なのなのな
あじろ けい
第1話 ダメンズウォーカー
いつもと同じパターンで長谷川彩花とは別れるはずだった。
いつもの店「オステリア」のカウンター席。カウンターには飲みかけのカンパリオレンジとファジーネーブル。
グラスの縁をもてあそびながら彩花が化粧が崩れるほど泣きながら男の話をする。ファジーネーブルを飲みながら桃子は彩花の話に耳を傾ける。
彩花はいわゆるダメンズウォーカーだ。どこで探してくるのか、浮気はする、借金は踏み倒す、暴力を振るう、そんな最低男とばかり付き合っている。普通ならそんな男たちは願い下げだというのに、彩花は捨てられた口惜しさを嘆く。
「だから言ったじゃん。あんな男、やめておきなって」
彩花が男についてのあれやこれやを散々ぶちまけた後、頃合いをみて立木桃子は言う。一字一句、毎回同じ、おなじみのセリフ。このフレーズが出るとエンディングは近い。
とたんに彩花は泣き崩れ、桃子の説教が始まる。
それがいつものパターンだった。数か月に一度の頻度で繰り返される、後悔と説教のカップリング。ひとしきり泣いた後、トイレで化粧を直した彩花は決まって言う。
「もう恋なんてしない」。
もう一つのおなじみのセリフ。カッコシー彩花。何度も聞いてきたセリフを聞き流し、桃子は彩花と別れる。
そうなるはずだった。
どこで、後悔と説教のインフィニティの輪に切れ目が入ったのだろう。その夜を境に、桃子は異次元に放り出されてしまった。
「だから言ったじゃん。あんな男、やめておきなって」
氷が溶けてすっかり味の薄くなったファジーネーブルで唇を潤し、桃子はおなじみのセリフをはいた。ちらりと腕時計に目をやる。十時半。ここからは攻守交替、聞き役から説教役に転じる。
「三十過ぎてアルバイトしか経験したことがないって、ダメ男のフラグが立ってるのに。なんでわかんないのかが、逆にわかんない」
「アルバイトでも仕事したことあるだけ、マシだもん」
彩花はふっくらとした唇を尖らせた。
「就職難の時代だから、アルバイトしかしてこなかった人だっているでしょ。それに、彼は作家になりたいから敢えていろんなバイトして人生経験積んでいるんだって言ってたもん。そうすることで作品にリアリティーが出るんだって」
「『あえて』……ねえ。でも、作家志望って言っても何も書いてなかったんだよね。彩花の部屋に転がり込んで一緒に住むようになってからはバイトも辞めて、一日パチンコしてたらしいじゃない。プロの作家になるにはとにかく本を出版しなくちゃならない。とりあえず自費で出すからそのための金を貸してくれって言われてさ。結局、いくら貸したの?」
「んと……合計で百万くらいかな」
「大金じゃないの! 自費出版の話、結局嘘だったんでしょ。お金は全部パチンコに使っちゃったんだよね」
「パチンコしているといいアイデアが浮かぶんだって言ってた」
嘘までつかれた挙句に金をむしろとられた当人の彩花は他人事のようにそう言ってニヘラと笑った。
「騙されたの! 作家志望なんて話も嘘。最初から彩花のお金と体が目当てだったんだって」
「そうかなあ」
モヘアのセーターの袖口から彩花の小さな手が出たり入ったりを繰り返している。オレンジイエローのゆったりしたセーターの上からでも、彩花の豊満な体つきが見てとれる。カウンター席はもとよりテーブル席の男性客の視線は彩花の盛り上がった胸元と白のミニスカートからのぞくむっちりとしたふとももとの間を行ったり来たりしている。
小動物のような愛くるしさと肉感的なものが同居する自分の女としての魅力に彩花はムトンチャクだ。真冬でも彩花はミニスカートをはく。厚着をしていてもそれとなくわかる体の線は薄着の季節、夏になると露骨になる。彩花の服装に対するTPOはまるでなっていない。一度、ホットパンツを履いてきたことがあって、社内は騒然となった。
職場は仕事をする場所、男の注目を浴びる場所ではない。そう考える桃子はパンツスーツに身をつつみ、胸元はおろか、足すら出したことがない。何を考えて仕事場に着てくる服を選んでいるのかと彩花に呆れていたが、よく知り合ってみると彩花が何も考えていないということがわかった。
桃子と彩花は、文房具メーカーに勤めている。同期入社で勤続六年目、ともに二十九歳。デザイナーの彩花はキャラクターグッズのデザインを手がけ、商品企画開発に携わる桃子が彼女と知り合ったのは、入社してまだ日も浅い頃、桃子がキャラクターグッズの担当をしていた時だった。
彩花は彼女がデザインするキャラクターそのものだった。子どもから女子高生までを対象とするキャラクターたちはみな、フワフワとしてマルマルとして、思わず抱きしめたくなる可愛らしさだ。それが彩花だ。彩花は根っからかわいいものが好きで、フワフワ、フリフリ、ヒラヒラの服を着ているに過ぎない。
何も考えていない――男の気を引こうなどという意図は彩花にはまったくないのである。だが、本人の意図とはまったく関係のないところで、ベビーフェイスと大人の肉体の組み合わせは男たちの注目の的となった。
女性社員からは冷ややかな視線を浴びせられ、男性社員からは軽い女のように見られ、彩花の社内での評価は低かった。彩花が営業に色仕掛けをしたから、彼女のデザインするキャラクターは売れたんだという根も葉もない噂もたったりした。
それが桃子の気に障った。可愛い女がかわいい格好していて何が悪い。一緒に仕事をし、彩花のデザイナーとしての力量を知る桃子はそれから彩花の味方になった。
今では仕事の悩みを打ち明けたり、恋の話もする。といっても、恋の話をするのは彩花だけで、桃子は一方的に聞くばかりだ。
とにかく彩花はもてる。男の途絶えたことがない。男好きのする外見に、ひとなつっこい性格だから、男の方から寄ってくる。しかし、その男たちが問題だった。彩花は絶望的なまでに男を見る目がなかった。群がる男たちの中から、どうしてそんな男を、という男を選んでしまう。そして泣かされる。泣きつく相手は桃子だ。やめておけといったのにと言われ、その場では殊勝なふりで説教を聞いているものの、次の男もまたろくでなしをつかまえて失敗、桃子に泣きつく。そして説教。後悔と反省。延々と続くループだ。
「彩花はさ、女として自分がすごく魅力的だってことに気づいていなさすぎ。だいたいさ、よりにもよってダメ男ばかり、どこで知り合うの?」
「んっとね、むこうから声かけてくる」
「それってナンパってこと?」
「うん」
こくりと頷く彩花の頭をわしづかみにして栗色の髪をもみくちゃにしたい衝動を、桃子はかろうじて抑えこんだ。
「ナンパしてくるのにろくな奴いないよね。見て普通の男じゃないってわかんないかなあ」
「普通じゃないって、どう普通じゃないの?」
彩花の大きくて黒目勝ちな瞳に見つめられると、男でなくてもドギマギしてしまう。
「だからさ、髪が長いとか、黒くないとか。ピアスしてるとか、いかにも遊んでますって外見。普通の男は髪もちゃんと整えてるし、ピアスなんてしてない」
「桃子の言う『普通の男』は、いい男で、いい人なの?」
彩花は、腰まである長い髪の縦に巻いたカールの先を指でもてあそんでいた。
「そう。だから、付き合うんだったら、そういう男とね」
「元カレは普通だったよ。髪も長くなかったし、茶髪でもなかった。ピアスもしてなかった。でも、最低男だった」
彩花の鋭い指摘に桃子は二の句が継げなくなってしまった。前の男と彩花が別れた時、今度付き合うならちゃんとした普通の男とと言ったんだと思い出した。そういう意味では、桃子のいう「普通の」男と彩花は付き合って、またもや失敗したのだ。
「でも、ほら、前の男は茶髪だったじゃない。サーファーだったっけ。彩花に借金させたお金を別の女に貢いでいたっていう男」
「それは前の前の彼。前の彼はサーファーじゃなくて、ライフセーバー」
「『自称』ね。海の家の従業員だったよね。別の女に貢いでいたのって、DJの男?」
「ちがう、ミュージシャン」
「そうだった。デモテープ作ってレコード会社に持ち込みたいから金を貸してくれって言われて貸したんだよね。いくらだっけ?」
「五十万円……」
「そのお金、返してもらってないんだよね」
返事のかわりに、彩花は唇を尖らせ、ぷいっとそっぽをむいてしまった。子どもじみた仕草がかわいらしい。男なら慌てて機嫌をとるところだろう。
「元カレと似たパターンじゃないの。作家志望とミュージシャン志望。プロになりたいからそのための金を出せって言われたのも同じ」
「ちょっと違う。ミュージシャンの彼は浮気相手に貢いでて、作家の彼はパチンコに使った」
桃子をやりこめたと言わんばかりに彩花は笑顔を浮かべている。騙されたことに変わりないのだが、そんなことはどうでもいいらしい。前の経験から学ばない彩花が桃子は不思議で仕方ない。
「笑ってする話じゃないってのに。まったく彩花は」
「浮気ぐらい、暴力にくらべたらどうってことないもん」
酔ってほんのり赤味を帯びている彩花の頬がひきつった。桃子でさえ、思い出すだけで胃の底にムカつきを覚えるその男は、彩花の肋骨を折った。彩花によれば、ちょっとした口ゲンカをしていたら部屋の壁に突き飛ばされたということだが、多分、嘘だろう。男に蹴られたか、殴られたかしたのは明らかだし、第一、ちょっとした口ゲンカぐらいで突き飛ばすような男はろくでなしだ。さすがの彩花もDV男だけは懲りたらしい。後にも先にもDVはその男ひとりだった。
「なんでダメ男ばかりなのかなあ。彩花はそういう男を呼び込んじゃう体質なのかなあ」
独り言のつもりだったが、彩花にはしっかり聞こえていたらしい。
「呼んではいないもん。私だって、ダメンズはこりごり。だから、前とは違うタイプを選んでいるのに、なんでか次もダメ男なの」
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