第9話 ドレスいろいろ 人も色々
テューラから呼び出しを受けたクチュール『フォフリー』の店主カレン・フォフリーは、その日の午前中に、コンフリー子爵邸へ到着した。
いつものごとく、専属侍女バーモットの先導で、テューラの私室へ案内される。
「ようこそ、カレン。元気そうで何よりね」
当たり前に差し出されたテューラの指先に、カレンは恭しく唇を落とした。
「テューラ様のお呼びですもの。地の果てからでも、お側に参ります」
「ぅふ。ありがとう」
これが男女の間なら、さぞかし絵になっただろうかと、お茶の用意をするバーモットが苦笑を堪える。
「難題になるかしら。貴方の技量に期待しているわ」
テューラが指し示す先に悲惨なドレスの山があり、服飾をこよなく愛するカレンを強張らせた。
「……これは、なんとも」
労わるようにカレンが手に取ったドレスは、サイズから見て幼児のものだ。
「この年齢には相応わしくない、贅沢な品ですね。持ち主のお名前を伺うのは、不敬にあたるでしょうか」
席に着くよう勧められたカレンが、名残惜しそうにドレスを撫でながら伺いを立てる。
「コーラル嬢。クンツァイト子爵夫人の娘です」
子爵の娘ではなく、子爵夫人の娘と言い切るテューラの感情を、カレンは理解できた。
優雅にティーカップを持ち上げ、お茶とともに吐息を飲み下す。
「なるほど」
社交界において、コルネリア・クンツァイトとテューラの相性は有名だ。
「わたくしの新しい孫に、お下がりを下さったそうよ。せっかくだから、使えるようにして下さらない? もちろん、新しい普段着は、別にお願いね」
顎を引いて優しく微笑むテューラの仕草を、カレンは嫌というほど経験していた。
ここまで戦意を煽った相手に、哀れみが湧く。
「畏まりました、マイレディー。全力を尽くします」
意気込みを込めて姿勢を正したカレンが、本気の気配を放った。
再びドレスの残骸を手にとって、丁寧に状態を確かめる。
「呆れます。よほど手荒く引き千切ったのでしょう。まったく、衣服に対する冒涜です」
ドレスを並べ替え、色合わせをするカレンから、憤りが漏れてくる。
「重ねたチュールやモスリンですが、このままでは使い物にはなりません。ただし、これを使った小花やリボンの縫製は、可能です」
何枚も重ねたチュールのお陰で、土台のドレスは修復可能な状態だった。
「二着は、軽いお茶会用のドレスに。三着は部屋着にお仕立てできるかと」
バーモットが用意した衣装箱へドレスを納め、自信たっぷりにカレンは言った。
「そぅ、お任せするわ。後はお願いね。わたくしを虜にした孫に、会ってちょうだい」
*****
コンフリー邸に移った翌日。
昼食を終えた後にヴィバロッテを訪ねて来たのは、凛々しいという表現がぴったりな、素敵な御仁だった。
「カレン・フォフリーと申します。野薔薇の姫、お見知りおきください」
片膝をついて騎士の礼をとるカレンは、前世の記憶にある男装の麗人だ。
「初めまして。ヴィバロッテ・クンツァイトと申します」
昨日、テューラに教えられた通り、家名はクンツァイトと名乗った。
片手はスカート部分を摘み、片手は胸に添えて頭を下げ、軽く膝を曲げる。
半日練習した挨拶は、簡単なようで至極困難だった。両手、両足、頭、腰と、滑らかな動きを同時に求められる所作は、存外に難しい。
(あ あれ? ちょっと動きが変? )
ゆっくり上げた視線に、蕩けるような笑みが飛び込んできた。
(ぉふ 眩しい)
どうやら間違ってはいなかったと、胸をなでおろす。
目上の者に対するカーテシーとは違い、簡略化された淑女の挨拶は、使いどころを間違うと不敬にあたり、逆に目下の者へのカーテシーは、愚か者と嘲笑される。らしい。
「わたしは、クチュール『フォフリー』の店主でございます。姫のドレスを縫製するにあたり、採寸に伺いました。よろしくお願い致します」
そこからは、怒涛のひと時が始まった。
マイヤーを筆頭に、侍女軍団に為されるがまま、薄い肌着で採寸大会だ。やっと終わった時に、情けなくもへたり込んだ失態は、目こぼしにあずかった。
「姫は可能性を秘めた原石です。心して、ご自身を磨かれますように」
惚れてしまいそうなセリフを口にするカレンへ、気力を掻き集めて願い事を言う。
「わたし、動きやすい服が好きなの。あまり凝ったものにしないでください。おねがい」
片手で口を覆ったカレンから、異性の色気が滲む。
(わぉ 惚れる)
「畏まりました。わたしの、小さなレディー」
どこぞの歌劇団ばりの雰囲気を振りまいて、颯爽と帰るカレンを玄関で見送った。
「あぶない人よね。ときめいちゃった」
頭の後ろから、マイヤーとシーマの変な咳が聞こえた。
「失礼いたしました、お嬢様。晩餐の前に、浴室へご案内いたします」
振り返れば、笑いを堪えたふたりと目が合う。
「カレンさんって、不思議な人だと思うの。マイヤーだって、そう思うでしょ? 」
「確かに。印象の濃い御方です。とても誠実な御方でもありますが」
シーマに手を引かれて浴室へ着いた途端。待ち構えていた侍女軍団に捕まった。
「さぁ、お嬢様。カレン様のおっしゃったように、磨きましょうね」
語尾にハートが付いていそうな勢いに、ヴィバロッテは条件反射で頷くも、それが引き起こす惨状に気がついていない。
「うっそぉー」
浴室に木霊した子供の声は、悲壮感で裏返っていた。
*****
二日休みの週末に、コーラルは自宅へ帰って来た。
見習いとして家に残り、学堂へ同行できなかったマジーが心配だったからだ。
玄関に降り立ったコーラルを迎えたのは、筆頭執事のカリスと執事補佐のクリフト。
嬉しそうなマジーの他には、見知らぬ侍女がひとりだけだった。
侍女長のマイヤーと補佐のシーマ。他に見知った顔ぶれが居ない。
「わたしが帰ってきたのに、ずいぶんと貧相な出迎えね」
恭しく礼をしていたカリスが、静かに顔を上げた。
「ほとんどの者は、自ら進んで他家に移りましたので。新参者をお嬢様の御前には、出せません。暫く御不自由をおかけしますが、ご容赦ください」
慇懃無礼に接するカリスが、不愉快だと思う。
態度は丁寧だが、コーラルを敬っていないと肌で感じる。
「そう、どうでもいいわ。ねぇ、野良猫の娘をわたしの部屋によこしなさい。あぁ、綺麗に洗ってからで良いわ。病気がうつると嫌だから、消毒もしなさい」
返事など必要なしに、カリスの横をすり抜けた。
「来なさい、マジー」
一声かけたコーラルの後を、カリスも追従してくる。
「なんなの! 」
苛ついて立ち止まったコーラルに、カリスは礼をした。
「ヴィバロッテお嬢様は、居られません。大奥様のお屋敷に行かれました。領地の奥様から、ご指示がございましたので」
大奥様と聞いて、コーラルは盛大に顔をしかめた。
今は無いが、同居していた頃は、頻繁に悪口を言われたものだ。
「足運びに気をつけなさい。つま先まで神経は使うものです」とか。
「前屈みの食事は見苦しいと、何度言いましたか? 」やら。
「他人に歯を見せてはなりません。感情は宥めて、微笑みは絶やさない」など。
ことごとく人の動作を突いてくる。じつに陰湿ないじめだ。
母親が離れに追い出して清々したと言うのに、名前を聞けば怒りが蘇る。だがそれも、うるさい祖母が居なくなったのだと思い、鬱陶しさは消滅した。
「お母様が、お祖母様と同じように、野良猫を追い出して下さったのね。よかった」
幽閉の為に造った離れは、高い石の壁で隔離し、屋敷の奥の奥に建てたと、母親から聞いていた。もう二度と、クンツァイト家の邪魔者が、本宅で大きな顔をする日はない。
「部屋に行きます。お茶の用意をして」
コーラルの部屋は、二階の東側にある。お気に入りの薔薇園を眼下に臨みながら、バルコニーで軽食を楽しめる場所だ。
華やかな四季咲きの薔薇が空間を埋め尽くし、濃い芳香にうっとりできる。
自分専用の居間から寝室の前を横切った時、奥の衣装部屋が開け放たれているのに気がついた。
「どうして」
何気なく覗いた衣装部屋の中で、着なくなったドレスを収めた一角が空いている。
近づくごとに違和感が大きくなった。
「無い、無いわ」
着なくなって久しいドレスが、幾つか無くなっていた。
重ねたチュールがふわふわで、特別におねだりして縫い付けてもらった宝石が、動くたびにキラキラと美しかったドレス。
胸や袖口、ひらひらの裾に、繊細なレースを付けたもの。
細かな刺繍を刺したリボンで飾ったドレスなど、お気に入りが消えている。
「マジー! ここにあったドレスは何処? 」
悲鳴に近い声で呼ばれ、すぐ後ろにいたマジーが飛び上がる。
「何処にやったの! すぐに持ってきてっ! あれは大切なの、はやく! 」
真っ青になって震えだしたマジーに、苛立ちが膨れ上がった。
「言いなさい。何をした」
懸命に話そうと口を開け閉めするマジーの顔を、コーラルは手のひらで打った。
「言え」
ぼろぼろ泣き出す様に、初めて抑えきれない怒りを覚える。
「おく 奥様が、妾の子に、お下がりを って、わた わたしに、手紙を」
おぼつかない物言いから「妾の子」と「お下がり」の言葉だけが耳に入り、コーラルは叫び出したい衝動を堪えた。
「ひどい、わたしのお気に入りを勝手にやるなんて、ぜったい嫌。いやよ! 」
半狂乱で駆け出したコーラルを、マジーは唖然と見送るしかない。
(失敗した? どうしようっ どうしたら良い? どうしたら)
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