第7話 お引越しです!

 居間に移動した前子爵夫人のテューラは、ゆったりとソファーに腰を落ち着けた。その頃にはマイヤーも気持ちを持ち直し、軽く膝を折って挨拶の体勢に入る。


「ラインドルフが、愛人との子供を引き取った経緯は承知しているわ。侍女長のあなたに全権を委任したと、わたくしにも手紙が来ました。で? 何が厄介なのかしら? 」


 王都の本宅へ手紙を出すのと同時に、クンツァイト子爵は母親にも手紙を出していたと判明した。

 これで少しは、ヴィバロッテの立場が好転しそうだと、マイヤーは胸を撫でおろす。


「実は先ほど、領地の奥様からヴィバロッテお嬢様の待遇について、細かな指示をしたためた手紙が参りまして。全権を委任して下さった旦那様の御指示と、奥様の御指示との違いに、困惑しております」


 笑顔のまま表情を固めたテューラが、素早く扇子で口元を隠す。


「ヴィバロッテお嬢様を、大奥様のお屋敷に向かわせるようにと」


 何とか言葉を言い換えるマイヤーに、テューラの冷たい視線が刺さった。


「はっきり言いなさい。邪魔者は離れに移せと言ってきたのでしょう? どうせこの屋敷も、クンツァイト子爵家の物だと思っているのでしょう。ほんとうに、相変わらず、だこと」


 テューラは数年前に、継ぐ者が絶えた実家の爵位と資産を受け継いだ。

 前クンツァイト子爵の夫人でありながら、女子爵となったテューラには、ふたつの名前がある。

 クンツァイト前子爵夫人と、コンフリー女子爵。


 コンフリー家は、小さいながらも豊かな領地を持つ旧家だ。

 テューラがこのまま他界すれば、コンフリー家の権利は、黙っていても息子のクンツァイト子爵に移行する。

 コルネリアに甘いクンツァイト子爵の事だ。将来は妻の浪費に当てて、コンフリーの私財を食いつぶすだろう。

 嫁の散財で消えると思えば業腹だが、死後の事まで采配する気はない。どうにも致し方ないと、諦めた経緯がある。だが、命のある限り自由に使うのは、テューラの勝手だ。


「良いでしょう。その子を引き取って、最高の淑女に仕立て上げます。今すぐに連れていらっしゃい」


 並々ならぬ闘志を滾らせるテューラに、マイヤーは心の中で頭を抱えた。


「ありがとうございます、大奥様。早速、準備に取り掛かります」


「こちらの準備は、バーモットに一任しますからね。良いように計らってちょうだい。週末にはコーラルが帰って来ます。子供同士、顔を会わせるには、時期が早い」


 母親に似て思ったままを言葉にするコーラルは、祖母のテューラにさえ辛辣だ。


「かしこまりました。仰せの通りに致します」


 暇乞いをして森の邸宅を出た辺りで、マイヤーは深い息を吐き出した。


「大奥様の暴走が、こわい」


 多分に波乱含みな展開だが、ヴィバロッテの落ち着き先が決まったのは僥倖だったと、肩の荷は降りた。

 来た道を辿って急ぎ引き返す。

 お下がりのドレスから付属品を取り外すには、繊細な作業が必要だ。今頃シーマが懸命になっているだろうと、優先的に行先を決めた。


 使用人に当てられた作業部屋に着いた途端、マイヤーは静かに怒るシーマを発見した。

 極限の怒りで涙ぐむシーマの手には、ズタズタに引き裂かれたドレスがある。


「どぅ したの。それは」


 受け取って良く見れば、飾りを引きちぎったような状態だ。


「コーラルお嬢様の、お下がりのドレスです。領地の奥様から手紙が来て、御指示通りに華美な飾りは除いたので、持って行けと渡されました」


 五着のドレスは、どれもボロボロだった。手直しできる範囲を越えている。

 専属侍女見習いの傲慢な悪意を感じた。子爵夫人の名を盾にして、侍女長に対抗する思い上がりが、マイヤーの許容範囲を越える。


「すぐにお嬢様の荷物をまとめなさい。お召しになる身の回りの品だけで良い。これ以上この屋敷に居るなど、我慢できないわ。わたしから筆頭執事に申告します。場合によっては、領主代行に直訴します。平気でこんな事をするなんて、信じられない。一刻も早く、大奥様のお屋敷に参りましょう」


 シーマに移動の準備を任せ、マイヤーは筆頭執事の執務室に向かった。

 両腕に抱えたお下がりのドレスから、衣擦れの音がする。

 本来なら心地良いそれが、耳に障って苛立ちを煽った。


(わたしが指導する侍女教育に、お嬢様や奥様がご不満なら、もう、このお屋敷に居る意味はない)


 いつもより忙しないノックをして、マイヤーは筆頭執事の執務室へ入った。

 書類から顔を上げたカリスが、マイヤーの抱えているドレスを見て唖然となる。

 冷静沈着な筆頭執事の仮面が、すっぽりと剥がれ落ちた間抜け面だ。


「カリス筆頭執事。この状態のドレスを、シーマが専属侍女見習いから受け取りました。奥様はわたしを通さず、専属侍女見習いに直接指示を伝えたそうです。それは、侍女長であるわたしなど、必要が無いと判断された証。どうぞわたしとシーマを、解雇なさってください。わたしはシーマを連れて、大奥様の御屋敷に参ります」


 黙って頭を下げるマイヤーに、筆頭執事は開いたままだった口を閉じた。


「本気か? いや、そうか 」


 本宅の実権を握る侍女長を、コルネリアが煙たく思っているのは事実だ。 


「この度の奥様の御指示は、子爵家の規律を乱すものです。分を越え、目上の者に指図できる環境を、奥様は作られたのです。旦那様の御指示を受けたわたしを阻害し、奥様が侍女見習いを重用なさるのであれば、わたしはお暇を頂かねばなりません」


 小さく息を飲んだカリスは、眉間を揉んで微かに吐息する。


「わたしはコーラルお嬢様の侍女見習いを、厳しく教育して頂きたいと、あなたにお願いしました。コーラルお嬢様の威を借りて、わたしの指導には従えないと、本人が頑なに反抗するからです。使用人として、信じられない態度を取るからです。なぜ、わたしやシーマに対する態度が反抗的なのか疑問でしたが、お暇を頂ければ関係はございません」


 硬い言葉遣いに、止めても無駄だと、カリス筆頭執事は理解した。

 マイヤーは、代々クンツァイト子爵家に忠誠を捧げてきたベイ家の長女だ。同じ一族の長としても、妹の頑固さには敵わない。ここまで怒れば、もう誰にも止められない。


「承知した。大奥様に事の次第をお伝えする手紙を預ける。ヴィバロッテお嬢様のお部屋まで、直接に届けよう」


「はい。永らくお世話になりまして、ありがとうございました。失礼致します」


 清々した面持ちで出て行くマイヤーに、カリスは深々と息を吐いた。


*****

 マイヤーがヴィバロッテの部屋に顔を出した時、すでに荷物は纏められていた。

 大きめのトランクひとつは、ありえない少なさだ。

 先に自分の荷物を纏めるよう、シーマに言いつける。


「お茶とお菓子をご用意しました。召し上がりながら、わたしの話をお聞きください」


 年齢のわりに大人びたヴィバロッテなら、きちんと理解するだろうと、包み隠さずすべてを話す。

 クンツァイト子爵の意向と、子爵夫人の意向が食い違う事。ヴィバロッテに対する理不尽な対応を避けるため、前子爵夫人の邸宅に移動する事を説明する。


「大奥さまのお家に行くの? 」


 今ひとつ分かっていないようなヴィバロッテに、マイヤーは曖昧に頷いた。


「そう、楽しみね」


 屈託無く笑みを浮かべる幼い主人に、胃が痛むマイヤーだ。

 荷物を纏め、簡素な服に着替えたシーマと交代し、マイヤーも自室に下がる。


 領地のクンツァイト邸から王都の屋敷に移ったのは、マイヤーが侍女見習いだった頃だ。

 十代になったばかりの小娘にとって、王都の本宅は息を飲むほど煌びやかだった。


「こんな結果になるなんて、残念だわ」


 お仕着せを脱ぎ、地味なワンピースに着替える。

 ドレスを必要としないマイヤーの衣服も、大きめのトランクに収まった。

 お気に入りの便箋一式や、普段使いの小物も手早く詰め込む。


「…少し、寂しい かな」


 開いた扉から部屋を見回し、わずかに目を伏せて廊下に踏み出した。

 誰もいない廊下を急ぎ、ヴィバロッテの部屋に戻れば、分厚い封書を手にしたカリスが待っていた。


「わたしの力が及ばず、すまなかった。その、愚息の事も、申し訳なかった」


 兄妹の会話だが、他人行儀なのは仕方がない。マイヤーは頭を下げるに留めた。

 カリスは所在無げに佇むヴィバロッテの前に片膝をつき、胸に右手を添える。


「お力になれず、申し訳ございませんでした。けれど、お嬢様のお役に立てるよう精進してまいります。どうか、お許しください」


 わずかに驚いた表情のヴィバロッテだが、浮かべた笑顔は屈託がない。


「わたしこそ、ありがとうございました」


 刹那に大人の雰囲気を感じたカリスは、フッと顔を緩ませる。

「お嬢様に幸多い事を、お祈りいたします」


 スカートを摘んで挨拶するヴィバロッテに、カリスは崩れそうな顔を引き締めた。

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