第5話 人の心は とんでもない

 カーテンの隙間から、朝日が差し込んでいた。

 細長い光の線が掛布を横切り、居間から顔を出したシーマを照らす。


「お目覚めですか? お嬢さま」


 ふと、シーマの鉄灰の目が、陰険俺様執事のクリフトと重なった。


(まさかね…でも、信頼のおける使用人って、縁故や血縁者が多いし)


 洗面やら着替えやらを手伝ってもらい、古色蒼z…年代物の装飾が鬱陶s…落ち着いた食堂に行く。

 扉の側に控えていたクリフトと、侍女長のマイヤーに世話をしてもらい、席に着いた。


「本日より正式にヴィバロッテ様の専属執事となりましたクリフトでございます」


 一気に喋り終えて頭を下げるクリフトは、無表情の平常運転だ。

 ヴィバロッテと視線を交わしたマイヤーが、微かに頷く。


「そう。あなたの誠意を、期待しています。よろしくね、クリフト」


 握りこぶしを我慢したクリフトの手が、軽く胸に置かれた。


「あなたは、わたくしの教育係でしたね。クンツァイト子爵家の礼儀作法に照らして、今度から指摘する意見があるのなら、前もって指導して下さると、期待しますね」


 一瞬にして部屋の気温が下がった。

 怒りの感情も露わに、クリフトが詰めていた息を吐き出す。


「……お母君に似て、何もご存知ではないと。大変に困りましたね。貴族の常識すらご存知ないとは、まことに嘆かわしい。クンツァイト家の令嬢には、相応しくないお言葉です」


 上から目線の言いように、ヴィバロッテはカチンときた。


「クンツァイト子爵家は、下級貴族のモナイト男爵家・ご・と・きの礼儀作法を、決して認めない。昨日あなたは言いましたよ。わたくしが理解するまで、徹底的に学べと言ったあなたなら、何もかも異なる子爵家の礼儀作法で、手本を示すのは当然でしょう。それとも、わたくしに恥をかかせるのが、クンツァイト家の専属執事のお仕事なのかしら」


 音がするほど空気が固まった。

 子供らしくないのは承知の上だ。けれど、三才児の揚げ足を取って、この男は何がしたいのだろう。


「モナイトのあばずれ庶子ごときが、わたしを侮辱するかっ」


「おやめなさい、クリフト執事! お話しがあります。こちらへ」


 強いマイヤーの声に、ヴィバロッテも肩を揺らした。


(あぶない……腹立ち紛れに当たり散らしたわ……失敗したぁ)


 クリフトを連れて行ったマイヤーに、心の中で謝った。


「御前を失礼致します」


 残された食卓で、冷めてしまった皿から金色の卵を掬い取る。

 口に含めば異様な食感にフォークを置き、思わずナフキンに吐き出した。


「お口に合いませんか? 」


 作ったのは昨夜かもしれない。

 庶子に対する扱いの酷さを、しみじみ実感した。それでも、今までと比べれば雲泥の差だが。。


「…食材を貰って、自分で作ってはいけないかしら」


「は? 」


 目を真ん丸にしたシーマの表情が可笑しくて、笑ってしまう。


「…失礼致します」


 ティースプーンでスクランブルエッグを掬い、訝しげに口へ運んだシーマが、匂いを嗅いだ途端、びっくりして固まった。 


「なんて事を…」


 表面は油を塗って見栄えを誤魔化していたが、一晩放置された卵は腐っていた。


「申し訳ございません。すぐに新しい物をご用意致します」


 カートに朝食を乗せて慌てて出て行くシーマに、正直ホッとした。

 クンツァイト子爵家の使用人は、ヴィバロッテを排除しにかかっているのだろうか。

 強引に連れてきて、この対応は無いだろうと言いたい。


(マイヤーとシーマも、わたしを要らないと思っているのかな…)


 ここでも要らないとなっては、さすがに落ち込む。


(嫌われ者で、とんでもない性格の母を利用する価値なんて、絶対にないはずよ。子供を引き取って、クンツァイト子爵は何をしたいの? 正確な情報が欲しい)


 ぼんやり庭を見ること暫し。遠くからたくさんの人の気配が近づいてきた。

 叱りつけるような語気の声も聞こえる。


「失礼致します、お嬢様」


 扉を開けたのはマイヤーで、ぞろぞろ入って来た制服たちは、侍女と料理人だ。


「申し訳ございません、お嬢様。わたしの監督不行き届きでございます」


 青ざめて報告するマイヤーによると、長女コーラルの専属侍女を中心に、ヴィバロッテを追い出そうとする者が結託して、わざと昨夜調理していた料理を運んだそうだ。

 クンツァイト子爵の思惑を無視した使用人の悪意ある行為は、何があろうと厳罰ものだが、相手はモナイト男爵家パールの娘。あちらこちらで仕出かした母親の行状に、悪印象は否めない。

 一通り釈明を聞いた後で、ヴィバロッテはこっそりため息を零した。


(…庶子のわたしに処罰されたら、逆恨み一直線じゃない! どうしろって言うの)


 頭を下げたままヴィバロッテの言葉を待つ使用人からは、不満と怒りの気配がする。

 一番に頭を下げたマイヤーとシーマに、ヴィバロッテが思うところなどない。

 素知らぬ顔のクリフトを許すつもりはないが、要らぬ逆恨みはごめん被りたい。これは、まだ見ぬ当主に丸投げしようと、密かに腹を決めた。


「皆の思いは分かりました。ことのすべては、当主様の差配にお任せするのが当然でしょう。庶子のわたくしに、発言権はありません。ですが、事実を曲げるような、人として不名誉な行いはやめてください。クンツァイト子爵家の使用人なら、弁えているでしょう」


 引きつったどよめきは、慌てふためいた言い訳に発展した。


「蛙の子は蛙ね。旦那様に言いつけるなんて、卑怯者! 」


 若い侍女の暴言に周りは引いたが、クリフトは嘲笑うように口角をあげた。

 堪えきれずに振り向いたマイヤーを見て、息を飲む音が広がる。 


「己にやましさがなければ、毅然となさい。公正を期するため、旦那様に報告するのは、専任執事のクリフトに一任します。主人に虚偽を告げる不名誉を犯せば、罪は一族郎等に及ぶ事を弁え、真実を述べなさい」


 返事をしないまま、クリフトは顔を背けた。

 傲慢さを隠そうともしない様子に、マイヤーは肩を落とす。


「…仕方がありません。筆頭執事のカリスと領主代行のモルダーに、わたしから報告を上げます」


 驚いて振り返ったクリフトを無視し、マイヤーはヴィバロッテに退出の礼をして、部屋の扉を開けた。


「シーマ。お嬢様にお食事を。わたしは筆頭執事の執務室に参ります」


「ちょっと待てよ、俺を無視するな! 」


 追いかけて廊下に消えたクリフトの後を、残された使用人たちが追従する。

 誰ひとりとして、ヴィバロッテに謝罪しないまま部屋を後にした。


「申し訳ございません、お嬢様」


 責めるわけにもいかず、頷くしかないヴィバロッテに、シーマは食卓を整えた。

 小麦の香り立つパンを口にして、ようやく食欲が湧いてくる。


「美味しいわ、シーマ。 ありがとう」


*****

「おい、待てよ」


 追いかけてきたクリフトの手を払って、マイヤーは回廊を進む。


「親父に何でもかんでも言いつけるなんて、横暴だ……なぁ、たかがじゃないか。懲らしめて、根性を叩き直してやれば良いだろ。今までも、ろくな物しか食わせていないって、モナイトの使用人に聞いたぞ。向こうでも、みんなでやりたい放題していたらしいし、別にこの屋敷でも同じようにすれば良いだろ」


 息を飲んだマイヤーが立ち止まった。

 驚愕に歪んだ顔を見て、クリフトは得意そうに笑顔を返す。


「あの屑令嬢になら、何をしたって良いんだよ。モナイト家の使用人が言っていたんだ」


 息を詰めていたマイヤーは、殴りそうになる手を握りしめた。


「…愚か者。覚悟なさい」


 生憎と低すぎた声を、クリフトは聞き逃した。

 立ち止まる前より早足になったマイヤーを、クリフトの懇願する声が追いかける。

 少し離れて付いて行く使用人の中には、一時でも早く他家への紹介状を希望しようと、思案する者が増えていた。


(…どうしよう。コーラルお嬢様に泣きついて、助けてもらえるかな? どうしよう)


 思わず口封じしようと怒鳴った侍女は、自分の立場が危うくなったと後悔していた。


(威張りん坊クリフトのせいよ。こんなに暑いのに、一晩置いた卵が腐るのなんて、当たり前じゃない。どうしよう、失敗した)


 悲喜こもごも。自業自得。

 子爵家の使用人である誇りが、傲慢と無思慮に、成り代わった瞬間だった。

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