第2話 デミグラスハンバーグと『黒猫トトの大冒険』.2
「ご自由な席にお座りください」
「は、はい」
ペコリと折り目正しく一礼して店の奥へと踵を返した少女を見送りながら、改めて店内に目を向ける。
店の左側にはテーブル席が8つ、右側にはL字のカウンター席があり、縦に6席、横に3席が用意されており、カウンター席からは厨房の中が覗けるようになっていて黒髪の少年が食材の仕込みをしている様子が見て取れる。
少年は所在無さげに立ち尽くすこちらに気が付くと、仕事の手を休めて会釈をしてくれた。
「いらっしゃいませ。どうぞお好きな席に」
「あ、ありがとうございます」
慌ててこちらも頭を下げ、促されたのもあって奥のテーブル席へと足を進め、窓際の席にゆっくりと腰を下ろした。
すると、丁寧に拭かれてこちらの顔が映り込みそうなテーブルの上に置かれた花瓶が目に入る。
白磁のそれに生けられているのは庭に咲いていたあの綺麗なピンクの花で、枝ごと切り取られて花瓶に挿さるその花弁の美しさに自然と口元が綻んでしまう。
よく店内を見渡してみると、各テーブルやカウンターにも同じように花瓶が置かれていて、掃除の行き届いた清潔感のある店内に彩りと華やかさを与えていた。
「さっきの女の子がお世話してるのかな?」
この花と同じような色合いを髪をした少女のことを思いながら、机の上にハラリと落ちた花弁を摘まんで掌に置き、しげしげとそれを眺めていると件の少女がお盆に銀製の水差しとガラスのグラスを載せてこちらにやって来た。
「こちら、お冷となります。ご自由にお飲みください」
「えっ、私お水なんて頼んでないんだけれど……」
「ご安心ください。こちらは無料となっておりますので、お代は結構でございます。もし水差しが空になりましたら、新しい物をご用意いたしますので、お気軽にお声がけ下さい。
こちらがメニューとなります。ご注文がお決まりになりましたらこちらのベルを鳴らして頂ければお伺い致しますので」
机の隅に置かれた革張りのメニュー表とハンドベルをそっと指差し、ペコリと会釈して離れて行った少女を見遣りながら、アンナは水差しに手を伸ばした。
「お水がタダって信じられない……。でもまあ、せっかくの厚意なんだし、飲まなきゃ損だよね」
飲料水は大抵の飲食店で提供されているが、どこでも有料なのが常識だ。
野山から湧き出る湧き水を煮沸せずにそのまま飲むと腹を下す場合も多く、水脈を掘り当てても生活用水や農業用水には使えても、飲用には適さない物も多い為、飲んでも問題ない水というのは価値があり、金を払って買い求めるものだ。
それがこの店ではタダで提供されている。
「よっぽど儲かってるのかな? こんな場所でレストランなんて流行らないと思うんだけどなあ」
厨房の少年や給仕の少女に聞こえないようボリュームを絞った声でそう呟いたアンナは、程よく冷えた水をグラスに注ぎ、いざと口を付ける。
グラスを傾けると口内が清涼感のある爽やかな酸味のような味わいで満たされ、ただの水だろうと侮っていたこちらの期待を良い意味で裏切られる。
驚きに目を見開いて、あまりのおいしさで思わず全て飲み干してしまった空のグラスを見詰める。
なんだったんだろう、あの爽やかな喉ごしは……。
ただの冷えた水では、あんなスッキリとした飲み心地を感じる筈なんてないのだけど……。
「……もう一度飲んでみよう」
水差しから再度水を注ぎ、二杯目に口を付ける。
ヒヤッとした水のサッパリ感の中に、やはり酸味を感じる。
これは……。
「……レモン?」
口の中で広がる柑橘類特有の酸味。
酸っぱさを感じつつも、酸っぱすぎず、どこかリラックスさせてくれるような清涼感を感じる爽やかな後味。
そっと水差しの上の蓋を外し、上から覗き込んでみると、輪切りにスライスされたレモンがプカプカと泳いでおり、自分の推理が的中したことを確信する。
「へえ、レモンを入れるだけでこんなにも水の味わいが変わるんだ」
今まで訪れた飲食店でこんな工夫を凝らしている所はなかった。
思った以上にこのお店の料理には期待できるのかもしれない。
しっかりとした手触りのメニュー表にゴクリと喉を鳴らしながら手を伸ばし、おずおずページをめくる。
そこには見たことも聞いたこともないような料理の名前がズラリと並び、それがどのような料理なのかという説明書きが添えられていて、多種多様なまだ見ぬ料理の数々に目移りが止まらない。
そしてアンナをより悩ませたのは料理の値段だ。
べらぼうに高い値段だったらどうしようかと身構えていた分、600~1000ユリス程度の価格の料理が半分以上を占めていた為、身軽な財布の中身でも十分手が届くと分かって不安が払拭されたおかげで、俄然この店で食事をしたい気持ちで一杯になってきた。
「お魚や野菜の料理もおいしそうで食べてみたいけれど、今日の私のお目当てはお肉。お肉料理……お肉料理……」
メニューの説明書きに目を通し散々悩んだが、注文を決めベルを鳴らす。
すると、厨房の奥から給仕の少女がメモ帳を携えて現れる。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
「はい。このデミグラスハンバーグという料理を貰えますか?」
「デミグラスハンバーグがお一つですね。パンとライスのどちらが選べますが、どちらに致しましょう」
「パンでお願いします」
「かしこまりました」
たしかライスというのは東大陸で主食として広く食べられている穀物だった気がするが、西大陸ではほとんど栽培されておらず馴染みがない為、パンを選択した。
家にいた頃に食べていたのは固くてボソボソとした黒パンだったが、このお店のパンならさぞやおいしいに違いないと思ったのだ。
給仕の少女は注文をメモすると会釈して厨房に戻ろうとしたが、何かに気付いたように慌てて戻ってくると、
「お料理が出来上がる間、あちらの本棚にございます本をご自由にお読み頂いて結構ですので、もしよろしければどうぞ」
彼女が私の座っている席の真後ろ、つまり店の奥の壁側を掌で示し、アンナはそちらに視線を向ける。
そこには様々な装幀を施された様々な本が収められた本棚が鎮座しており、その冊数の多さに目を剥く。
「うわ、凄い数の本!」
「はい、あちらは当店のマスターが書き綴られた当店オリジナル、ここでしか読むことの出来ないもう一つの当店自慢のメニューです」
「読書も楽しめるレストランで、しかも普通の書店には置いてないここだけの物語か……。面白い店だね、ここ」
「ふふふっ、ありがとうございます。マスターはお料理と物語作りに目がない方でして、自分の書かれた物語をあのように本にされてお客様が読めるようにされているのです」
「へえ、どれでも読んで大丈夫?」
「はい、端から端まで読んで頂いても無料です。ちなみになのですが……」
少女は茶目っ気のある笑みを浮かべてこちらの耳元に唇を寄せ、
「当店はお客様が書かれた物語も受け付けております。紙とペンは無料で貸し出しておりますので、お食事の前後に書かれても構いませんし、ご自宅に持ち帰って後日原稿をお持ち頂ければマスターがそれを『魔法』で本に製本して、あの本棚の仲間として収めることが出来ますので、もしよろしければそちらのサービスも是非是非宜しくお願い致します」
「えっ、何それ凄いじゃない! ここのマスターそんな魔法が使えるんだ!」
この世界には魔法を操る魔法使いが存在するが、魔力と才能を兼ね備えた者にしか習得することの出来ない技術の為、魔法使いは重宝され尊敬される存在だ。
そんな魔法使いが、しかもそんな素敵な魔法の使い手がこんな所にいるなんて驚きの連続で目が回りそうだ。
給仕の少女が口元を綻ばせて軽くウインクをして今度こそ立ち去ると、アンナは席から立ち上がり、早速本棚を物色しに向かう。
本棚に収められた本は文庫本サイズから大判の大きな物まで多様な種類があり、ジャンルも豊富で目移りしてしまう。
本棚の隣には小さな丸テーブルが置かれており、その上に紙の束と羽ペンと黒いインクで満たされた小瓶が置かれている。
どうやら物語を書きたいという客はあれらの道具を使って執筆をしても良いらしい。
出来上がった原稿をマスター(見たところこの店には二人しか働き手が見当たらない為、恐らくあの黒髪の少年がマスターなのだろう)に手渡せば、こうして一冊の本として置いてもらえるらしい。
文才のない自分には縁のない話だが、自分の思い描いた物語が形となって様々な人の目に触れてもらえるようになるというのはとても心躍るものだろうと思う。
そんなことを思いながら本を端から順に順繰りに物色し、気になった本を抜き取りそれを持って席に戻る。
『黒猫トトの大冒険』
田舎にいた頃に一時期親に内緒で捨て猫に餌をやって育てていた幼少時を思い出し、自然と手が伸びていた。
いつの間にかどこかにふらりと姿を消してしまったあの仔のことを思い浮かべながら、表紙をそっと撫でる。
赤帽子を被った黒猫が表紙に描かれたその本をそっとめくってみる。
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