#幕間:ある妖精の記憶

僕は、夜空を一人寂しく見上げていた。あまりに魔術が下手な僕は、妖精界から追放され、人間界——僕らが住む世界とは、別次元の世界——に取り残されてしまった。帰り方がわからないので、横たわった木に座り、夜空を見上げる事しか出来なかった。


「貴方も迷子?」


小藪から現れたのは、僕と同じくらいの背丈の女の子。


「……うん。」


僕の横に座ってきた女の子。


「……お母さんが魔術の勉強を教えてくれるんだけど、上手く出来ないから。逃げ出しちゃったの。」


「僕と一緒だね。僕も魔術が出来ないから、ここにいるんだ。僕は無理やり追い出されたんだけどね。お母さんに。」


「そうなんだ。」


「……寂しい。」


「そう?」


「え?なんで?」


「……空を見て。」


♪キラキラ光る お空の星よ


女の子の声が、夜空に響き渡る。


♪瞬きしては 皆んなを見てる


確かに皆んな、僕を見守ってくれている。


♪キラキラ光る お空の星よ


しかし、それよりも。


「ね、お星様が見守ってくれてるでしょ?」


「何その声?歌?」


「そうよ?」


歌。それは妖精界では偉い人しか出来ない、高等な魔術。だから。


「突然でビックリした。僕の国だと珍しいから……。」


「じゃあ、教えてあげる。歌の作り方。」


また、女の子が歌い出す。


♪ドはドーナツのド


どーなつ?何それ?


♪レはレモンのレ


それはわかる。酸っぱくて黄色い果物。


♪ミは皆んなのミ


妖精の皆んなと離れ離れになった僕。


♪ファはファイトのファ


ふぁいと?どういう意味だろう。


♪ソは青い空


見上げると暗い夜空。


♪ラはラッパのラ


僕たちの長が吹く、魔術の道具。


♪シは幸せよ さあ歌いましょ!


促されるまま、真似してみる。


♪ドはドーナツのド


すると。輪っか状のお菓子が、僕の手のひらの上にポンッと出てきた。


♪レはレモンのレ


今度はレモンが、木から落ちてくる。


♪ミは皆んなのミ


空に広がる星々が皆んな、さっきよりもキラキラと瞬く。


♪ファはファイトのファ


何か、力がみなぎってきた感じがする。これが、ファイト?


♪ソは青い空


空は暗いままだ。けれど、心は青空のように晴れ渡っている。


♪ラはラッパのラ


土から生えてきた、鳳仙花ホウセンカ。そこからラッパの音が鳴る。


♪シは幸せよ さあ歌いましょ!


歌いきった時。


「わあ、素敵!」


拍手をする女の子。嬉しい。今までの一生の中で、一番。


「じゃあ次ね。今の7つの音を組み合わせると、どんな音楽でも作れちゃうの。こんな風に。」


♪ソドラファミドレ


女の子の綺麗な声。


その音に、詩を合わせて。


♪Elen síla lúmenn' omentielvo


「それ、どういう意味?」


「『我らの逢い出会う時、一つ星が輝く』という意味。僕の国の詩さ。」


「……素敵ね。もう一回歌って。」


♪Elen síla lúmenn' omentielvo


すると。


♪さあ歌おうよ!


続けて、女の子が歌う。


♪どんな時でも


女の子が歌っているのは、さっきの「どーなつ」の音。でも言葉が違う。


♪レモンを食べて


僕も歌ってみた。すると、女の子がふふふって微笑んでくれる。


♪皆で歌えば


女の子の、弾むような声。


♪ファイトを持てる


僕が歌う。


♪空を仰いで


女の子の、空高く響く声。


♪ラララララララ


詩が浮かばないので、適当に。


♪幸せの歌


女の子の、聞いていて気持ちがいい声。


♪さあ歌いましょう!


僕と女の子の声が絡み合う。


——そうやって、夜通し歌い続けていた。やがて夜が明け、朝焼けに。


「私、そろそろ帰らなきゃ。お母さんに謝らないと。」


「僕に任せて。今なら出来る気がする。」


この胸に宿る、キラキラとした気持ち。それを解放するような感じで。


♪Elen síla lúmenn' omentielvo


すると、森が動いた。木々の根元に足が生え、動き、一筋の道が生まれる。道の先に見えるのは、石で出来た建物が林立している光景。


「わあ。すごい!」


僕に足りなかったもの。それはきっと、この気持ちだったんだ。


「ありがとう!また会おうね!約束だよ!」


「えっ?約束?」


それは出来ない。だって。


「うん。また夜の下で会いましょう!」


妖精と人間が約束を交わすのは、いけない事だから。


「わかった。」


でも、心から願ってしまった。また一緒に歌いたいと。


「あっ。僕も約束、したい、事が……。」


強欲な僕は、もう一つ約束を交わした。


「いいよ。なあに?」


「もし。もし君が辛い時。今日の事を思い出して欲しいんだ。」


僕を忘れて欲しくない、そんな思いで持ちかけた。その思いを直接言う度胸はなかったから。


「辛い時?」


「例えば、ゲロをおえってしたくなる時。」


「何それ?ふふっ」


「ええ?僕はそうなっちゃうんだけど。」


「ふふっ。」


「笑わないでよ!」


「わかったわ。辛い時、この夜を思い出せばいいのね。」


そう言った後、女の子が小指を差し出してきた。


「指切りげんまん。わかる?」


知っている。だからこそダメなのに。


「……うん。」


小指と小指を結んでしまった。


「指切りげんまん!」


人間と妖精の間に交わした約束。


「嘘ついたら針千本飲ます!」


それは必ず歪んだ形で叶えられる。どちらかが死ぬまで続く呪いとして。そんな事、知っていたのに。


「そう言えば、名前は?私は小森小夜こもりさよ!」


「……イリシオン。君みたいに苗字はないんだ。イリシオン、これが僕の名前。」


「また会おうね、イリシオン。約束だよ!」

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