第53話 心の壁と 思い込み
聖教会、聖女宮。
麗らかな秋晴れの午後。心地よいテラス席で、ふたりだけのお茶会は始まった。
専属の修道女が整えてくれた修道服に身を包み、メアリは席についていた。
「緊張しなくってもいいよ。僕だって、つい最近第三王子、なんて身分になったばかりだし、礼儀作法もなってないって、いつも叱られているしね。気楽にいこうよ」
テーブルを挟んだ向かいで、快活な少年王子が金色の髪をかき乱し、紫の目を細める。
気取らない動作は、平民の少年と変わりなかった。
「君も大人の事情とやらで、聖女に祭り上げられたみたいだしさ。ふたりだけの時くらい、肩の力を抜いても構わないと思わないか? 」
おどおどと目を合わせたメアリに、第三王子アルカスは微笑んで見せた。
「わたしは、恐れ多くて」
王子の身分がなくとも、アルカスは国王の叔父にあたるライネット大公の嫡男だ。
平民上がりで孤児のメアリとは、雲泥の差だった。
「そっかぁ、そうだよなぁ。急に婚約者だと言われても、驚くだけだもんな」
聖女は王族に嫁ぐものだと、教皇から聞いた。
地下で行われた試しの禊が終わって、初めて暖かいスープを食べていた時だ。
突然、あたり前のように言われ、びっくりしてスプーンを落としそうになった。
聖女になりたくて、なったわけではない。
できればひとりで生きて行けるように、助けてほしかっただけだ。
自分の意思と関係なく、次々と決まってゆく未来に、恐怖しかない。
「メアリは、僕のことが嫌い? 遠慮して嘘は言わないで。ずっと我慢しなくちゃいけなくなるからね。ちなみに僕は、メアリが可愛いと思う。君が嫌でないなら、前向きに考えてくれるかな」
ひとつだけ年上にもかかわらず、アルカスはずっと大人に見えた。
他の人たちと違い、答えを押し付けるような素振りはしない。
萎みそうな勇気を振り絞って、メアリは口を開いた。
「もしも……もしも、王子殿下を、嫌って言ったら。わたしは、罰を受けますか? 」
心底怯えている様子で、震える両手を握りしめる。それがあまりにも可愛らしく、アルカスの口角が上がった。
「ん。ちょっと残念だけど、メアリを困らせたくないから、婚約者のフリだけで、我慢かな。だからね、その時は、ずっと友達でいよう」
「ともだち? 」
いまにも止まりそうだったメアリの息が、浅いものに変化した。
「そう、友達。僕たちの婚約は、国王様が決められたから、勝手に辞めるなんて無理。だからね。メアリが辛くならないよう、婚約者のフリをした友達でいよう」
決して声を荒げないアルカスに、思いやる言葉に、メアリは思わず涙を零した。
「だいじょうぶ。僕は、友達のメアリを守るよ」
ずっと不安だった。
気がつけば、大きく変わった環境が、恐ろしくて苦しくて仕方なかった。
メアリの思いを、理解してもらえないのが、辛かった。
「僕の前では、そのままのメアリで良いからね」
そっとハンカチを渡してくるアルカスに、メアリは肩の力を抜いた。
「ありがと ござ ます」
怖くて意味のわからない、どうしようもない辛さが、ゆるりと解けていった。
*****
心地よい衣擦れの音を立て、ヴィバロッテの前をテューラが行く。
社交シーズン前に恒例となった王太子主催のお茶会は、流行に乗っ取った服装を推奨される。主に付き添いの保護者が、時代の先駆者であるためだ。
去年のテューラは藍色を中心に、上品で落ち着いた組み合わせのマーメイド
ハードなコルセットでメリハリをつけていた衣装とは正反対で、もろに体型と肌の状態が分かる。これは、着る者を選ぶ衣装だった。
(身体のラインがハッキリ見えるし、綺麗な
アレンのエスコートで後ろに続くヴィバロッテも、白に近い黄色のドレスを着ている。
身体の線を意識した緩めのマーメイドラインは、鋭角な裾から下に、シフォンの柔らかなスカート部分が見える。
何枚も重ねた薄布は、歩くたびに風を纏い、波のように揺れた。
首元まできっちり覆った襟には、金色の海泡石のブローチが目立つ。
(絶対に、肌を焼いてはいけません! )
しばらく前から始まった、テューラの口癖だ。
(おばあさま。ますます色白で、スベスベ艶々だもの。皆、びっくりするよね)
俗に言う美魔女の域に入っている。
左右に除けて控える侍従や女官の目が、零れ落ちそうでおもしろ……気の毒だ。
「まぁまぁまぁ。いったいどんな魔法を使ったのかしら? 」
挨拶を受けた後すぐに、大后セレンティーナは呆れ声をあげる。
テューラと同い年のセレンティーナだが、明らかに、見かけの年齢差が顕著だ。
「一番に、大后殿下へ献上致します前に、わたくしが効果を試しました。お気に召して、頂けましたでしょうか? 」
鮮やかに笑んだテューラの顔には、シミも皺も一切見えない。
「聞かせてちょうだい。ねぇ、アクアオーラも聞きたいでしょう? 」
傍の王妃も引き込んで、大后は上機嫌だ。
「子供たちは。 あら、小紳士はどなた? 直答を許します。顔を上げなさい」
綺麗な立ち姿のアレンは、礼儀に則って僅かに顔を上げる。
ここで大后と、直に目を合わせてはいけない。
「寛大なるお言葉に、感謝致します。ランドン男爵家が三男、アレンと申します」
ランドンの家名を聞いて、大后は優しく目を細めた。
数年前にコンフリー領を襲った天災は、未曾有の被害をもたらし、いまだ多くの民が行方不明のままだ。
「ご報告申し上げます、大后陛下。王妃殿下。この度アレン・ランドンと、わたくしの孫ヴィバロッテ・アン・モナイトは、正式に婚約を致しました」
ヴィバロッテの婚約報告に、王妃が目を輝かせた。
(やっぱり心配するよね。母の風評被害って、どこまで広がっているんだろ)
「まぁぁ、それは、おめでとう」
一通りの祝福を受けた後、アレンとお茶席に案内される。
さらりと見回した侍女の中に、いつも突っかかってくる王女付きの侍女もいた。
(老けている? )
ひとりだけ、凄く目立つ。
几帳面すぎるくらい綺麗にお仕着せを纏っているのだが、周りに比べ、飛び抜けた老け具合が非常に目立っていた。
(あの子が、第三王子のアルカス様? めちゃくちゃ怒っているけど)
腕組みして
大声を出さなくても、爆発しそうな不機嫌さだ。
王太子のカーネリアンにそっくりで、王太子の弟セレストよりも兄弟に見えた。
後ろに庇われた少女は、上質な修道服を身に着け、おどおどしている。
教皇の修道服に似て、とても豪華だった。
全体的に白いシルク仕立てで、縁縫いの金刺繍が美しい。
(ぁあ、聖女様だわ。んー、何を揉めているのかしら)
立ち止まったまま、こちらも動きが取れない。
そうこうしている内に、王太子の来場を告げる声がした。
「ヴィ、少し避けよう」
王太子の邪魔をしてはいけないと、アレンと共に部屋の隅へ移動する。
きっちりと礼をとって、静かに言葉を待った。
「皆、良く集まってくれた。今年も友好を深め、仲良く過ごす事を希望する。まずは席に着こう。新しい兄弟と、その婚約者を紹介したい」
移動し始めて、皆の動きが止まる。
いつもとは違い、楕円形のテーブルに、二人掛けのソファーが六つ用意されていた。その一角で、険悪な表情の第三王子が、仁王立ちして動く様子もない。
ここで最下位のヴィバロッテが動くわけにもいかず、妙な居心地の悪さが漂った。
ツンと澄ました王女専属の侍女は、薄っすらと笑みを浮かべて知らん顔をしている。
第三王子の睨みつける視線を受けても、完全に無視を決め込むのが凄いと思う。
見回しても、前回、この侍女を諌めた責任者はいなかった。
(変に力を持った侍女? なんだかなぁ)
可哀想なくらい青ざめているのは、自分の専属侍女が何かをやらかしたと察した、ヘリオドーラ王女だ。
この侍女は、主人を困らせている事に、気が付かないのだろうか。
愚かとしか言えない。
「皆さま、テラスに珍しい物を用意しましたの。どうぞ、いらして下さいな」
王太子の婚約者アリッサが、自らテラスへ皆を
まだ日差しの強いなか、用意されていたのはミルクを使った氷菓子のテーブルだ。
白いクリームの間に、色とりどりの果物が埋まっている。
「アイスっ。アイスだぁ」
ぶつぶつ呟く危ないヴィバロッテを、アレンはしっかりと引き止めた。
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