第2話 いいこと、思いついた

 言われてみれば、彩花の歴代の男たちはみな違うタイプで、職業も外見もバラバラだった。最初に愚痴を聞かされた男は美容師をしていて通っているサロンで知り合ったと言っていた。その次の男の職業は忘れたが、外見だけはまじめそうな男だったのを、紹介された桃子は覚えている。今度は大丈夫だろうと安心していたら、同棲した途端、仕事を辞めて彩花の収入に頼るようになった。忙しい彩花に比べて時間をもて余し気味の男はお決まりのように他に女をつくった。その次の男は、パチンコ店の従業員だと聞いていた。前の男が口数が少なかったのにくらべ、パチンコ店従業員の男はおしゃべりだった。

 一見まじめそうな男と、みるからに遊んでいそうな男。見た目にも性格にも共通点がない彼らに共通しているのは全員がダメ男だということだった。

「だとすると、彩花が男をダメ男にしちゃってるのかな」

「どういう意味?」

 聞き捨てならぬと彩花がくいついた。

「彩花、嫌われたくなくて、つい相手の言う通りにしちゃっているんじゃない? そうだとすると男はつけあがって勝手し放題になるよ。こいつは俺の言うことは何でもきく。何を言っても何をしても怒らない、別れるなんて言わない女なんだなって思って」

 すらすらと言葉が口をついて出た。彩花の心理が手に取るかのようにはっきりわかる。はっきりすぎて他人の心理とは思えないほどだ。

(もしかして、私、自分のことを言ってる?)

 桃子が大学時代に付き合った男がまさにそういう男だった。プロダクトデザイン科の同級生で、大学二年の夏から付き合いだし、桃子が社会人になって半年後に別れた。

 彼は就職活動をしなかった。正確には、自分が志望する会社一社しか受けなかったのだ。彼は自分はその会社に就職してデザイナーとして活躍するのだという自信を持っていた。確かにクラスでの評価はよかったからその自信にまるで根拠がないわけではなかった。しかし、就職はできなかった。

 すっかり自信を無くした彼を桃子は励まし続けた。次がある、別の会社がある、そういって声をかけ続け、落ち込んでいるからと厳しくはしないでいるうちに甘くなり、男は浮気をした。

 見限るようにさっさと別れることができたのは、桃子がすでに社会に出ていたからだった。桃子の世界は広がっていた。次がある、別の男がいる。何もこの男でなくてもと思ったとたん、それまで彼しかいない、この人に嫌われたらどうしようという恐怖心から解放された。

 以来、仕事が恋人になった。仕事は尽くせば尽くしただけの見返りをくれる。わがままは言わない。最高の恋人だ。

「うーん。嫌われたくないっていうか、めんどくさいなと思っている部分はあると思う」

「めんどくさいってどういうこと?」

「かまってやるのがめんどくさい。仕事で忙しい時なんか、休日にどこに行って何をするのか考えるのもめんどうだから、相手にまかせちゃう。何でもいいよとか、好きにしてって言っちゃうのが癖になってるかも。私がかまわないでいるから浮気するんだろうけど、仕事で疲れていると問い詰めるのもめんどくさいし。ほっといたらつけあがるってわかってはいるんだけど。別れ話するのもめんどくさいって思うこともある。あれかな、水やりがめんどくさくて観葉植物を枯らしちゃうんだけど、男も面倒みないと枯れてダメになるのかな。あ、私、サボテン枯らしたことある!」

 サボテンを枯らす女は強者だと、桃子と彩花は目じりに涙がたまるまで笑い転げた。

「彩花は仕事モードに入ると、他のことが何も手につかなくなるもんね」

 見かけはほんわかとして愛くるしい彩花だが、デザインの仕事となるとがらりと人が変わる。普段の会話ではすっとぼけた、的外れのようなことを言って周囲をあきれさせたり笑わせたりするが、仕事となると、あいまいな言葉で伝えられる指示をきちんと形にする。相手が言葉にできなかった部分も汲み取って形にする。

 自分の仕事に対してはプライドも高く、納得がいかない仕事に対しては周囲が何を言おうともガンとして受け付けない。理解できない指示は、理解できるまでとことん相手を質問責めにする。そういう時の彩花の口調はいつものおっとりとした調子とは打って変わって早口で、あいまいな表現を避けるのでストレートできつい言い方になる。

「私だって、枯らさないように努力しているつもりだよ」

 彩花の潤んだ瞳が桃子を見上げた。こんなあざとい仕草が男にはうける。「狙ってる「だの「計算している」だのと言われるこうした仕草は、鳥が翼をひるがえして空を飛ぶように、魚が水の中を自由に泳ぎまわるように彩花にとっては自然で無理がない。

 自分にはまるで身につかなかった彩花の女の子らしい仕草を真似て、桃子は一度、鏡にむかって上目づかいとやらを試してみた。あまりのえげつなさに桃子自身、気分が悪くなった。以来、好きな男の前でも決して媚を売るような真似はしまいと心に決めている。

「前の彼の時はこうしたから失敗した、だから今度は逆にいってみようとすると、何でだか同じ失敗しちゃうの。構わなくて浮気されるなら、構ってみようとしたらうざがられて浮気される。どうしたらいいのってわかんなくなって、男を枯らしちゃう」

「その人の性格とかにあわせて行動すればいいんじゃないの?」

「考えるよ。でも考えすぎて、余計訳わかんなくなる。裏の裏の裏をかいて結局前のパターンと同じとか、そんなのばっかり。桃子はそういうことないの?」

「学生時代の彼で学んだから。その後はそういうことないな」

 記憶をさかのぼった後、桃子はそう答えた。失敗しようにも、そもそも学生時代の彼と別れて以来、恋人がいなかった。

「じゃあさ、聞くけど、桃子が私だとして、彼から作家デビューしたいからそのために必要な出版費用としてお金を貸してくれって言われたら、どうした?」

「本当に自費出版のための資金かどうか確かめるために、何にいくらかかるかの明細をださせるかな」

「お金はすぐには渡さない?」

「うん。何に使うにせよ、自分で捻出できないで付き合っている女に出させようという時点で、そんな男とはサヨナラ。っていうか、そんな男とはそもそも付き合おうとすら思わない」

「ねえ」

 彩花は突然、ぐいと顔を近づけてきた。

「どうして付き合うとすら思わないの?」

「どうしてって」

 目の前にあってますます大きく見える彩花の瞳に妙にドギマギさせられながら、桃子は言葉をさがした。

「いい年して夢見心地でいるだけの男なんて、みるからにアウトでしょ」

「そんなの、付き合ってみないとわからないじゃん。夢みることは悪いことじゃない」

「そうだけど、行動がともなっていなければね」

「行動って?」

「小説家志望なら、毎日小説を書いているとか、ミュージシャン志望なら作曲しているかとか、そういう努力をしているかどうかってこと。行動しない、できない理由を言い訳するならその時点でコイツはダメだなってわかる」

「でも、何か事情があるだけでとか、そういうことは考えない?」

「考えない」

 桃子はぴしゃりと否定した。たちまち彩花は萎れてしまった。かと思うと、すっと頭を上げ、桃子に迫った。

「桃子!」

「な、なに」

「森の中で道に迷ったとしたらどうする? 来た道を戻る? それとも、どこかに出られるかもしれないとそのまま歩き続ける?」

「来た道を戻るかな」

 ほんの少しの間をおいて、桃子は言った。

「来た道を引き返していけば確実に森から出られるでしょ。入ったところへ戻るんだから」

「じゃあさ、モンスターに追いかけられたとして。目の前にある吊り橋を渡って逃げようとしたら、その先に別のモンスターが現れたらどうする? 別のモンスターを振り切って逃げる? それとも戻る?」

「戻ると思う」

 今度はさっきよりも返事に少し時間がかかった。桃子の答えを聞くなり、彩花は大きな瞳をさらに見開いて、桃子を見つめ、小首を傾げた。

「どうしてそんな簡単に決められるの? 私なんか、すごく悩むのに」

「追いかけてきたモンスターなら、たとえば小回りがきかないとかそういうちょっとしたことが少しは分かっていると思うんだよね。そういう相手なら、かわせないことはないと思う。でも、新しく出てきたモンスターについては何もわからないから、取り敢えず逃げるしかないでしょ」

「追いかけてきたモンスターより弱いヤツかもしれないよ?」

「そんな小さな可能性にかけられまセーン」

 桃子がそう言うと、彩花はバタリとカウンターの上に身を投げ出し、しばらくの間、動かなくなった。

「彩花?」

「うん」

 不安になった桃子が声をかけて、ようやくカウンターの下から声があがった。

「そうだよね。新しく現れたモンスターが弱いかもしれないなんて、根拠がない推測だもんね。そっかあ……桃子の考え方が正しいよ。桃子みたいに物事を判断できたら、失敗少ないよね」

 彩花は上半身をだらりとカウンターの上に預けていた。まるでこぼれたオレンジフロート、カウンターに片方の頬をつけた横顔が桃子を見上げている。

 突然、彩花が体を起こした。瞬間冷却されて立ち上がった霜柱の高速回転映像を見る思いで、桃子は目を見張った。

「いいこと、思いついた!」

「なによ、いきなり」

 嫌な予感がした。仕事に関しては彩花の判断やアイデアを疑ったことはないが、プライベートに関しては、仕事での判断力はどこへやら、彩花はとんちんかんな思い付きを口にする。

「桃子が、私のかわりにいろいろ考えてくれたらいいんだ!」

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