異世界読書レストラン「サクラ亭」へようこそ~サクラ舞い散る秘密のお店~
九条 結弦
第1話 デミグラスハンバーグと『黒猫トトの大冒険』.1
ラクーシャ王国。
西大陸全土を統治する世界最大の国家。
先代国王が大陸全土を統一し、他国との戦争でも大敗を喫する事もなく領土を維持し続けてきた世界有数の大国だ。
そして、その王国の東部に位置する地方都市アイルベン。
農業と漁業が盛んな港町で、整備された港湾と王都へと続く街道が側を通っている事もあり、王国内でも交通の要衝として重宝されている。
しかしながら、王都のような華美で豪華絢爛な町並みや身も心も蕩かせるような娯楽もなく、これといった名産品や観光地や祭りがある訳でもない、特に見所のないようなパッとしない町。
そんな町の片隅に、私と旦那様のお店はひっそりとございます。
「はぁああああ~、やっと帰れるよ」
衛兵所での訓練を終えて帰路に着く途中、足腰を酷使してヘトヘトな体を襲う疲労感に負けそうになりながら、アンナは通りを歩き続けていた。
既に煉瓦敷きの通りは夕暮れのオレンジ色の光に照らされ、家々の窓からは今日の夕食の支度に大急ぎな主婦が作っているのだろう魚の焼ける香ばしい匂いや、野菜を煮込んだスープの美味しそうな匂いが漏れてきて、空きっ腹に堪える。
「うううっ、家に帰っても馬鈴薯や市場で売れ残ってた魚の干物しかないしなあ……」
衛兵所に通い始めて半月が経ったが、衛兵所の運動場での鍛錬と、学舎の教員を定年退職して老後の生活費を稼ぐ為に働いている腰の曲がったヨボヨボのおじいちゃんの座学ばかりで、まだまだ衛兵としては使い道のない新米のアンナでは雀の涙程の給料しかない。
時折、都市郊外の農家から畑仕事や収穫物の運搬等の仕事を貰って小遣い稼ぎをしているが、日々の食事も質素なままで、これでは身も心もヘトヘトのままだ。
寒々しい中身の財布の感触を懐に感じながら、通りに面した雑貨屋が売れ筋の商品を通行人にアピールする為に嵌めているガラス窓の前で立ち止まると、アンナはそこに映った己の姿を情けない気持ちで見詰める。
茶色がかった赤髪、起伏に乏しい胸元、訓練中の素振りや畑仕事で血豆の目立つ硬い皮膚の手、所々に解れが目立つ布の服とズボン。
田舎から出てきたのが丸わかりなパッとしない見慣れた田舎臭い小娘が自分だ。
「我ながら、みすぼらしいったらありゃしない」
自嘲じみた笑みを浮かべ、野暮ったい自分の見た目に辟易する。
だが、ガラスに映っている自分を眺めていたところで当然お腹は膨れない。
ぐううぅぅうううう~。
腹の虫が大きく鳴り、若干紅潮した頬に熱を感じながら、お腹の音を通行人に聞かれていなかと羞恥心が湧いてきて足早に店の前を後にする。
通行人は別段こちらに視線を向けて来た訳でもなかったが、往来で腹の音を垂れ流しながら突っ立ていられる程、図太い神経は持ち合わせていない。
グウグウと催促を続ける自分の腹にイラっとするが、こればっかりは誰にも当たる訳にはいかないので嘆息して歩みを続ける。
「家を飛び出してはや一ヶ月……。裁縫や料理も得意じゃない私には腕っぷししかないから、衛兵所に就職してみたけど、やっぱり上手くいかないなあ」
田舎の馬鈴薯農家の三女として生まれ、毎日毎日畑で重たい農具を持って働き続け、ボソボソとして口の中が渇いてくる小さな芋を齧る毎日。
そんな中、両親がお前もそろそろ嫁に行けと命じてきたのは田舎町でもそこそこの農場を経営しているが、底意地が悪く小作人をいびり倒して僅かな給料で使い倒すことで悪名高い農家の三男坊のところだった。
あっ、もう無理だわ。
両親としては、家事能力も教養もなく癖に村の男衆と腕相撲や喧嘩をしている時の方が生き生きとしている駄目娘を家から出せる上に、土地の有力者とのパイプも出来上がるのだからまさに一石二鳥の算段だったのだろう。
だけどアンナは、いじわる一家に嫁入りして嫁いびりで誉めれ高くて有名な姑にいじめられる未来なんてまっぴらごめんと、その日の晩に『家出します。今まで育てくれてありがとうございました。アンナは遠くの町で自分の人生を見つけたいと思います。お元気で』と書き置きを残して家を弾丸のように跳び出した。
それから十数日少ない路銀を切り詰めながら街道を進んで辿り着いたのが、このアイルベンだ。
日々嫌々ながらこなしてきた畑仕事や幼い頃から男勝りな性格で野山を男子達を駆け回って来たおかげで腕っぷしや足腰には自信があった。
都市でも一番安い安宿の物置小屋にタダ同然の宿賃で下宿させてもらう幸運に恵まれ、都市の治安維持を担う衛兵募集の貼紙を見つけるとその日の内に応募して、衛兵所勤めが始まったまでは良かった。
だが、都市内の巡回だけでなく荒事や魔物の襲撃にも対応しなくてはならない衛兵所はただでさえ男所帯だ。
女の自分は蔑視の対象として見られていて、あからさまにアンナを小馬鹿にするような言葉をぶつけられたこともある。
自分の居場所もない職場での時間はまるで鉛の塊を背負っているかのような重圧に押し潰されそうな苦痛が伴っていた。
「やめちゃおっかな……」
自然とそんな言葉が漏れた。
ハッ、とするがどうしてもその言葉を否定するような言葉も出ず、悄然と肩を起こす。
「ああもう、こんなに後ろ向きな気持ちになってたら、折角田舎を捨てて自分の人生を仕切り直すことにした意味がないじゃない!」
こんな時にはおいしいご飯をお腹一杯食べて、嫌な気持ちごとお腹の奥へと押し込んでしまうに限る。
いつも口にしているような痩せっぽちの馬鈴薯では駄目だ。
磯臭い匂いが染みついた細身の魚の干物でも駄目だ。
肉だ。
お肉だ。
こんなジメジメと鬱屈とした気分を吹き飛ばすには肉しかない。
だけど、お肉はお高い。
そう、お高いのだ。
アンナの寒風吹きすさぶ薄っぺらい財布では到底太刀打ち出来ない強敵なのだ。
「お肉食べたいけど、やっぱり諦めるしかないのかな……あれ? いつの間にか、知らない路地に入り込んじゃった?」
お肉、お肉と怨嗟じみた独り言を道端に落っことしながら歩き続けていたら、今まで足を踏み入れたことのない区画に迷い込んでしまったらしい。
キョロキョロと辺りを見渡すと、随分昔に商売を畳んでしまったらしい空き家となった商店が軒を連ねており、人通りもほとんどない。
アイルベンに来てからは大通りや日用品を買い足しに行く店へと通じる道を利用してばかりで、細々とした路地裏や人通りがほとんどない道は通ったことがなかったので、自分が今どこにいるのかも皆目見当が付かない。
赤貧と空腹に悩まされている上、道にまで迷うとは、今日は完全に厄日だ。
「帰るにも、どうやって帰れば……。うん? 何だろう、あれ?」
途方に暮れながらも朧げな道筋を思い出そうと首を捻っていると、視界の端にこの辺りには場違いな色鮮やかな色彩が飛び込んできた気がした。
トボトボとした足取りでそちらの方に足を向けてみると、
「うわぁ~、綺麗!」
満開のピンクの花々。
天高くまで枝葉を伸ばした活力を感じる樹木に咲き誇る美しい花。
今まで生きて来た中で、絶対に一番美しいと断言できる花が咲いていた。
名も知らぬその樹木が生えているのは、赤煉瓦とオレンジ色の屋根が印象的な二階建ての建物が人目を引く家の庭だった。
庭先はこの家の主人か女中が丁寧に掃き掃除をしているようで、落ち葉が庭の片隅に掃き集められて小山を築いており、ハーブらしき植物を栽培しているらしい花壇も目に取れた。
寂寥感に支配されたこんな路地にこんなお人形のお家のような可愛らしい家と、素晴らしく秀麗な花弁を開かせた樹木があるなんて、まるで夢の世界に紛れ込んだみたいだ。
アンナはそんなことを考えながら何気なしに建物の入口に歩み寄ると、コツンとブーツの足先が何かを捉えた。
「? 何だろう、これ? なになに、『ようこそ異世界レストラン「サクラ亭」へ』……異世界レストラン?」
ブーツが蹴ってしまったのはどうやら店先に客寄せの為に置かれていた折り畳み式の黒板のようで、そこに書かれた丸っこい女の子っぽい文字にはそう書かれていた。
「こんなお客さんも来ないような寂れた場所にレストラン? それに頭に付いてる異世界って何?」
頭の中が疑問符だらけだ。
明らかに店を営むには不向きな立地条件のこんな場所で営業している飲食店があることもだが、聞き慣れない異世界という言葉も気にかかる。
どうやらここは、都市の表通りで営業している花形のようなお高いレストランとは違い、随分と風変わりなレストランのようだ。
「お腹も空いてるし、入ってみようかな」
だが、入店するには勇気もお金も足りない。
勇み足で足を踏み入れたがいいものの、支払いができない程の高値のメニューしかないような貴族や大商人の隠れ家的な飲食店だった場合は目も当てられない。
空腹のまま店を後にするのは多少忍びない思いだが、世の中ものをいうのはいつだってお金なのだ。
貧乏人は貧乏人らしく、馬鈴薯でも齧りながらひもじい日々を送るのがお似合いなのかもしれない。
再度鎌首を上げて来たマイナス思考に溜め息を漏らすと、店に背を向けて歩き出す。
だが、その刹那にカランッとドアベルが鳴る音が響いて、玄関の扉から誰かが出てきた。
「旦那様、少し店先の掃き掃除に行ってまいり……あっ!」
綺麗な女の子だった。
庭に咲いている不思議な花と似たピンク色の髪を肩口まで伸ばし、貴族の邸宅で勤めるメイドさんが着ているようなロング丈のスカートを風にそよがせたエプロンドレスを身に纏った十代後半とおぼしき目鼻立ちの整った少女が、箒とちりとりを持ってビックリとした表情を浮かべている。
女の子と目が合う。
すると、パアァァァァアアアアアと輝くような笑顔を浮かべた彼女は、両手に握っていた掃除道具を慌てて足元に置き、感動したように両手を胸の前で合わせると、
「いらっしゃいませ! ようこそサクラ亭へ! お客様は一名様でしょうか?」
「ええっと、はい、一名です……はっ!」
ヤバい、客でもないのについ答えてしまった。
慌てて訂正としようとするが、
「一名様ですね! お客様は当店初めてのお客様です! 不束者ですが、精一杯のおもてなしをさせて頂きます! どうぞ、こちらへ!」
オープンして初めてのお客を迎えられることにとっても喜びを感じている様子の少女の笑顔を前に、
「お、お邪魔します」
アンナには店に足を踏み入れるしか選択肢はなかった。
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