第6話 閑話 様々な迷走
「どう言う事なの? わたくしの専属侍女を勝手に処罰するなんて。筆頭執事の分際で、思い上がりも大概になさい。これは、お父様に報告します。マジーに一切の干渉は許しません。分かったら、わたくしの指示通りになさい」
突然、王立学堂の女子寮から、コーラル・クンツァイト子爵令嬢に呼び出された筆頭執事カリス・ベイは、主人の娘から叱責を受けていた。
「かしこまりました。どうぞ、お嬢様から旦那様へ、ご報告をなさって下さい。わたしも筆頭執事として、ありのままを報告させて頂きます」
一瞬怪訝な顔をしたコーラルだが、嘘偽りのない筆頭執事なら信用できると頷いた。
「マジーを傷つける事は、許しませんからね。穢れた野良猫の娘を、近づけないで」
「…かしこまりました」
慇懃に礼をして女子寮の面会室から出て行くカリスを、コーラルは睨みつけていた。
専属侍女のマジーは、幼い頃からコーラルに付けられた遊び相手だ。
コーラルが王立学堂に入学した二年前には、正式な専属侍女の仕事を覚えるため、学堂には同行しなかった。
マジーは准男爵バンロット家の長女で、七人の弟妹がいる。
コーラルにとっても、良き姉のような存在だ。
「御用は済んだの? コーラル」
開いたままの扉から顔を覗かせたのは、同級生のソフィア・ワート公爵令嬢だ。
大人びた雰囲気を纏うのは、黒髪が艶やかなせいだと、見るたびにいつも思う。
「お家で、何か困った事でもあって? 」
悪戯な笑みを浮かべるソフィアの黒瞳の底で、貴族子女らしい狡猾な光が煌めく。
少し前からコーラルが塞ぎ込んでいるわけを、ソフィアは同等な身分の子女から聞いていた。
噂の的になっているコーラル本人の知らないところで、かつて醜聞を引き起こした浮かれ女の素行や、彼女の子供の話しは話題になっていた。
ソフィアも母親や身の回りの世話をする侍女から、クンツァイト子爵家が、いわく付きの庶子を引き取ったと聞かされていた。
誰も見た事のない子爵家の庶子。
女子なら王太子か第二王子の婚約者狙いだろうと、噂は回っている。
男子なら、優秀でない限り誰かが潰すだろう。
誰よりも早く庶子の情報を本人から聞きたくて、ソフィアは笑顔を貼り付けていた。
コーラルは単純に、仲の良いソフィアが自分を気にかけてくれたと解釈する。
高位貴族の令嬢が友人扱いしてくれると、内心で自慢に思った。
「えぇ。お父様が拾って来た薄汚れた娘のせいで、わたくしの大切な専属侍女が、迷惑を受けたのです」
見た事もないヴィバロッテに対するコーラルの印象は、孤児院の子供たちと同等だ。
父であるクンツァイト子爵の命令で、月に一度慰問に訪れる孤児院は、薄汚れて嫌な臭いがする場所だった。垢じみた肌や衣服が気持ち悪く、できれば二度と訪れたくはないと思っている。
「まぁ、可哀想ね、あなたの専属侍女は」
同情して眉を顰めるソフィアに気を良くしたコーラルは、これでもかと言うほど母から聞かされた庶子の母親の所行を暴露した。
驚いたり憤慨したりしながら聞いているソフィアは、張り付いた微笑を浮かべている割に、その目を曇らせて行った。
「ね、コーラル。友人として一度だけ忠告するわ……今の話は、ここだけにして……ね」
言い切ったコーラルが溜飲を下げ、お茶で喉を潤した時に、そっとソフィアは囁いた。
*****
モナイト家から持ってきたヴィバロッテの衣装は、どれも状態が酷くて廃棄処分するしかなく、間に合わせに、富裕層の平民が利用する衣装店で購入していた。もちろん貴族御用達の注文縫製の一品物ではない。
手縫いとは言え量産された既製服で、貴族令嬢の着るドレスとは言い難かった。
ヴィバロッテのドレスや日用品購入に関して、領地にいる子爵に問い合わせた返事は、昨日のうちに届いていた。それとは別に追伸らしき手紙が本日届いたと連絡を受け、侍女長のマイヤーは筆頭執事の執務室へ足を運んだ。
普段は無表情なカリスが、執事らしくない不機嫌さで手紙を差し出す。
「旦那様のお手紙でございますか? 」
ヴィバロッテに関する一切を、侍女長のマイヤーに一任すると返事が来てからすぐに、別な手紙が届くなど不自然極まりない。
筆頭執事のカリスから渡された手紙を読んで、マイヤーの片眉が上がる。
「奥様? コルネリア様でございますか……なんと申し上げれば宜しいのでしょう」
非常に細かな指示を、つらつらと書き連ねた命令書だった。
当主である子爵は侍女長に全権を委ね、子爵夫人のコルネリアは、ヴィバロッテに関するすべてに指示を出して来る。
確かに、コルネリアとヴィバロッテの母親パールには、和解できない確執がある。しかし、パールの実家モナイト家を追い詰め、没落させたのは子爵夫人のコルネリアだ。
側から見れば、充分以上に意趣返しは完了している。
夫の浮気相手に向ける感情を
主家のやりように否やは無い使用人の立場だが、心地は悪かった。
「ヴィバロッテ様のお召し物は、コーラル様のお小さい頃のドレスから、宝石とレースとリボンを取り外した物を着用させよと……明確な御指示でございますね……お部屋は離れの邸宅に移動させるように、でございますか……はぁ、大奥様がお住まいとは言え、クンツァイト子爵家の邸宅ではないと、何度も申し上げておりますのに、ご理解頂けないようで……」
クンツァイト子爵家の王都邸は、それほど広くはない。
王都の東は、貴族の邸宅が山の上まで広がっていた。
山腹に行くほど高位貴族の居住区で、頂上には王宮がある。
麓に連なる子爵家の邸宅がある辺りから、一般人の立ち入りは禁止されていた。
東区の外縁は准男爵や男爵家の邸宅で、一般人が入れるのはここまでだった。
そこからひとつ内側の主要路に沿って、贅を凝らした子爵家の建物が立ち並んでいる。
なかでもクンツァイト家の門扉は非常に新しく、流行を追ってめまぐるしく様変わりする様子は、社交界で有名だ。その新しい門扉から塀を伝って百歩ほど山側へ登った場所に、もうひとつの古い門がある。
重々しい門内に敷かれた石畳は、クンツァイト邸の境界塀に沿って奥へと至り、広い森を抱える瀟洒な建物へと続いていた。
今はクンツァイト前子爵夫人が、個人的に所有する邸宅だ。
元の持ち主は、クンツァイト前子爵夫人の実家コンフリー子爵で、幾年か前に当主もろとも領地の災害で全滅している。
領地が隣同士だった両家は、何代も前から親交があった。偶々、王都の屋敷も隣り合っていたために、両家の庭が接する石塀の一部を解放して交流していた。
コンフリー子爵の長女とクンツァイト前子爵の婚姻も、これに起因する。よって、クンツァイト子爵邸の奥にあるコンフリー邸の持ち主は、クンツァイト前子爵夫人であって、クンツァイト子爵家ではない。
「大奥様の元にお連れせよと、奥様は、暗に仰せですか…」
コルネリアは自身が嫁いだ時の経験を踏まえ、庶子への嫌がらせを遠回しに企んだようだ。ただ、奥庭の向こうにある邸宅と周辺の土地は、現子爵の持ち物ではないと理解しない。
クンツァイト子爵の母親、テューラの個人資産だから、現クンツァイト子爵の妻とはいえ、他家の資産にコルネリアの権限が及ぶ筈がない。
こういう浅慮が嫁姑の軋轢を生むのだが、コルネリアには、まったく理解できないようだった。
軽いめまいを感じ、マイヤーはため息を落とす。
特にコルネリアが嫁いだ当初は、姑である
実家のモスコー伯爵は、息子四人の後に生まれたコルネリアを溺愛していた。故に、馬鹿が付くほど娘に甘い。
傲慢で我儘、浪費家で礼儀知らずと噂の立ったコルネリアは、良い条件の相手を見つけられなかった。結果、莫大な持参金付きで、格下の子爵家と政略結婚する羽目に陥った。
クンツァイト子爵は鉄鉱山を所有する裕福な領地を持つが、そこは辺境の魔境を含む。
政治に関わらず、社交界にも積極的ではない貴族だった為、質実剛健な暮らしをする一族だった。
派手で煌びやかな生活を好むコルネリアとは、真逆の家風を持っていた。
コルネリアを矯正し、子爵夫人としての礼儀作法を指導する姑と、逃げ回る嫁。
結婚当初から嫁姑の諍いは激しく、相容れない間柄のまま、前当主が亡くなったのを機に、姑のテューラは森に囲まれた実家へ帰って行った。
コルネリアが三人目を妊娠し、夫がモナイト家のパールと恋仲になっていた頃だ。
嵐のような思い出を、マイヤーは眉間を揉んで刮げ落とす。
「…かしこまりました。ドレスの受け渡しにはシーマをお使いください。コーラルお嬢様の専属侍女見習いには、筆頭執事のあなたから差配をお願いします。わたしは急ぎ大奥様に面会して、ヴィバロッテお嬢様の同居の許可を頂いて参ります」
あの頃のテューラは、息子にも嫁にも、ましてパールにも関心を示さなかった。
同様にヴィバロッテにも無関心であるなら、これから先が思いやられる。
(…ヴィバロッテお嬢様を、受け入れて頂かなければ……お嬢様の居場所が、無くなってしまうわ)
屋敷表奥の派手でケバケバしいバラ園を突っ切り、澄んだ池の縁を巡る神殿風の回廊を辿り、入り組んだ生垣に沿って、さらに奥へ行く。
土地の境界だった石造りの塀には木戸があるだけで、それを過ぎれば頑丈な敷石の馬車道が、木立を縫って森の開けた場所まで続いていた。
蛇行する道を曲がれば、紺碧の屋根瓦が木々の間に見えてくる。
時代を感じさせない瀟洒な邸宅が、前子爵夫人テューラの住まいだ。
夏の日差しに、涼しげな影をつくるガゼボ。
柔らかな緑の蔦が、吹き抜ける風に波打つ。
クンツァイト邸の綺羅綺羅しく暑苦しい装飾品から離れ、マイヤーはホッと一息ついた。
「はぁ……やれやれですわ」
建物に沿って脇の小道に回り込み、使用人専用の階段を上がる。
髪を整え、服装に乱れがないか確認して、田舎家風のシンプルな呼び鈴を鳴らした。
この扉の先は、使用人の休憩室だ。
すぐに返事があり、長い付き合いのある侍女が顔を出した。
「あら、マイヤー。珍しいわね。どうぞ、入って」
微笑んだ緑の目が、お茶目な光を放つ。
いつも乱れのない清潔なブリムに、艶々の栗毛が映える。
若々しい侍女が四十路も終わりかけだとは、とても思えない。
「急に押しかけてごめんなさい、バーモット。忙しいところを申し訳ないのだけれど、大奥様にお目に掛かりたいの。とても厄介なお願い事があって、できるだけ早くお会いしたいのよ……いつ頃、お伺いすればよいか、問い合せて下さらない? 」
畳み掛けるように喋ったマイヤーは、上がりこんだ休憩室のテーブルを見て、白目を剥きそうになった。そこでは目当ての大奥様が席に着き、お茶のカップを傾けていた。
「…マイヤー? 久しぶりね。どうぞ、お掛けなさい」
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