第6話 アップルパイと『林檎売りのシナ』.2

「沢山ありすぎて、中々悩ましいですね」


 本棚の前に立ったフィオナだが、予想以上にも本のラインナップが豊富な為、どの本を読もうか迷いに迷ってしまう。

 普段から家にある手垢の付いた数少ない本を何度も読み込んでいた時期もあったけれど、家の仕事を本格的に任されるようになったここ数年は仕事の後は家事や翌日の仕事の準備を終えたら泥のようにベットで眠る日々の繰り返しで、まともに読書をするのは随分とご無沙汰になってしまっている。


「何か面白そうな本は……あら、これは」


 本の背表紙に指を這わせながら、何か琴線に触れるような本はないかと物色していると、色鮮やかな濃い赤色の装幀の本がふと目に入る。

 『林檎売りのシナ』

 そんな題名が書かれた本に、自然と視線が吸い寄せられる。

 

「……これはまさに、自分にぴったりな本ではないでしょうか」


 林檎農家に生まれた者としては、とても心惹かれてしまうタイトルの物語だ。

 本を手に取り、表紙はどうなっているのだろうかと確認してみると、自分の体よりも大きな林檎を荷車に乗せてせっせっと運ぶ小人達の姿が優しいタッチで描かれていて、自分の年頃の人間が読むような小説よりもどちらかというと絵本のような印象を受ける。


「決めました。これにしましょう」


 見た感じは絵本のようだが、子供やお母さんお父さん、お爺さんお婆さん等、小さな体ながらも懸命に働く小人の家族達が描かれた表紙を眺めていると、果樹園で家族総出で農作業に勤しんでいる日々が自然と頭の中に思い出されてきて、どことなく親近感のようなものを感じてしまう。

 それに最近は読書から遠ざかっていたので、絵本のように簡単に読めそうな本から読み始めてみるのも良いかもしれないと思ったのだ。

 早速手にした本を持って席に戻る。

 軽く喉を潤そうと、無料で水が飲めるという信じられない程良心的なサービスで出してもらったお水のさっぱりとした酸味に驚愕させられる事件がありながらも、フィオナは本を開いた。




 


 小人の少女シナは、森の片隅でひっそりと林檎畑を営んでいる家族の長女だ。

 林檎を作ることに人生のほとんどを注ぎ込んできた祖父母、それに倣うように毎日毎日おいしい林檎を作る為に朝早くから夜遅くまで汗水を流して働き続ける両親。

 そんな家庭に生まれれば、否が応でも林檎農家として生きる道しか残されていなかった。

 グロテスクな見た目で自分達よりも巨大な芋虫を松明の煙で追い払ったり、肥料袋を荷車に積んで林檎の樹一本一本に丁寧に撒いたり、地味な作業だがそれをしなければ森で暮らす小人達に満足してもらえるような林檎は作れない。

 自分の体よりも大きな真っ赤な果実を家族と一緒に運び、村に売りに荷馬車を曳いて売りに歩く両親を見送った後に、畑の草むしりに戻る毎日。

 そんな日々に年頃の少女であるシナは嫌気が差して家を跳び出そうとか半ば本気に考え始めていたが、ある日両親に配達に行ってくるように命じられる。

 林檎畑の手入れ作業は毎日欠かさず手伝っていたが、配達に出たことのなかったシナはドキドキしながら村に重い荷馬車を曳いて林檎を売りに行く。

 林檎を売るのは初めてだったが、行商にやって来る両親から事前に今度は娘が売りに来るという話をされていたらしい常連客達は笑顔で林檎を買ってくれた。

 シナの力では林檎を1個運ぶがやっとで、両親から預かっていた森の奥にそびえている火を吹く山で採れたという真っ黒な石のナイフを使って林檎を食べやすい大きさにカットして売る形式に最初は不慣れだったけれど、勝手知ったる常連客が手伝ってくれて事なきを得る。

 そして、彼らは口を揃えてこう言うのだ。


「美味しい!」

「貴女のところの林檎を食べると幸せになれる」

「ありがとう」

「また来てね」


 一つ一つの言葉がどうしようもなく温かったのだ。

 毎日毎日、ただの作業として林檎を作り続けていた。

 やらないといけないことだからやっていた。

 ただそれだけ。

 だけど、ただそれだけのことと思ってやっていたことは誰かの幸せに繋がっていた。

 今更ながら両親が、日がな一日林檎を育て続ける日々に鬱屈とした表情を浮かべていた自分を配達に出したことの意味に何となく察しがつきながら、林檎を売り切り沢山の幸せを運んだ荷馬車と、他者にありがとうと言われた自分に誇らしさを感じながらシナは家路に着いた。

 その後シナは、家出をすることなく人一倍働くようになり、どんなにヘトヘトになったとしても配達の仕事だけは家族の誰にも譲ることなく、重い林檎を運んでいるのにどこか生き生きとした微笑みを浮かべて出発し、沢山のありがとうを貰って笑顔で家に帰る日々を送り続けたのでした。






「……ありがとうですか」


 フィオナは柔らかな色合いで描かれた絵本を読み終わると、空になった荷馬車に沢山の感謝の気持ちを載せて温かな明かりが灯る家に帰っていくシナの背中をそっと撫でる。

 ありがとう。

 おいしかった。

 それは受け取る側にとって、それまでの苦労が泡のように消えてしまう魔法の言葉だ。

 フィオナも配達の仕事を始めるまでは、自分達が育てた林檎が配達に行ってきた両親の硬貨袋が膨らんでいるのを見て、『ああ、こうして私達は生きているんだな』と、日々の糧を得る為の手段として、この家に生まれた以上はやらなければならないことなんだと、どこか漠然とした気持ちだった。

 だけど、配達の仕事を任されることになり、自分達の育てた林檎を直接売りに行くようになって、直接そんな言葉を受け取る経験をするようになった。

 自分の仕事は衛兵のように町の治安を守ったり、魔物の討伐を行うような人々の命と安全を守るような立派なものではないかもしれない。

 物書きのように人々の心を打ち、何年も読み続けられるよう物語を紡ぐような意義のあるようなものではないかもしれない。

 だけど、誰かの「美味しかった」という言葉の為に。

 美味しい物を食べて笑ってくれる誰かの為に。

 沢山の幸せの元を自分の足と腰で運び、沢山のありがとうと笑顔を空になった荷馬車に乗せて暮れていく夕陽を眺めながら家に向かって歩くこの仕事が大好きなだと私は胸を張って言える。

 仕事は楽じゃないけれど、誰かの為に頑張るという点ではどんな仕事でも共通している。

 大好きな家族と一緒においしい林檎を育て、それを沢山の人達にしっかりと送り届ける。

 それが私とシナの愛する林檎農家の娘としての大切な、誰にも譲りたくないぐらい大切な幸せの配達人としての仕事なんです。

 この本と出会えて良かった。

 久しぶりに自分が仕事を頑張り続ける意味を再確認することが出来ました。

 優しい絵柄で描かれたシナの横顔を撫でる。


「ありがとう、シナ。貴女は私にも幸せを届けてくれましたよ。お互い、お仕事頑張りましょうね」


 クスリと、本の中にいるもう一人の自分にそんな風に冗談めいた言葉を送っていると、ゆったりとした足取りでこちらの席に近づいて来た少女がそっと私の前に、


「お待たせ致しました。アップルパイでございます」


 幸せを届けてくれた。

 

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