第11話 思惑の交差
コーラル襲撃事件? があった数日後。
ヴィバロッテは緑が濃いコンフリー邸の森を、背の高い騎士と散歩していた。
読み書き計算の座学を終え、テーブルマナーを兼ねた昼食を経て、体力作りの午後の授業の真っ最中だ。
教師はコンフリー子爵家の私設警護団副団長、ヒューバー・プランドだった。
しっかり鍛えた筋肉質な体躯は、ゴリラ体型一歩手前だろうか。
標準より小柄なヴィバロッテの目線が、ヒューバーの膝上くらい。
ふたりが手を繋ぐには、微妙な位置の体格差だ。
まだ三歳。
正確には四歳前のヴィバロッテに、過激な運動などできる筈もなく、森の中を巡る平坦な道を散歩していた。
つばの広い夏用の帽子が邪魔で、前方以外に視界は遮られている。
『ピュチュ』
さっきから小鳥の鳴き声が聞こえていた。
前や後ろ、左右に頭上と、あらゆる方向から囀っている。
「あ 」
不意に目の前を遮って、数歩先に紫紺の鳥が舞い降りた。
優美な細い身体。羽根の先に銀が散り、胸は白雲。手のひらくらいの小鳥だ。
「ラピス! 」
思わず大声を上げたヴィバロッテに『うーるさい』と聞こえる返事が帰ってきた。
差し出した幼い手に止まったラピスを、ヒューバーは冷静に観察する。
「小夜鳥 にしては、色が」
長い尾羽根をひくひくさせて地面に降り、周りを跳ねて首を傾げる。
「ついておいで。おばあさまに紹介するわ」
散歩を切り上げ、中庭のガゼボに向かった。
昼食後のテューラは、風の通るお気に入りの場所で、ゆったりお茶をする。
今日は丸い型で固定した絹布に、華やかな刺繍を刺していた。
「おばあさま」
鼻にかけた眼鏡の上から、テューラのやんわり笑んだ目が見える。
視線がヴィバロッテの頭に行き、僅かに目を見張った。
帽子の天辺には、艶やかな紫紺の小鳥が止まっていて、恐れる様子もなくテューラを見返している。
ヴィバロッテが動くたびに羽根を広げ、落ちないようにバランスをとる姿が余りにも愛らしく、テューラは滅多に見せない素の笑顔を浮かべる。
「あらあら、可愛らしいお客様ね。お菓子でおもてなししても、良いかしら? 」
誘いの言葉を解した訳ではないだろうが、羽ばたいた小鳥はテーブルの端に着地して、ヴィバロッテが座る様子に首を傾げる。
「木の実のタルトでございます。お客様の好みに合えば宜しいのですが」
甘みをおさえた一口サイズのタルトの皿を、シーマが澄まし顔で小鳥の側に置く。
『チュ』
今度はテューラに向けて、一声囀った。
「まぁ、どうぞ召し上がれ」
『クチュ』
トントンと跳ねて皿の縁に着地した小鳥が、静かにタルトを啄ばみ始める。
「おばあさま。ラピスはとってもお利口さんなの。それでね、それでね、飼ってもよいですか? お願い」
野良の子猫か子犬でも拾ってきた子供が、懸命におねだりするパターンだ。どうやら口調から、顔見知りの小鳥だと分かる。
「ヴィバロッテのお友達かしら? 」
クンツァイト家に引き取った日の状況報告は、魔術医から詳細に聞いていた。
発見時に大怪我をしていた事。栄養状態が悪い事。食事事情が悲惨だった事。
成り行きで屋敷に引き取ったヴィバロッテと対面した時、服装以外はスラムの孤児かと錯覚した。
「あのね、ずっといっしょに居たの」
恐らくは母親に放置され、元の使用人に虐待されて育ってきた子供の、唯一の友。
テューラは目の奥の痛みを飲み込んだ。
「良いでしょう。しっかり面倒を見てあげるのですよ」
心配そうだった幼い顔に、笑顔が戻る。
「ありがとう、おばあさま」
『ピクチュ』
頃合いの良い囀りに空気が緩み、強面の副団長が何かを飲み込んで、小さく噎せた。
*****
「お言いつけ通りに、隣との境界壁は強化の魔法陣を刻んだ上で石積みを終え、厳重に封鎖致しました。追加で、すべての境界壁の上部には、麻痺の効果を持たせた魔石を埋め込んでございます」
ウェイドの報告に、テューラは満足の目線を向ける。
コーラルが仕出かした暴力に、これ以上の干渉は絶とうと策を施した。
「こちらから干渉しても、あちらからの干渉は許しません。どうやらモスコー伯爵の領地は、色々と忙しいようだから、準備をしておいて」
口角を引いたウェイドのモノクルが、窓辺の花を写した。
「承知致しました。抜かりはございませんが、より一層の手配を致します」
テューラの前には、テーブルいっぱいに広げた書類がある。そのひとつに目をやって、悪戯が成功したように目を輝かせた。
「出入りの商人は? 」
クンツァイト家が利用する商家は、先々代の頃より替わっていない。
月払いから年払いまで、決済の自由が効く信用篤い間柄だ。
「すべての商品を、現金払いにするよう通達済みでございます」
貴族家はお抱えの御用達商人と、滅多な事では即金で取引をしない。
支払い方法の変更は、すぐに商会ギルド全体に広がるだろう。
一昨日。解雇されたクリフトが、筆頭執事カリスの紹介状を持って訪ねてきた。それには子爵家の内情と、モスコー伯爵家の介入が強まったと記載されていた。
「勝手はさせません。 あぁ、スーレナの予約は、どうなって? 」
顎を引いた笑みが深くなる。
「明後日の午後には、整うかと」
開いた扇子が、満面の笑みを遮った。
「そぅ、楽しみね」
*****
日差しが強まるなか、初めてのお出かけにヴィバロッテは浮かれていた。
青のリボンドレスは繊細で、ヴィバロッテが妖精のように見える。
白くてパサついた髪は、ほんのり桜色を取り戻し、青白く飢えていた顔は薔薇色だが、まだまだ痩せて、折れそうな体躯は痛々しい。
「おばあさま。人がいっぱいです」
一般公開される王宮管理の庭苑は、下位貴族の区画にある中央公園から入れる。
公園内には一箇所だけ庶民が通れる門があり、スーレナの公開に合わせ、年に一度だけ庭苑への門は開かれた。
年に一度という事で、目一杯に着飾った娘や、気取った若者も多い。
公園側から高い壁に囲まれた庭苑に入ると、刈り込まれた見事な芝生の先に、湖ほどの池が広がっている。
遥か向こうの対岸は貴族専用で、庶民は大輪のスーレナの群生と、競うように華やかな貴族たちの姿を鑑賞できた。
ヴィバロッテが居るのは王宮から入れる区画で、遥かな対岸を移動する庶民のカラフルな衣装にはしゃいでいる。
(わぉー。スーレナって、古代蓮に似てるぅ。色はアメジストだわ。きれー )
水面に広がる鮮やかな濃い緑と、顔をもたげた紫の大輪が、そよと風に揺れた。
「突然に失礼を致します、コンフリー女子爵様。お言葉を頂いても、宜しいでしょうか」
ヴィバロッテの傍で池を眺めていたテューラに、騎士のひとりが恭しく礼をとる。
「許します」
肯定に跪いた騎士は、持参した封書を、控えるマイヤーに差し出した。
マイヤーは差出人を改めて開封し、開いたカードをテューラに見えるよう捧げる。
王家の紋章と王妃の印を押したカードには、午後の茶会に誘う文字が踊っていた。
「まぁ、嬉しい事。謹んでお受けしますと、伝えてくださいな」
*****
「おかしいわ。どうして、まだ大人なの? 早くヴィバロッテにならなくちゃ、ゲームが始まっちゃう。なんでよぅ、なんで? 」
スーレナの池の隅。
ぼろぼろで、すっぱい臭いがするマントを被り、挙動不審な女が対岸の華やかな貴族たちを睨んで、呟いた。
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