第5話 男の見極め

「誰?」

「彩花です」

「デザイナーの長谷川彩花?」

「はい」

「出なくていいの?」

 無視し続けているのに、ケータイは鳴りやまない。

「はい……」

 桃子はケータイを握りしめ、後ろ髪引かれる思いで貴一のワークステーションを後にした。途中、振り返ってみた貴一はPCにむかって背を丸めていた。考え事はやめにして、残業する気になったらしい。

 貴一と二人きり、ライブに誘ってみようかというタイミングで電話かけてくるなよと忌々しい気持ちを指先にこめ、桃子は画面を思いきり押した。

「桃子ーっ! ねえねえ、今さ、合コン中なんだけど、誰を選んだらいいか、桃子の指示、ちょうだい」

 ケータイの向こうから弾んだ彩花の声が聞こえてきた。舌足らずなのは酔っているからだ。

「うん、わかった。えっとね、全員ダメ」

「なぁんでぇ。まだどんな人とか何も言ってないじゃない」

 きっと唇をとがらせているのだろう、彩花の舌足らずな口調に拍車がかかっている。

「合コンに来るような男にろくなヤツはいない」

「桃子のそれ、偏見。合コンだって立派な出会いの場じゃないのぉ。いい人だっているでしょ。何で桃子は合コンに否定的なの?」

「お酒の入った席での出会いは信用ならないってだけ。酔っぱらって判断力は鈍るし、お酒が入ると話を大きくする人が多いから」

「だからぁ、酔っぱらっていない桃子に判断してもらうんじゃないのぉ。付き合ってもいい人かどうか」

「そうね、その判断だけは賢明と言える。わかったから、男の写真と簡単なプロフィールをメールで送って」

 はぁいと呂律の回らない返事の後、電話は切れた。

 男の見極めはすべて桃子に任せるといったのは彩花の本気だったらしく、その週末から彩花の電話攻勢が始まった。

 始まりは土曜の午後だった。いつものようにたまった洗濯をすませ、掃除機をかけ終え、雑誌を読んでのんびりとしていると、彩花から電話がかかってきた。買い物に出たらナンパされたという。ナンパなど始めから体目的だろうからやめておけと忠告するつもりだったが、ナンパ男に直接ガツンと一言言ってやろうという気になって電話に出させた。相手の最初の一言が「ちぃーす」だったので、ろくに挨拶も出来ないようじゃ先はみえているとすかさず電話を切り、直後に「ダメ」のメールを送った。

 彩花は素直に指示に従って男を振り切ったらしい。しかし、そのすぐ後にまた電話がかかってきた。またナンパされたという。どうしたらいいと聞かれたので、男の写真を送らせた。髪の長い男だった。白のTシャツに黒のジャケットをはおったカジュアルな格好で、ぱっと見の印象は悪くなかった。聞くと学生だと言う。遊びだなと、この男も却下。

 それからも電話はひっきりなしに鳴った。犬も歩けば何とやら。彩花が歩けば男にぶつかるらしい。まともに道を歩けているのか、心配になった。百メートルをいかに遅く歩くかという競技がオリンピックにあったら、彩花は間違いなく金メダリストだ。

 「声かけてくる男にいちいち対応しなくていいから」。呆れ気味にそう言って土曜の午後の電話相談は終息したのだった。

 凄まじいモテぶりには嫉妬する気にすらなれない。それにしても、母体の数が多いのだから、その中にはマトモな男がいてもいいはずなのに、桃子のめがねに適う男は一人もいなかった。

 合コンとナンパ、だもんね――

 そもそも母体そのものの質が悪い。付き合いや出会いに積極的なのは百歩譲っていいとしても、気軽さは気持ちの軽さを反映しているようで、桃子はどうしても合コンが好きになれない。しかし、合コンをいくら否定してみせても、彩花はこれだけは譲れないと言って参加をやめようとはしなかった。それならそれでいいと、桃子はひいた。しょせん自分は補助輪、いつかは自分でバランスを取って恋の自転車を漕いでいかないのは彩花なのだ。


 桃子は彩花からのメールを待った。静かなオフィスにアデルのしっとりした歌声が染み入っていく。さっきよりも音量が上がっている気がする。まるで離れたワークステーションにいる桃子に聴かせようとしているように。

 ライブ、誘い損ねたな――

 桃子の恋路はタイミング悪く鳴った彩花からの電話に邪魔された。馬がいたら、間違いなく彩花を蹴らせていた。

 でも――

 誘うより誘われたいのが乙女心。誘わなくてかえってよかったかもしれない。

 誘われなかったのは、誘うような人が貴一にはいるからかもしれない。桃子はそう考えることにした。自分に魅力がないから誘われなかったと考えるより、他に誰かがいるからと考えるほうが精神衛生にはいい。

 彼女がいるのか、なんて聞いたこともない。あまりに露骨すぎるし、知るための回りくどい方法を考えるのも一苦労だ。それだけでパワポのスライド十枚は軽く越す。

 さりげなく聞けたらとも思うが、そんな器用に立ち回れるくらいならとっくにモーションをかけている。貴一とは二人きりで話すこともあるが、仕事の相談にのってもらうだけで、仕事以上の話にはならない。桃子は貴一のプライベートな部分についてはあまり知らない。貴一が洋楽を聴くと知ったのも今夜が初めてだった。

 片思い歴六年。生まれたばかりの子が小学生になる。小学生なら中学生になる。入学した一年生が卒業しようかという年月を経ても、桃子は貴一を卒業できないでいる。

 先輩と後輩の関係、それでもいいと思い始めていた。始まらなければ終わらない。だが、ふと目にしてしまった弱弱しい貴一の姿に心が揺れた。思い続けて六年。今晩ほど貴一のすべてを手に入れたいと思ったことはなかった。

 でも、きっと誰かいる――

 三十過ぎたいい年の男がひとりなわけはない。甘い系統の整った顔立ちで口角がキュッとあがる笑顔が何よりキュートだ。三十過ぎの男にキュートはないかもしれないが、まるで少女マンガの主人公のようにさわやかな笑顔はキュートとしか形容しようがない。

 性格もいい。「ありがとう」が口癖で、どんな小さな頼み事でも人にしてもらったら「ありがとう」と感謝の言葉が口をついて出る。わざとらしさはない。身についた動作で、そうするのが当たり前という態度な上にさわやかな笑顔付きで「ありがとう」と言われたら、大抵は恋に落ちる。桃子は落ちた。

 貴一のような男は、抜け目ない女にさっさと持っていかれていそうなものだが、今だに独身でいるのは、仕事にかまけてしまっているからだろう。今夜に限らず、貴一は夜遅くまでオフィスに残っていることが多かった。彼女がいたとしても、仕事中毒の貴一とは続かないだろう。

 もしかしたら、ライブに誘うような人はいないのかもしれない。桃子の胸に再び希望の火が灯る。あれだけ忙しくしていたら出会いの場もないだろう。貴一は、間違ってもナンパなどしそうもないタイプだし、合コンには少なくとも率先しては行かなさそうだ。

 彩花も、付き合うなら、貴一のような真面目な男を選べばいいのにと、送られてきたメールの写真を見ながら桃子は思った。つくづく彩花は男を見る目がない。誠実な人間を求めるのなら行く場所が間違っている。写真の男たちは三人とも派手な色とデザインのスーツ姿で、髪は色こそ赤、茶、赤紫と違えど、寝癖と見間違えるような同じヘアスタイルで、似たり寄ったりの外見だった。プロフィールにはキラキラしい漢字が並んでいた。それぞれの名前らしいが、読めない。読めないが、艶めかしさだけは十分に受け取れた。

「全員ダメ」と返信し、桃子はケータイの電源を切った。今夜はアデルの歌声に酔っていたい気分だった。

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