第6話 誘われるその日まで

「今ちょっといいかな」

 パーテーションの上から貴一が顔を覗かせていた。桃子は慌ててノートパソコンを閉じた。昼時とあってオフィスには貴一と桃子しか残っていなかった。 

「立木って、デザイナーの長谷川さんと仲いいよな」

 聞き飽きたセリフ、彩花とあまり関わりのない部署の男性社員が言うセリフだ。その後には決まって、彩花を紹介してくれないかと続く。嫌な予感がする。

「仲、いいですけど……」

 貴一の目をみて答えられなかった。

「今週末、空いているか、聞いてもらえないかな?」

「今週末って、今日は木曜日ですよ。週末の予定ならもう埋まっているんじゃないですか」

 彩花をデートに誘うつもりなんだろうか。口の中がカラカラに乾いた。唾とともにどろりとした感情をも飲み込んだ。

「そうだよな。ちょっと急だとは思うけど、一応、聞いてもらえる? 今週末がダメなら来週でもいいから」

「空いてるかどうかぐらいなら聞きますけど、何で知りたいんですか」

 心臓に穴でも開いて血が漏れ出しているのじゃないかというくらいに、手足の先が冷たくなっていく。

 つっけんどんな言い方をしたのに貴一は気づかず、頭をかいて照れ笑いを浮かべた。

「実はさ、大学の後輩がデザイン学校の講師をしているんだけど、そいつが、うちのランチバッグをデザインしたデザイナーと話がしたいって言うんだ。授業の参考にしたいんだと。ランチバッグのデザイナーって確か、長谷川さんだったよな。俺、仕事の付き合いはあるけど、何ていうか、誘いにくくてさ。立木なら仲がいいし、立木から声かけてもらって誘ってもらえないかなあ」

「なぁんだ、そういうことだったんですか!」

 一オクターブ高い声が出て、出した本人の桃子も驚いて口を塞いだ。

「何だと思ったんだ」

「別に何でもないです。今週末だったら、何の予定もないはずですけど」

「本人に聞かないで断定していいのか?」

「多分、大丈夫だと思いますけど、一応確認しておきますね」

 男関係に関しては桃子の指示をあおぐことになっている彩花の予定ならすべて把握してある。それまで彩花が彼氏候補としてあげた男たちには全員失格と言ってあるので、デートの予定は入っていない。だが、貴一の手前、桃子は彩花にメールを送った。

「それで、立木の予定は?」

「私ですか?」

「何驚いているんだ。立木が長谷川さんを連れて来てくれないと」

「え? あっ、週末は特にこれといった予定は――」

 貴一に誘われたのだと理解できるまで五秒かかった。驚きの嬉しさとで脳の処理速度が遅くなっている。アドレナリンって脳を活性化させるんじゃなかったのか。

 メールの着信音が鳴った。彩花からだ。ヘアサロンを予約しているとあった。すぐさま、キャンセルして私に付き合えというメールを送る。

 仕事が忙しくてずっと行けなかったから行きたいというメールが返ってきた。

 桃子は早打ちで、彩花に会わせたい男性がいるとメールを送った。

「大丈夫か? ひょっとしてデートの予定でもあったんじゃないのか」

 彩花とのメールのやりとりをそばでみていた貴一が心配そうに顔を寄せた。

「大丈夫です。彩花、今は彼氏いないので」

 彩花から、ヘアサロンはキャンセルしたというメールをもらって、ようやく笑顔がこぼれた。

「それじゃ、土曜日に」

 待ち合わせの時間と場所を決め、貴一は自分のワークステーションへと戻っていった。

 貴一を見送ってしまうなり、桃子はパソコンを開いた。スリープモードを解除すると、たちまち画面に直前までみていたウェブサイトが出現した。チケット販売サイトで、購入ボタンのあるページが表示されている。

(急ぐことはない……っか)

 深呼吸とともに桃子はブラウザを閉じた。


 誘われぬのなら 誘ってみよう 先輩を


 一大決心をしてアデルのライブチケットを買おうとしていたところにダブルデートのチャンスがふってわいた。正確にはデートではないし、お邪魔虫が二匹ついてくるが、仕事の悩みを相談する今までからは一歩前進だ。待ち合わせ時間と場所を決めて、週末に会う。夢にまで見たシチュエーション、頭の中では何度もくりかえしたシミュレーション。その先はまだ夢にも描いたことがなかったが。

 関係を深めていくのはゆっくりでもいい。焦りは禁物だ。二人きりで会いたいと誘われるその日を、気長に待ってみよう――


 *


 それがある場所はわかっている。わざわざ目につかない場所に隠したというのに、まるで洞窟の奥でひっそりと輝くヒカリゴケのように、控えめながらしっかりとその存在を主張し続けるので、気にならずにはいられない。

 ベッドから起き上がった桃子は、その足でまっすぐクローゼットへとむかった。暗闇に慣れた目でスライディングドアをさぐりあて、一息に開ける。ダークな色合いのパンツスーツをかき分け、クローゼットの一番奥にまで手を伸ばす。光り輝くその服をクローゼットから取り出し、まるでカゲロウの羽を扱うかのように慎重な動作で、透明なビニールカバーから服を取り出した。

 裾の長い白のワンピース。首元が少し開いた丸襟に、パフスリーブの袖。麻のような質感の生地は意外にずしりと重い。

 ワンピースを胸にあて、桃子は姿見の前に立った。夏の高原で風に吹かれて佇む少女がセルフイメージだったが、目の前にいるのは貞子でしかなかった。姿見から顔を背けるなり、桃子はワンピースをベッドの上に投げ出した。

 少女趣味の服は似合わないとわかっている。わかっていながら買ってしまった。一目ぼれだった。ワンピースは、駅前のセレクトショップのショーウィンドウに飾られていた。一週間は耐えた。

 似合わない、似合わないと心の内で唱え続け、そのショップの前を通る時は目をそらしていたのに、一週間後、桃子はワンピースを試着しないで買ってしまっていた。

 家に帰るなり、ワンピースを胸にあて姿見の前に立った桃子は悲劇的なまでの似合わなさに衝撃を受け、タグも取らずにワンピースをクローゼットの奥にしまいこんだ。以来、ワンピースは眠れる森の美女よろしく、深い眠りについていた。

 衣替えの季節を迎えても、ワンピースはクローゼットのハンガーに下げられたままだった。一生着るつもりはないのに、どうしてだか手放せない。

 好きだからだ。桃子は少女趣味の服が好きだった。普段着や仕事着にはカチっとしたものを選んで着ているが、好きなのは、フリフリでフワフワで、ヒラヒラしたガーリーな服だ。

 だが、すらりと背が高く、小さくて面長な顔、黒くてまっすぐな髪と、鉛筆のような姿の桃子に、フリルやレースは絶望的なまでに似合わなかった。

 今では潔く、女の子らしい服は諦めて、彩花にも似合うと絶賛されたパンツスーツ姿をはじめとするカッチリした服を着ることにしている。

(やっぱり似合わないか)

 桃子はワンピースを元あった位置にしまった。

(彩花には似合うんだろうな)

 暗闇の中、桃子はふっと小さなため息をついた。

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