第4話 クンツァイト子爵家の養女

 急遽派遣されたクンツァイト子爵家のお抱え魔術医。その診察を受け、手厚い治療術を施してもらったヴィバロッテは、夕闇の中を馬車で移動していた。

 治癒魔法に優れた魔術医のおかげで、後遺症も無いらしい。


「今は社交シーズンではございませんので、御一家の皆様は領地にお戻りでございます。王立学堂に入学された御長女のコーラル様も、学堂の寮にいらっしゃいますので、皆様との顔合わせは、晩秋になる予定でございます」


 馬車の対面に座り、滑らかにヴィバロッテの今後を説明するクリフト。

 立板に水のような言葉の羅列は、意識の外側を滑っていった。


「皆様がお戻りになるまで、四ヶ月ございます。その間、しっかりと淑女としての教育を受けていただきます」


 三歳児の幼女に淑女教育など早いのではないかと思うのだが、薄っすらと笑む口元とは違い、厳格な目が怖くて反論できない。


「クンツァイト子爵家は、モナイト家の礼儀作法を容認致しておりません。ご理解頂けるまで、徹底的に学んで頂きますので、ご安心ください」


(怖いよ、安心できないよ! 母! 何をしたのって、アレかぁ)


 ヴィバロッテの心の叫びを乗せて、馬車は貴族街の入り口にあるモナイト家から坂を登り、ほんの数分で停止した。

 男爵から子爵までは下位貴族の括りにある。当然の事、両家は貴族街の外周にあるわけで、庶民なら歩いて行ける距離だ。ただし、徒歩で出歩く貴族はいない。

 襲撃やら誘拐やらと、物騒な事件に巻き込まれないよう、屋敷外の移動は護衛付きの馬車が一般的だ。

 クリフトがクドクドと喋る間に、子爵家の門に到着した。


(なるほど、魔術医の到着が素早かった筈だわ)


 ひとしきり感心している間に馬車の扉が開く。

 先ほどから礼儀作法のなんたらと宣っていたクリフトに目をやれば、慇懃無礼に微笑まれた。


(試している? やらかすのを待っている? 結構、底意地の悪い男かもね)


 嫌な予感がして、動かずにいる事しばし。微笑みだけ消したクリフトが先に馬車を降りて、手を差し伸べてきた。

 黙したままエスコートを受けて外に出れば、開いた玄関の両側に、整然と並ぶ使用人たちがいた。

 対面する者たちは、綺麗に腰を折ったまま姿勢を保っている。

 傍に立つクリフトを見上げても、薄っすら笑顔を浮かべ、視線をくれるだけだ。


(…確かに、常識的な三歳児なら怯えるかもね。なぁんか、腹立ってきた)


 労わるでもない執事から手を離し、一歩前に出る。

 ゆっくりと一同を見渡してから、丹田の位置で両手を揃えた。


「出迎えをありがとう。追い追いに名前と顔は覚えます。侍女長はどなたですか。あとの者は、持ち場に戻ってください。ご苦労さま」


 僅かに気配が揺れた。

 恰幅の良い中年の女性が、進み出て頭を下げる。ほんの少し白髪が混じった栗色の髪を、きっちり纏めて結い上げていた。

 上体を起こして見合わせた顔に、笑みはない。


「侍女長のマイヤーです。お部屋までご案内致します」


 まったく感情を乗せない侍女長の琥珀の目に、一瞬、暖かな色が見えた気がした。

 マイヤーの指示で解散する使用人を見送っていると、後ろから咳払いが聞こえた。


「先ずは、及第点を差し上げても、宜しいでしょう」

 何事もなく言い切るクリフトを振り返って、苛立ちを飲み込む。

「……あなたの教育方針を、確と見せて頂きました。さすが、クンツァイト子爵家の執事ですわね。わたくしを完璧な淑女に育てるよう、信頼するあなたに託された子爵様のお気持ち、お察し致しますわ」


 やれやれと首を振ってやれば、取り澄ました額に青筋が浮いた。


「わたくしの元母が、大変自由な方だった事は理解しています。で・す・が、わたくしは。今は、あなたが敬愛するクンツァイト家の庶子です。貴族の娘として求められる礼儀作法を、拒否するつもりも否定するつもりもありません。あなたも子爵が望まれるような淑女に育てるつもりなら、安心できるよう協力してくださいね」


 しっかり見上げて言い切ると、硬直した薄っすら笑顔のクリフトが目を泳がせた。


「お嬢さま、参りましょう。こちらへ」


 笑いを我慢したマイヤーの声に、クリフトから視線を外す。

 玄関に向き直れば、壁に連なる灯りが、ずっと奥まで続いていた。


「湯浴みの準備が整ってございます。どうぞ」


 先導する背中について行きながら、辺りに目を配る。

 大きな窓から見える庭は、残念ながら闇の中だ。

 一、二歩進んで、足元の柔らかさに緊張が走った。

 大胆な柄の絨毯は、履きなれないヒールを包み込んで転びそうになるが、集中力でなんとか耐える。


(なんて言うか、幼児になんて物を履かせるのよ。腹黒陰険執事! )


 できるだけ胸を張り、ドレスを蹴りながら歩く。

 記憶の彼方にあるバージンロードを歩く際、ドレスを蹴って裾を踏まないよう教えられた。気がする。その時、カーテシー? だったか、ドレスに合わせたお辞儀も習った。

 付け焼き刃にため息が出る。


「執事補佐、お嬢さまの晩餐の指図をお願いします。宜しいですね」


 振り返らず指示を出すマイヤーに、クリフトの気配が遠のいた。

 急に立ち止まった背中にぶつかりかけて、よろめくヴィバロッテ。


「誰も見ておりません。窮屈で不相応な靴など、脱いでしまっても宜しいのですよ」


 振り向かずに言い切ったマイヤーの肩が、小刻みに震えていた。


(笑われた? )


 そういえば、ドレスを蹴る度に音をたてていたような。。

 思い切ってヒールを脱ぎ、両手に下げる。


「…ありがとう、マイヤーさん」


「おじょうさま、マイヤーと。呼び捨てになさってくださいませ」


 再び歩き出して長い廊下を行く。

 本館らしき建物から回廊を渡った先にある最奧の端っこが、ヴィバロッテの私室だと説明された。


(ほんっとうに、嫌われているんだね…母よ)


*****

「準備は整ってございます」


 専属の侍女だと紹介されたシーマが、甲斐甲斐しく晩餐の補助をしてくれる。

 食堂といっても、居間の隣に配置された予備室のような部屋だ。綺麗に掃除されてはいるが、急場凌ぎに片付けた跡がある。

 庭に面する古びた寝室は、骨董品らしき家具で統一されていた。

 幼い少女に用意する配慮は、一切見られない。


 隣り合った古ぼけ…シックな居間。何もない衣装部屋に、古い洗面浴室。おまけに、古色蒼z…長い歴史を潜った食堂が、ヴィバロッテに用意されたすべてだった。


 全くもって不満はない。

 あの最悪な屋根裏部屋に比べたら、どんな安宿だとしても天国に思える。

 最悪女の幼児こどもに与えるには、贅沢すぎる部屋の数々だ。


「カトラリーを扱う所作は、どなたから教わったのですか? なかなかにお上手です」


 さて、なんと答えようかと悩む。

 仕事の関係上、顧客との会食が必須だった為、マナー教室に通ったとは言えない。

 鍛えてくれたのは、女傑と恐れられた先輩だが、厳しくも温かい人だったと懐かしむ。


「申し訳ございません、お嬢さま。分不相応な態度でございました。お許しください」


 黙り込むヴィバロッテに、気分を害したと察したシーマが畏まった。


「…違うの。初めて褒めてもらえたから」


 カトラリーを置き、ちょっと照れて微笑んでみる。

 見る間に表情を和らげたシーマが、胸の前で指を組んだ。


「さようでございましたか」


 何とか有耶無耶にして、静かに晩餐を終えた。

 後は、今生で初めてのお風呂とマッサージに、精神を削り取られて呆然となり、就寝前の子供にはミルクと決まっているのか、暖めた飲み物とクラッカー? をひと齧りして、寝具に強制送還された。

 待ち受けていたのは極上の寝具と睡魔で、抵抗すらなく安眠の腕に転がり落ちる。


(おやすみなさい)

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