第10話 お下りドレスの対価
再びクチュール『フォフリー』のカレンが、仕立て上がった商品を持って訪れたのは、採寸大会から十日ほど過ぎた午後のことだった。
クンツァイト家からヴィバロッテに与えられた仕立て直しの服の中には、落ち着いた象牙色のドレスが含まれていた。
裂かれたモスリンで花弁を作り、ドレスのスカート部分に散らしたデザインは、可憐に仕上がっている。大人しい色や飾りは、ヴィバロッテの好みにも合った。
「ヴィ。もしも顔合わせがあった時は、忘れずにお礼を言うのですよ」
ヴィバロッテを愛称で呼ぶテューラは、包み隠さず幼い孫に事実を教える。
クンツァイト家で、ヴィバロッテが都合の良い道具にされないようにと手厳しい。
定番の笑顔を湛えるテューラの言葉を受けて、ヴィバロッテは素直に返事を返した。
凝った装いのドレス二着は、昼間のお茶会に適した淑やかなものだ。後の三着は、ヴィバロッテの希望通りに、機能重視の普段着に仕上がっていた。
新しく誂えた数着の中には、濃い藍色の生地を、銀刺繍の蔦模様で覆ったものや、透けるほど薄い黄緑のモスリンを重ね、ふんわりと身体を包み込んで、愛らしさを強調した妖精タイプも見受けられる。
夜会服には足り無いが、正式なお茶会なら対応可能だ。
「王宮庭園に行きましょう。ちょうどスーレナの池が、一般公開されているわ」
浮かれるテューラに、日程の確認をするため、家令のウェイドが部屋から退出した。
「それなら、こちらの仕立て直しのドレスが、よろしいかと」
カレンの勧める青のドレスには、同色の細い紐を束ねたリボンが、ふんだんに使われている。青の細紐に金銀の糸を混ぜた豪華なリボンだ。それを蝶々結びにして、スカートの裾に連ねていた。
硬めのチュールを何枚も重ねてパニエを作り、スカート部分を膨らませるタイプだ。
フランス人形か、ビスクドールの衣装に似ていると、ヴィバロッテは思う。
「そうね、一度くらい身につけたほうが、向こうも喜ぶでしょう」
不意に副音声が、ヴィバロッテの頭に浮かんだ。
(頂き物はきっちり身につけて、目撃証言や証拠は残すのよって…? おばあさま? )
トルソーに着せた青のリボンドレスを眺めながら、頭に聞こえた音声を、ヴィバロッテは、ありえないと否定した。
疲れて幻聴が聞こえたかもしれないと、シーマに頼んで、カリカリの砂糖を振った一口パイを取り分けてもらう。
(リーフパイだ。おいしー)
カレンを労って始めた午後のお茶は、廊下から聞こえてくる言い争いで中断された。
くぐもったウェイドの低い声と、甲高い怒鳴り声が近づいてくる。
不意に力いっぱい扉を開けて、見知らぬ少女が部屋に入り込んできた。
左右を見回した顔が、ヴィバロッテの上で止まる。
「どろぼう! わたしのドレスを返しなさいっ」
ズカズカと近づいてくる少女を、マイヤーがやんわりと遮った。
「どきなさい! 使用人の分際でわたしの邪魔をするな」
足を止めた少女から目を逸らしたテューラが、扇子の裏で短く息を吐く。
「コーラル。招待も無しに押し入るなんて、どんな教育を受けたのですか? 無作法にも程があります。いい加減に常識を学びなさい」
微笑みからは想像できない、冷たい物言いだ。
「あら、痴呆が始まったの? お祖母様。ここはお母様の屋敷よ。追い出されて行き場のないお祖母様に、お母様がわざわざ用意してあげた屋敷じゃない。わたしの好きにしても構わないって、お母様ならきっとおっしゃるわ。耄碌して、そんなことまで判らなくなったのね。お気の毒」
得意満面なコーラルの言い分に、周りの大人たちが驚愕と嫌悪の表情になる。
「お
(能天気な妄想癖は、馬鹿な母親と同じね。愚か者同士、お気楽に過ごせて何よりだわ)
とんでもない副音声を聞き取って、ヴィバロッテは点になった目を祖母に向ける。
(わたし 頭が変になったのかな…おかしいよ、これ)
「ヴィバロッテ、コーラルに挨拶をなさい」
テューラが、コーラルと呼んだ少女から、視線をトルソーに着せたドレスへ移す。
元の持ち主へ礼をするようにとの、合図だと理解した。
ずいぶんと過激な言動をしている相手だが、淑女なら礼を忘れてはいけない。
微笑んで顎を引いたテューラの雰囲気は、胴震いするくらい怖いのだが、礼を失するとさらに怖くなる予感がした。
(あー、お礼を言わなくちゃ)
上から目線で言い放ち、ドヤ顔で腕組みするコーラル。その前へ進み出たヴィバロッテは、淑女の礼を披露した。
「お下がりのドレスを頂いた、ヴィバロッテです。お気遣い、ありがとうございました」
一瞬、幼児の所作に目を剥いたコーラルが、顔を歪めて腕を解いた。
「嘘おっしゃい! わたしのドレスを盗んだくせに! 」
噛み合わない会話に、幾つものため息が溢れる。
「コーラル。着なくなったドレスを押し付けてきたのは、あなたのお母様よ。こちらから強請ったように、言わないでちょうだい。ほんとうに、迷惑だわ。帰ったらあなたの専属侍女に聞きなさい。その子がすべて差配したのだから」
「はぁ? やっぱり惚けたの? おばあさま。それに、生意気な泥棒猫! おまえも調子に乗って、気取るんじゃないわよ! 」
誰も、止める間がなかった。
思い切り突き飛ばされたヴィバロッテが、テーブルの端で後頭部を強打し、床の上を跳ねて動かなくなる。
「ヴィ! 」
「お嬢様っ! 」
テューラとマイヤーの悲鳴が重なった。
ピクリともしないヴィバロッテに、動揺したコーラルが後退る。
「なによ。悪いのは、盗んだその子でしょ。汚い野良猫のくせに」
「お黙りっ! 」
テューラから、初めて剥き出しの怒りを浴びたコーラルは、竦み上がった。
「魔術医を! ジルハンを呼んでっ」
形振り構わず叫んだテューラの声に青くなったコーラルは、味方を求めて周りを見回した。だが、返ってくるのは突き刺さる視線だけだ。
「なによ。わたしは子爵家の長女よ! お母様を苦しめた汚い女の子供なんて、何をしても許されるんだから! そんな子の味方をする使用人なんか、もういらないわ。お母様やわたしを虐めるお祖母様なんて…とっとと死ねば良いのよ! 」
「コーラル様」
止めようと踏み出したシーマだが、倒れたままのヴィバロッテを見て足が止まった。
「みんな 大嫌い! 」
身を翻して走り出すコーラルを、誰も止めない。
「……愚か者など、捨て置きなさい」
言外に見捨てたと言うテューラからは、凍えるような感情が溢れ出していた。
*****
痺れていた頭が軽くなり、心地よく目が覚めた。
開いた目の前に、白くて長い指がある。
少々節くれだった大きな手から、柔らかな光が湧き出していた。
「ご気分はいかがですか? お嬢様。まだ痛いところはございますか? 」
視線から消えた手のひらの向こうには、穏やかな笑みを湛えた白衣の青年がいた。
「ぇと、だいじょうぶ です? 」
状況が掴めないヴィバロッテは、中途半端に疑問形の答えを返す。
「大奥様を、お連れしますね。そのままで、お待ちください」
そっと前髪を撫でてゆく仕草に、なんだか気恥ずかしくなる。
ぼんやり天蓋を見ていると、コーラルに突き飛ばされた記憶が戻ってきた。
「あの子、びっくりしたなぁ」
続きで思い出して後頭部を撫でるが、こぶにもなっていなかった。
「返してって言ってた。きっとドレスの事よね。もの凄く怒ってた。宝物だったのかな」
廊下から人の気配が近づいてくる。
いちばんに入ってきたのは、テューラだ。
「大事にならなくて、よかった。痛い思いをさせて、ごめんなさいね」
微笑んでいるのに泣きそうなテューラを見て、ヴィバロッテは身体を起こした。
こんな顔はさせたくないと、強く思う。
「おばあさまは、悪くないわ。わたしがもっと気をつければ良かったの。きっと、お下がりのドレスは、あの子の大切な宝物だったのよ。ごめんなさいをしなくちゃ」
瞬きしたテューラに抱きついて、ヴィバロッテは頭を埋める。
「どこも痛くないの。だいじょうぶなの、おばあさま」
ゆるゆると抱きしめてくるままに、身をまかせる。
「ほんとうに……あなたは、なんて子なの」
*****
「わたしは悪くない。わたしは悪くない。わたしは悪くないっ」
本宅の薔薇園を抜けながら、コーラルは呪文のように呟き続けていた。
(お母様は、ほんとにドレスをあげなさいって、マジーに言ったの? わたしの大切なドレスだったのに、あげてしまったの? )
マジーを問い詰めようと、コーラルは決心した。
「わたしは悪くない。ちゃんと言わないマジーのせいよ。マジーが悪い」
数日後。
領地にいるクンツァイト子爵夫人から、クリフトを解雇するようにと、王都の屋敷に通知が届いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます