第50話 出発点
何事もなく貴婦人の村へ到着したヴィバロッテ一行を、夏祭りが待っていた。
どこの領でも祭りはある。北へ行くほど春秋の祭りは盛況になるが、夏祭りは、あまり無い。と言うより、この世界には無いのが普通かもしれない。
ただし、今年の貴婦人の村は、特別な夏祭りで盛り上がっていた。
二年後の春には、王立学堂へ入学するヴィバロッテ。一年のほとんどを過ごしていた村から、住まいを王都に移す。
なんだか可愛い孫が遠くに行くようで、意気消沈する者が増えていた。
来年も、夏には避暑で帰ってくるとはいえ、寂しい事この上ない状況だった。だからこそ、小さい嬢さまが故郷を忘れないよう、今年初めての夏祭りは華やかだ。
いい加減に腹をくくって王都に移り、同学年の子女と顔を合わせるよう注意されていたヴィバロッテは、いくぶんか元気がない。
おそらく警戒する親たちは、早々にヴィバロッテを排除しようと動くだろう。
テューラは先手をとって、新シリーズの美容品を、登録販売する流れにした。同調するモルダーも、蒸留酒や果実酒の販売は紹介を要する購入方法を取り入れた。
王家は別として、最初の購入には、ワート公爵の口利きが必要になる。
本数に限りがあり、すべての要望には応えられない希少品との触れ込みだ。
現に
販売側が顧客を選定するなど許されないと苦情は出るだろうが、滅多なことでは手に入らない希少品なら、あまり文句は言えない。
へたに機嫌を損ね、大后お気に入りのコンフリー女子爵にヘソを曲げられ、なおかつ睨まれでもしたら先が無くなる。その上、一大派閥のワート公爵家に楯突く形になれば、社交界から爪弾きにされてしまうだろう。
なによりも、王宮の晩餐会に献上された酒類は、衝撃的な旨さだった。
コンフリー女子爵主催の夜会で提供された果実酒は、貴族家夫人を虜にした。加えて、美貌をもたらす美容品の数々。これらも、購入には紹介が必要になる。
上層階級の追い風がどちらに吹いているのか、身を以て熟知する者は、流れに従った。これで、迂闊な対応をする子女は減るだろう。
(あとは、あなたの心掛け次第ですよ。ヴィバロッテ)
テューラの愛情は深い。けれど、自分の足で立てない者を、女子爵は擁護しない。
(いつか、わたくしがいなくなっても、折れてはなりません)
祭りではしゃぐ子供たちへ、テューラは優しい眼差しを向けていた。
*****
大量の蒸留酒を運び出した空間は、綺麗に掃き清められている。
分厚い壁を漆喰で固めた葡萄酒蔵の奥に、下への階段が空いていた。
普段なら樽に遮られて見えない場所だった。
「ぅむ、色合いが薄くなっていますね。魔素の後退が原因ですか」
試飲用の柄杓で酌み上げた液体を、モルダーは手元の明かりに
見比べるふたつのグラスは黒と紅金の
「
家令のロベルタが掲げたグラスで、薄い金色の発泡酒が揺れる。
去年の収穫で仕込んだ麦酒は、大きく色を変えていた。
「
年々魔素が後退し、それに比例して品質が落ちる特別の
効果は魔力回復で、発見当時はパンに加工して食べていたが、麦酒にすることで保存が容易になった逸品だ。
魔獣の駆逐に必須の魔窟小麦が、魔素の減少に伴って回復効果をなくしている。
「できる限り温存しましょう。この白麦酒、蒸留すれば、どうなるのでしょうね」
蒸留して薬効が減少するか、それとも。。
「ははっ。ヴィの影響でしょうかね」
見交わして苦笑したロベルタが、軽く頷く。
「御意に。やってみて、損はないかと」
*****
蒸れる空気の中を、王太子カーネリアンは王の執務室に向かって歩いていた。
出会う者のすべてが道を空け、敬うように頭を下げる。ただし、カーネリアンの背中では、囁くより大きめな声で不穏な言葉が飛び交った。
(なぜ、平和な今、聖女が現れるのだ? )
聖女の出現は、オプシディア王国に災厄が起こる前触れだと言われていた。
今まで出現した例は、大規模な飢饉があった数百年前だけで、建国時に初代王を助けた聖女と合わせれば、今回で三度目の出現だ。
数百年前の飢饉では、国力低下に付け込んだ隣国が侵略戦を仕掛けてきたが、王宮魔術師師団の極大召喚魔法で聖戦士を呼び出し、圧倒的な勝利を得た。
建国史の華々しい出来事だ。
(災厄も何も、起こり得ない状況だよな)
頭の中まで茹りそうな暑さに、ヘキヘキする。
(ん? )
国王の執務室から出てくるふたりに、カーネリアンの目が座った。
相手もこちらに気づいて、にこやかな笑みを浮かべる。
大公のライネットと、嫡男アルカスだ。
「ご機嫌麗しゅう、王太子殿下」
敬っているようで、そこはかとなく嫌味な感じを受ける大公に、カーネリアンの笑みが引きつる。
「なにかと殿下もお忙しいご様子。では、失礼いたしますよ」
とことんいけ好かないと思いながらも、王太子らしく軽く頷くように同意を示す。
黙って会釈したアルカスの双眸に、深い侮蔑を感じたカーネリアンだが、その意味を解する前にふたりは立ち去った。
聖女の出現と合わせるように、表舞台へ出てきたアルカス。まだ幼い相貌は、大公によく似ていた。
大公は先々代国王の末弟で、何かにつけて王族の在り方を突いてくる。
「失礼いたします、父上」
カーネリアンを認めて近衛騎士が扉を開くのと同時に、平穏な声を保って挨拶をした。
執務机の向こうで、やや疲れた表情の国王が笑む。
「丁度良い。奥で休憩をとろう」
暗に誰も近づくなと命令した王に、カーネリアンは黙って追従した。
簡素なテーブルセットが置かれた部屋だ。
重厚な壁画を描いた壁が、建国史の戦いを物語る。
「着いて参れ」
禁書庫の扉に触れ、王が肩越しに声をかけてきた。
この扉を開ける魔道具は、代々の王が継承する。王太子に指名されただけでは、勝手に開けられない仕組みだ。
「聖女が現れてから、わたしは禁書棚を確認した」
書籍や貴重な品が置かれた棚の間を歩きながら、王は言葉を紡ぐ。
「滅多なことでは、立ち入れない場所だったからな。今となっては、もっと早く確認しておけばと、後悔しかない」
カーネリアンは、まだ禁書棚に入ったことがない。
王太子妃を迎えて婚儀を成すまで、入室を控えるよう言われていた。
辺りが一段と暗くなり、古書の匂いが濃くなった。
向かったのは剥き出しの石壁に、頑丈な鉄扉のある場所だ。
ふっと息を吐き、立ち止まった王が呪文を唱え、独特の陣を空中に描く。仄かに発光する術式が鍵穴に吸い込まれて、錆びた金属音がした。
「次の王になるために、そなたは知らねばならぬ。建国の、真実を」
*****
夏祭りが終わった翌日。
シディアンは貴婦人の村特産の、絨毯工房を見学した。
王都の教会で鑑定の聖石を収めた礼拝堂は、美しいダルジア織りの絨毯が敷かれている。
建立した当時に敷かれた絨毯は別の場所へ移されているが、おおよそ百年前の絨毯がそのまま敷かれていると聞いている。
魔力鑑定で訪れた聖石の部屋には、息を飲むくらい美しい絨毯が敷かれていた。
全体的に色褪せてはいたものの、決して古びた感じは受けなかったと思い出す。
工房で見た品は色鮮やかで、ため息が出るほど美しく、何故だかほんの少し、ヴィバロッテを羨ましく思ったりした。
かつてクンツァイト領と呼ばれていた頃は、何度か避暑に訪れた。その時、この村が有名なダルジア絨毯の生産地だと、知らなかった。
だから思う。どうしてと。。
出発を明日に控えて、シディアンは祖母の執務室へ招かれた。父の執務室と同じように、関係書類や書籍が詰まった部屋だ。
一枚の書類を差し出したテューラは、穏やかに内容を説明してゆく。
シディアンが成人し、クンツァイト子爵家を継いだ暁には、貴婦人の村の相続権を譲ると言われた。これは正式な譲渡の提出書類なのだと、説明される。
この書類に署名をした時点で、領の収益はシディアンの個人口座へ貯蓄される。
自由に金銭を引き出せる成人に達するまで、テューラが後見して管理する内容だ。
「あなたのお父様は、賢い投資家ではありません。領民の生活を
声も出ないシディアンに、テューラはペンを差し出す。
「はぃ。おばあさま」
受け取ったペンの羽が震える。
昨日、ヴィバロッテを羨ましいと思った自分に、嫌悪感と羞恥心が湧いた。
「良き領主に、なりなさい」
祖母の言葉が背中を押した。
領地を豊かにするのが願いだと、ヴィバロッテは言った。ならば、自分も豊かな領地になるよう努力する。
ヴィバロッテに比べればささやかな領地だろうが、これ以上のものは他に無い。
包み込むように微笑む祖母を見返して、シディアンは強く頷いた。
「はい、おばあさま。ありがとうございます。ぼくも、おばあさまの孫ですから。精一杯、努力します」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます