持ちになってしまうけれど、ここには食事に来たのだから何を食べるのかを決めなくてはいけない。

 冷えたお水が無料というのも破格のサービスだし、都市を歩き回って喉もカラカラだ。

 しかし、その前に注文を決めてしまい、落ち着いてからじっくりと喉を潤すとしましょう。


「ええっと、何にしましょうか?」


 メニューには料理名と、どのような料理なのか説明した文章が綴られているが、どの料理も見聞きしたことのない料理ばかりでどれを頼めばいいのか迷ってしまう。


「他のお客さんは何を頼んでいるのでしょうか?」


 本来なら他人が食べている物を盗み見るような真似ははしたないかなと思うのだが、他者が美味しそうに食べている物なら「私もあの人が食べている物を」という風な注文の仕方も出来るかもしれない。


「私以外のお客さんはと……あっ、いらっしゃいました」


 自分から少し離れたテーブル席に茶色ががった赤髪の少女が熱心に読書を楽しんでいて、給仕の少女が何やらジュウジュウと脂の弾ける心地良い音を響かせた木製のプレートにはめ込まれた鉄板の上のお肉をそっとテーブルの前に置き、


「お待たせ致しました、デミグラスハンバーグでございます」


「わあぁ! やっぱり厳しい訓練の後には、ここのデミグラスハンバーグを食べないと元気が補充されないんだよね」

 

「ふっふっふっ、すっかりアンナさんもマスターのお料理の虜のようですね」


「そりゃ、こんなに美味しいお肉を食べたら常連になるっきゃないじゃない!」


「今回も力作ですので、どうぞご賞味くださいね」


「ありがとう。マスターにもよろしくね。出来れば、トトの続編も待ってるので是非続きを書いてくださいって、伝言頼めるかな?」


「かしこまりました。確約は出来ませんが、マスターにお願いしてみますね」


 随分と親しげに話していた二人だったが、給仕の少女が厨房の方へ下がっていくと赤髪の少女は食事を始め、とても大ぶりなお肉の塊に茶色のソースがかかった料理をナイフを入れ、うっとりとそれを眺めながら口一杯に頬張る。

 その瞬間少女は蕩けるような笑顔を浮かべ、


「美味しい! もう最高! 衛兵所では相変わらず女扱いされるけど、隊長のギルバートさんとは色々とお話出来るようになったし、女だって根性あるんだぞー! っていうところを見せてやるんだから! 


 と何やら事情は分からないが、やる気を注入するかのようにお肉や付け合わせの色鮮やかで香ばしくきつね色に焼けた野菜をそれはもう美味しそうに口に運ぶ姿にゴクリと思わず生唾を飲んでしまう。


「……美味しそう。私もあれにしましょうか」


 たしかあの料理は給仕の少女が言っていたデミグラスハンバーグという料理だろう。

 ドッシリとしたボリューム満点のお肉を大きめにカットして、あの少女のように大きな口を開けて頬張れば口の中はこんがりと焼けたお肉の濃厚な旨味とそれが溶けだした肉汁の海で一杯になり、至福の瞬間を迎えることが出来ることに違いない。

 思わず給仕の少女を呼ぼうと机上のベルに手を伸ばしかけるが、ハッと帰宅した後に食べる夕飯のことを思い出し、慌てて手を引っ込める。

 今日は一日中都市を歩き回っての配達だったので、母が奮発して豚の腸詰と馬鈴薯を煮込んだスープを作って家で待っていると言っていた。

 あのデミグラスハンバーグという料理はあの少女の食べっぷりと自然と零れ落ちている笑顔を見ているだけで美味だと確信出来る。

 しかしながら、あの成人男性の拳大もある大きなお肉を食べてしまえば、元々健啖家でもないフィオナのお腹では母の特製スープに舌鼓を打つだけの胃のスペースはなくなってしまう。

 ここは断腸の思いではあるが、軽く食べられるボリューム控えめなメニューを選択した方が賢明に違いない。

 だけど、そうすると何を注文するべきか……。

 逡巡していると、満面の笑みでデミグラスハンバーグを切り分けている少女の赤髪を何気なしに視界に入り、その色合いから自分が生まれた時からずっと一緒にいる果実のことが思い浮かぶ。


「……林檎を使った料理はないでしょうか?」


 家業なだけあって林檎は飽きる程口にしてきたけれど、あんなに美味しそうで見たこともない料理を出すお店ならば、まだ見ぬ未知の林檎料理があってもおかしくないのではないか。

 そう思い立つと、メニューをペラペラとめくりひたすら林檎という単語がないか目を皿のようにして文字を追いかける。

 そうしていると、とある料理の名を見つけ、料理の説明文に目を通すと満を持して給仕の少女を呼ぶべくベルを鳴らす。

 鈴の音を聞きつけた少女は颯爽と姿を現し、柔和な笑みを浮かべる。


「お待たせ致しました。ご注文はお決まりでしょうか?」


「アップルパイというお料理をお一つ頂けますか?」


「アップルパイでございますね。かしこまりました」


「お願いします」


「はい。お料理が出来上がる間、あちらの本棚にございます本をご自由にお楽しみ頂いて構いませんので、もしよろしければどうぞご利用ください」


「本? ……ああ、あの奥にある棚に収めてある本のことですか?」


 給仕の少女の視線を追うと、店の奥に多種多様な装幀やサイズの本が沢山並べられた本棚があった。

 そういえばデミグラスハンバーグを食べている少女も料理が運ばれてくる前まで何かの本を楽しんでいた。

 どうやらこのお店では客が自由に読書を楽しめる趣向を凝らしているらしい。


「あちらの本は全て当店のマスターが生み出した当店オリジナル、世界でたった一つの物語が詰まった、もう一つのオススメメニューでございます」


「全てあの黒髪の男の人が作られたんですか!?」


「はい、当店ではお客様が自由に物語を描き、それを魔法で本にしてあの本棚の仲間にさせて頂くサービスも行っておりますので、もしよろしければいつでもお待ちしています」


「……本当に凄いお店なんですね。魔法使いのいるお店なんて初めてです。生憎、私は物語を書いたことがないもので、読者だけしか務まりそうにありませんけれど」


 そう苦笑すると、給仕の少女は茶目っ気のある笑みを浮かべ、


「それでも構いませんので、ご自由にご利用下さい」


「ありがとうございます。それでは、早速見させて頂きますね」


 丁寧なお辞儀をして去って行った少女に軽く会釈をし、ゆっくりと立ち上がって本棚へと向かいながら、フィオナは絶対にこのお店のことは内緒にしようと誓う。

 だって、


「こんなに面白そうなお店なら独り占めしたくなっちゃいますから」


 そうひとりごち、フィオナはまだ見ぬもう一つのメニューを楽しむべく、弾んだ足取りで本棚に近づいていった。

 

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