第52話 求めるものは その二
訪れたシーマは、ずいぶんと草臥れた様子をしていた。
ぴったりと貼り付けた笑みは、お世辞にも自然とは言えない。
「ぇえっと。ようこそいらっしゃいました、シーマ。どうぞ、こちらへ」
とてつもなく、取って付けた挨拶になったが、礼を失していないだけマシだろう。
とにかく座って寛げるよう、冷たい薬草茶を推める。
「お疲れ、ですか? 」
うっすらと微笑むシーマからは、悲壮感は無い。ただ、深く静かに吐いた吐息は、悩ましげだった。
「ありがとうございm……ありがとう、ヴィ。少し気持ちが沈んでしまって、あなたと話しがしたかったの。ヴィは、とても大人だから、わたしの気分転換を、手伝ってくれれば嬉しいかな、なんて。突然にごめんなさい」
なんとなく、シーマの気持ちを理解した。
俗に言う、マリッジブルーに近いかもしれない。まだ相手は決まっていないが。。
「わたしで良ければ、いくらでも」
サロンで合流したジェーンも交えて、しっかり聞く体制に入る。
お茶で喉を湿らせたシーマから、たくさんの愚痴が滑り出してきた。
もともとシーマは、自分が政略結婚する事を納得している。
結婚してから両親のように、仲の良い夫婦になれば良いと前々から言っていた。
寄り親のワート公爵が、最も適していると勧めてくれた相手に、異存は無いのだろう。
まったく顔を知らない相手だが、これが貴族の結婚と言うものだ。
そこまでは、別に良いらしい。
「でもね、どうしてわたくしが、悪女だと言われなければならないの? まだ会った事もない殿方に、どう逆立ちすれば色仕掛けなんてできるのよ」
事件は、お茶会に招待された屋敷で起こった。
ワート派で年頃の令嬢を集めた茶会は、ロウド男爵に渡りを付けたい親たちの手配で、開催されていた。
シーマとヴィバロッテの間柄から、コンフリー女子爵とも繋がりを得て、モナイト領に食い込める情報も引き出したい。
貴族の考えはその辺りだ。
そんな大人の駆け引きが渦巻く席で、シーマの婚約者の義妹と名乗る令嬢が、取り巻きを動員して囲ったらしい。
危険でおぞましい魔獣の巣に、麗しい貴公子は似合わないわ。だの。。
せっかく安全な貴族家にあてがおうとしていたのに、邪魔をして。とか。。
どうやらシーマのお相手を婿に欲しがっていた令嬢も、輪の中にいたらしい。
いわく、
「分不相応だと気付けない令嬢には、正妻の資格はないのだから、辞退しろと言うのよ。挙げ句の果てに、妾なら我慢して差し上げても、宜しくてよ。とも言われたの。同じ男爵家で分不相応だなんて、どうしろと言うのかしら? 」
囲まれたのがヴィバロッテなら、たぶん思い切り微笑んで、とことん後悔するように言い返している。
しっかりと、仕返しの手回しも忘れずに。。
出る杭は、めり込むまでお返しするのが、テューラ流だ。
『おっしゃる事は、充分に承りました。しっかりと吟味した上で、対処させていただきますわ。えぇ、お名前は存じ上げておりますし、お顔も、拝見いたしましたし、それで、宜しいですわね? 』と。。
悲しいかな、温和なシーマには、逆立ちしても言えないセリフだろう。
「ワート公爵様のご意向に、真っ向から逆らう行為ですねぇ。
「アーガス・ワームウット男爵のご長女です」
そう言ったシーマの視線がジェーンに移り、青くなって口を押さえる。
ジェーンは危うく、お茶を噴きかけていた。
ワームウット男爵家は、ジェーンの父ジルハン・ワームウットの実家だ。
「そうですか、アイリンは相変わらずですね。ごめんなさい、シーマさん。従姉妹が失礼な事をしました。申し訳ありません。では、お相手はエドモンド
小さく咳き込みながらも、ジェーンは謝罪を口にした。
「そうね、アイリン嬢のご兄弟。お相手がエドモンド様では、年下だもの」
会場でヴィバロッテが出会ったアイリンの兄は、シーマより年下に見えた。とても常識のある紳士だったと記憶している。
あの後テューラは、エドモンドが当主になるまで、当たり障りの無い交際に留めると言っていた。それは当主が交代した暁に、より良い親交を考えているという事だ。
確か嫡男のエドモンドより年上の次男がいると、聞いた事がある。
いわゆる庶子に当たる男子は、年上でも長男とは
当然、嫡男に跡継ぎが生まれるまで、次男以下は社交に制限が掛かる。表に出ない次男以下の顔を知るものは、非常に少ない。
ワート公爵家で行われた親睦会を、ヴィバロッテはしみじみと思い出す。
アイリンはヴィバロッテより年上だが、主催者側にきちんと挨拶しなかった少女だ。
気分を変えようと、庭に目を向けながらお茶を飲むジェーンが、盛大に
『ロレイン
ジェーンの心の声を拾って、視線を追いかけたヴィバロッテは、花の世話をしながらこちらを覗くロンに、こめかみを押さえた。
(聞きたくないものや見たくないものって、区別できればいいのに)
聞かなかった事、見なかった事にして、シーマの愚痴に付き合う午後は、ひどく疲れが積み重なった。
笑顔を貼り付けながら、目の焦点が合わないヴィバロッテは、こっそり思う。
(
「あらあらシーマ、久しぶりだこと。綺麗になりましたね」
顔を覗かせたテューラに、一同は立ち上がる。
「堅苦しい挨拶は良いわ。元気にしているか、顔を見に来ただけなの」
朗らかにしゃべるテューラの目が、ずっと庭を気にしている。
副音声も聞こえてくるので、ここは加勢しようと、ヴィバロッテはテラスに出た。
「ぁあ、ちょうどよかった。ロン? お客様に可愛い花束をお願い」
ロンが返事を返し、さっそく花を選び始める。
満足して振り向いた拍子に、いたずらっ子のようなテューラと目が合った。
「さっき、ロンと知り合いましたの。おばあさまが呼ばれたのでしょ? 」
くつくつと笑うテューラの中に、もう一人の孫、シディアンが重なった。
「えぇそうよ。わたくしのお気に入りよ」
テューラを交えた歓談に一区切りがついた頃、白と桃色の可愛らしい花束が届けられた。
「ありがとう、ロン」
入ってきた庭師に、気がつかない演技をするジェーン。
流し目で、ほっこりするヴィバロッテ。
疲弊した心が癒される。
庭師から直接に手渡すのは失礼だと、ヴィバロッテは遮るように花束を受け取った。
仲立ちする様に受け渡した時、またもや初々しい声が聞こえる。
『なんて、可愛い人なんだ。…よし、よしっ……よっしゃ! 』
( よっしゃって……なに)
地面にめり込むくらい、再びヴィバロッテの心が、疲れ果てた。
*****
王都の聖教会には、信者が出入りできる礼拝堂の奥に、修道士が研鑽を積む修道塔がある。その奥にも広々とした中庭があり、普段は締め切っている聖なる門扉があった。
部外者はもちろんのこと、決められた階位の者しか入る事は許されていない。
そこは聖女が在位する間、門扉の両側で神殿騎士が守護する特殊な宮だ。
いままでに使用されたのは、数百年前の飢饉を救った聖女のみ。それ以来幾度か聖女候補は出ているが、一度たりとも開かれてはいなかった。
つい十数日前に降臨した今代の聖女が、選定前の
聖女に用意された宮は白亜の建造物で、囲む内庭も外観も、見るからに清楚で愛らしい。
多くの大人に迎えられて硬直した幼い聖女に、側使えの殆どが好意的な雰囲気になった。
痩せて折れそうなメアリを迎えた者は、心から
昨日も慣れない一日を過ごしたメアリは、疲れが抜けないまま目覚め、そのまま半地下の洞窟に案内された。
「整備が整いましたので、本日より朝夕の
聖女の日課は禊から始まり、禊で終わる。
午前は聖教会の教義と様々な儀式の手順を教わり、午後は聖女就任の式典に関する諸々を受講する。
就寝前の禊を終えて、寝室に帰ってから眠りにつく僅かな時間だけが、メアリに残された自由時間だ。だがそれも、くたびれた身体を横にした途端、泥のような睡魔に落ちて、すぐに朝は明けた。
(どうして、わたしだけが生き残ったの? )
覆いかぶさる息苦しい微睡みの中、眠りに囚われる刹那の思いは、いつもいつも、同じ言葉だった。
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