第51話 求めるものは その一

 厳重に密封された地下の空間は、と呼ばれていた。

 この広い空間を、単にと呼称するのはおかしい。

 謁見の間よりは狭いが、決して棚では無い。


「あれが、召喚の魔法陣だ。すでには失っているがな」


 部屋の半分近くを占める床に、魔法陣が描かれていた。

 よく見れば、タイル状の聖石をびっしりと敷き詰めた上に、黒曜石で象眼されている。ただ魔法陣からは、本来在るべき力を感じなかった。


 魔術師団の研究棟から上がってくる試作の魔法陣は、どれもみな付与された魔力を感じる。使用可能な生きている魔法陣であれば、内包した魔力を感じるはずだ。


「聖女降臨の報せが届いてすぐに、わたしは禁書棚を確認した。そうして、封じるべき魔法陣が、機能を停止しているのを知った」


 王の言葉に、ふとカーネリアンは違和感を覚えた。


「聖騎士を、封じていたのですか? 召喚ではなく? 」


 には召喚の秘儀が隠されていると、聞いている。

 秘儀とは、国軍の最後の切り札である、聖騎士の召喚陣だ。


「違う。封印し、使として召喚した聖騎士は、建国の勇者が捕縛した、古人いにしえびと……魔王だ」


 ギョッとしたカーネリアンが、思わず王から後退った。

 苦渋にまみれ、険しい表情で声を絞り出す王が、異様な気配を纏っている。


「禁書棚が開かれるのは、天災級の国難が起こった時のみと決められている。聖女降臨の報を受けて、すぐに魔法陣を確認した時には、この状態になっていた」


「待ってください、父上。まだ王太子でしかないわたしが禁書棚に入るなんて、前例はあるのですか? 」


 何かに追われるようだった王が驚いた表情を見せて、ゆるりと微笑む。


「天災が起こる時、真の聖女は現れる。これは建国王の遺言だ。次代の王として、おまえは知らねばならない。どれほど幼くとも、王となるなら、しっかりと受け止めよ」


 王が指差した壁に、古い石板が掛かっている。

 角は風化して丸みを帯び、細かなヒビが表面を覆っているが、どこの文字ともしれない記号のような線が描かれていた。


「これは建国の王を支えた勇者が、残したものだ。残念ながら、解読できる者はいない。王家の血を受け継ぐ者なら、それに触れて記憶を受けとる事ができる」


「 はい」 


 もう一度、王が指差した石板の端には、聖石が埋め込まれて微かな光を放っていた。

 深呼吸で心を落ち着けたカーネリアンは、思い切って手のひらを当てる。

 じっと神経を集中する間に、ムズリと何かが動いた。


 初めは川のせせらぎかと思ったそれは、徐々に明確な言葉を繰り返す。


未来視さきみの巫女が予言したので、俺は王都から消える。遥か未来に現れる聖女が大樹を復活させ、聖剣を抜いて古人いにしえびとを呼び覚ます。その時代の王よ。聖女と聖剣を守れ。すべての民の為に』


 はっきりと頭に響いた声は、一言一句を余さずカーネリアンの脳に刻み込んだ。


「! 」


 聖石に張り付いていた手を引き剥がし、鈍く痛む頭を押さえる。


「父上、これは? 」


 何を言っているのか理解はできる。けれど、意味を解する事ができない。


「事が起これば、いずれ解るそうだ。部屋に戻ろう。色々と、伝えねばならない事ができた。おまえも、覚悟せねばなるまい」


 混乱が収まらないうちに、カーネリアンは禁書棚を後にした。

 できれば、このまま休みたいと思いながら。。


古人いにしえびと? なんだ、それは。聞いた事もない)


 休憩室のソファーに埋もれ、静かに息を吐き出した。

 対面の席で、お茶を味わう王の機嫌は悪い。

 廊下で大公親子に出会ってから、嫌な予感しかしないカーネリアンだ。


「十日後、アルカス・ライネットを王族に加え、第三王子とする。聖女の就任式が終わったら、正式に婚約を結ぶ予定だ。そのように、決まった」


 国王の裁定は、王宮内で囁かれる噂通りになった。

 親友で将来の摂政であるラルフレット・セレンツと、エメリア・メロウが悲しい思いをしなくて済む。

 単純にそう思ったカーネリアンの肩から、力が抜けた。


「心せよ、カーネリアン。良く学び、人の機微を読め……良いな? 」


「? はい、父上」


*****

 晩夏の気配が濃い北のロウド領から移った王都は、季節が逆行したかのように、残暑の只中ただなかだった。


 とにかく暑い。いったん涼しさを体感した身体には、非常に堪える暑さだ。


「はぁ、やっぱりミントの化粧水は、最高! 」


 美容品部門の錬金術士が考案した夏用肌化粧水ボディーローションを身体に塗って、ヴィバロッテはうっとりとため息をつく。

 スッとする感触は、ミント系の薬草だ。

 昼食後に沐浴して身体に塗った肌化粧水ボディーローションは、心地よい涼感で汗を止めてくれる。


「久しぶりの王都がこんなに暑いなんて、びっくりです」


 ジェーンもキャミソールタイプのワンピースを引っ張り出して、身につけていた。

 さすがに庭の四阿あずまやで食後のお茶をするには露出が多く、通気性の良い綿絹コットンシルクのスカーフで肩を覆っている。

 緩やかに通る風が涼しくて、暖かい薬草茶でも苦にならなかった。


 せっかく衣替えしようと夏のドレスを纏めていたが、無駄になったのは仕方がない。主に侍女達が、慌ただしい思いをした。


「失礼いたします、お嬢様。ロウド男爵家から、午後のお茶にシーマ様のご訪問を許可頂きたいと、使者が来られています。いかがなさいますか? 」


 社交と淑女教育に忙しいシーマは、めっきりと顔を合わせる機会が減っていた。


「ええ、喜んでお迎えするわ。略式のお茶会アフタヌーンティーにします。その旨も伝えてください」


 クンツァイト子爵家へ引き取られた日。

 誠実に対応してくれたのは、侍女長のマイヤーと専属侍女のシーマだけだった。

 色々あって今があるのも、ふたりがヴィバロッテを守ってくれたからだと思っている。


「夏のサロンを使います。料理長に、可愛らしいリモンリラパイもお願いしてね」


 完熟の実を大きくするのに間引いた青いリモンリラは、窓拭きの洗剤代わりに使われていた。それがもったいないと果実酒にしたり、砂糖漬けにしてお菓子の材料にしたりと、料理長と盛り上がって新作レシピを作っている。


 リモンリラパイは果汁に砂糖とゼラチンを加え、ビスケットの種で作った一口タイプのパイ皿に、ゼラチン液を流し込んだお菓子だ。

 ミントの葉とリモンリラピールを上に飾って、涼感を増している。

 甘酸っぱくて爽やかな口当たりが、コンフリー邸の女性陣に人気だった。


 失礼にならないよう夏のドレスに着替え、タイル張りの接客室へ下見に行く。

 気を張らなくて良い相手でも、最低限のおもてなしは必須だ。


「あら、新しい方? 」


 入り口を入ってすぐのテラスは開け放たれて、鉢植えの入れ替えをしている。

 シーマの好みそうな小花の鉢は、涼しさを感じさせる淡色だ。


「失礼いたしました、お嬢様。すぐに入れ替えを終えますので、少々お待ちください」


 耳当たりの良い声に、思わず顔を凝視する。


「そんなに急がなくても良いわ。あなたは、庭師の方? 」


 魅力的な声を聞きたくて質問するヴィバロッテに、蕩けるような笑みが返ってくる。


「今日だけの臨時雇いです、お嬢様。ロンと申します。女子爵様には、大変お世話になっております」


 口ぶりから、祖母が呼び寄せた関係者らしいと当たりをつけた。それに、不穏なも聞こえない。


「お庭の隅を改修いたしますので、お目に止まりましても、ご容赦ください」


 絶妙な配置でテラスを飾ったロンは、そのまま庭へ降りて行った。


「素敵な声をなさっていますねぇ」

『ぅぅぅ いい男だわぁ』

 ちょっと頬を染めたマリリンに目を移し、ヴィバロッテは肩をすくめる。最近になって気づいたが、マリリンはとっても惚れっぽい。心の声もダダ漏れだし。。

 心地よい声と素敵な笑顔の持ち主なら、無条件で一目惚れだ。


「程々にね って、無理かなぁ」


 柄にもなくドキリとしたヴィバロッテよりも、マリリンの免疫力は低そうだ。


「素敵な声に、驚きの笑顔だもの。鑑賞用の薔薇より数段上かも ね」


 人の恋愛を見るのは、微笑ましい気分になる。応援もしたい。ただ。。


「なんか本気では、ときめかないのよねぇ」


 好きな人はいっぱい居る。大切にしたい人も、いっぱい。


(愛しいと思う気持ちが、湧いてこない)


 テーブルの配置や日差しの具合を確かめているうちに、シーマの来訪を告げる侍女が呼びに来た。


「マリリン。ジェーンをお願い」


「かしこまりました、お嬢様」


 軽やかに背中を向けたマリリンを見送って、ヴィバロッテは玄関へ足を運んだ。

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