第8話 家庭内…なんやかや
コンフリー邸に向かう途中、咲き乱れる薔薇園で剪定していた庭師が、荷物の運搬を申し出た。
陽気な男で、シーマに気がありそうだとヴィバロッテは思う。
シーマに抱かれた状態で石造りの塀を越え、森の道を辿った先に、感じの良い邸宅が見えてきた。
住む人の人柄が現れるのか、心地よい佇まいだ。
「あれが、大奥さまのお家? 」
「 さようでございます、お嬢様」
迷うように躊躇ったシーマは、なんとも言えない顔で口を噤む。
広い馬車寄せの屋根が張り出した正面玄関には、数人の使用人が並んで出迎えていた。
「ようこそいらっしゃいました、お嬢様。大奥様がお待ちです」
老齢の執事に挨拶され、ヴィバロッテはシーマの腕から降りる。
マイヤーもシーマも、後ろに控えて頭を下げたままだ。
「出迎えを、ありがとうございます。ヴィバロッテです。よろしくお願いします」
スカートを摘み、ちょこんとカーテシー擬きで腰を折った。
「はい。よろしくお願い致します。わたしはコンフリー子爵家の家令で、ウェイドと申します。大奥様がお待ちでございますので、ご案内いたします」
マイヤーたちを振り返れば、頷くだけで動こうとしない。
「お嬢様。使用人はここからの出入りを、いたしませんので」
優しげに促すウェイドを見上げ、納得した。
「分かりました」
明るい玄関から両開きの扉を潜り、開け放された窓越しに、庭を眺めながら奥へ行く。
風の通るタイル張りのサロンや、夏の装飾が美しい接客室を横目にして、突き当りの扉に行き着いた。
カット硝子の嵌め込まれた重々しい扉が、ゆっくりと内側に開く。
白を基調にした家具に囲まれ、猫足のソファーに腰掛けた華やかな女性が、ヴィバロッテを観察するように、目を細めていた。
「大奥様の、テューラ様でございます」
片膝を付き、そっと背中を押したウェイドが、耳元で囁いた。
「……」
何かの本で、身分の高い人には、先に声を掛けてはいけないと書いてあった気がした。
ヴィバロッテはカーテシー擬きの格好をして、とりあえず頭を下げる。
間違っていても、三才児に気分を害する大人はいないだろうと、腹を括った。
「母親に似なくて、なりよりです。お名前は? 」
なんとなく、頭を上げてはいけない雰囲気だ。
「ヴィバロッテ・アン・モナイトです。大奥さま」
僅かな沈黙の後、堪えきれない笑声が響いた。
「分を弁えた答えね。コルネリアよりも、お利口だわ。顔を上げなさい、ヴィバロッテ。わたくしは、テューラ・クンツァイト。前子爵の妻で、あなたの祖母よ」
真っ直ぐ見上げたヴィバロッテに、柔らかな笑みが向けられていた。
「おばあさま? 」
「そう、あなたのお祖母様ね」
いっそう深くなった微笑みに、ヴィバロッテから緊張が解けた。
「お目にかかれて嬉しいです。おばあさま」
広げたテューラの腕にそっと抱きつけば、優しく背中を撫でてくる。
今生で初めて感じる親愛に、ヴィバロッテは屈託無く笑顔を咲かせた。
テューラとヴィバロッテの顔合わせに、和やかな会話が始まった頃。
使用人の作業部屋では、重苦しい空気が密度を増していた。
「許し難い行為です。侍女見習いが、幅を効かせるなんて。筆頭執事にさえ反抗する見習いなど、聞いたこともありません。コルネリア様は、子爵家の規律を無視なさるのですか」
作業台に広げたドレスを撫で、ヴィバロッテに対して痛ましさが募るバーモットだ。
「後で、大奥様にご覧頂きましょう。お下がりのドレスなら、放置はできません」
ほぅっと息を吐いたマイヤーに目線を移し、バーモットは目元を緩めた。
「感謝しますバーモット。それから、これを大奥様にお願いします。わたしとシーマは、本日をもってクンツァイト子爵家からお暇をいただきました。なので、どうかヴィバロッテお嬢様の侍女として、雇って頂きたいのです」
差し出した分厚い封書とマイヤーを見比べ、バーモットがあんぐりと口を開ける。
「バーモット? 聞こえていますか? 」
マイヤーの問い掛けに、緑の目が瞬いた。
「……は? おい とま」
頭に意味が浸透するなり、空恐ろしい笑みがバーモットを彩った。
「コルネリア様って、やっぱり馬鹿だった? いや、完璧に馬鹿でしょ」
淑女らしからぬ仕草でもって、笑い飛ばす。
「ふたりとも、コンフリー子爵家へようこそ。大奥様も、お喜びになられるでしょう」
口に手の甲を当てて高笑いしそうなバーモットに、マイヤーもシーマも引いた。
*****
いつになく笑顔の増えた晩餐が終わり、ヴィバロッテが自室へ下がった頃合いに、マイヤーを従えたバーモットが居間へ入ってきた。
「あら、バーモット。湯浴みの支度が整ったの? 早いわね」
ウェイドが用意した食後の薬草茶を手に、テューラは怪訝な眼差しを向ける。
「申し訳ございません、大奥様。ご覧頂きたい品と、ご相談申し上げたい事がございまして、マイヤーを同伴させました。ウェイドさんにも同席をお願いしたく存じます」
ふっと、部屋の空気が変わった。
「許します。話しなさい」
許可を得たバーモットが扉を開き、若い侍女がカートを部屋に入れて退出した。
「コルネリア様の指示で、ヴィバロッテお嬢様に、お下がりと称して下された、コーラルお嬢様の、お小さい頃のドレスです」
テューラの脇にカートを寄せ、掛けていた布を取る。
「あらまぁ、良い趣味だこと」
何事も無く言い切ったテューラは、軽く鼻で笑った。
「で? 話しとは? 」
顎を引いて穏やかに微笑むテューラの仕草は、臨戦態勢に入った合図だ。
「マイヤーとシーマが、子爵家にお暇を頂きました。正しくは、暇乞いを強要されるような解雇…でございましょうか」
ティーカップを置いて、ハラリと開いた扇子が、深みを増した口元を隠す。
「そぅ。ならば、ヴィバロッテの専属侍女は、ふたりに決定ね。手間が省けて結構よ」
姿勢を正して閉じた扇子が、空いた手のひらを軽く打つ。
「カレンを呼んでちょうだい。せっかく頂いたお下がりは、美しく仕立て直しましょう。ヴィバロッテに一番相応しいよう、可憐なデザインにしてもらうの……新しいドレスも、コンフリーの名に恥じない物を、用意させて」
カレン・フォフリーは、テューラが育てたクチュールの店主だ。
様々な国の民族衣装を淘汰し、この国で流行を牽引する老舗を立ち上げた女傑だ。
嬉々として指示を出すテューラから、燃えるような覇気が立ち昇る。
消えかけた闘志に火を点けてどうするのかと、マイヤーが頭を抱えたのは、綺麗に無視された。
「思い知りなさい、コルネリア。貴方が避けてきた事を、後悔なさいな」
*****
「くしゅん」
近隣の領主夫人に招かれた夜会の帰り道。
馬車に揺られるコルネリア・クンツァイト子爵夫人は、極上の絹モスリンで仕上げたハンカチを出し、可愛らしい鼻を押さえた。
夜半をとうに過ぎたとはいえ、真夏の夜が寒い筈はない。
「奥様、夏風邪でもお召しになりましたか? 」
嫁ぐ前から仕えている専属侍女のカーリーが、シフォンのショールを肩に掛ける。
「変ね。急に寒気がして、不安な気がしたの」
「もうすぐお屋敷です。熱い湯をご用意いたしますね。ゆっくりお身体をほぐせば、大丈夫でございましょう」
七才年上のカーリーは、いつもコルネリアを思い、甘やかしてくる。それが心地よく、手放さないままクンツァイト子爵家に嫁いだ。
テューラの嫁いびりから果敢に守ってくれたのも、カーリーだけだった。
「王都に帰りたくないわ。御義母様ったら、いちいち言いがかりをつけるもの。あ〜ぁ。今年こそは、カレン・フォフリーのクチュールで、ドレスを作りたいわねぇ。どうして予約が取れないのかしら。ほんとに不思議」
三人の子供を持つ母親の言葉ではない。
なぜ予約が取れないか承知しているカーリーは、他のオートクチュールの新作を引き合いに出し、飽きっぽい主人の気を逸らした。
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