第3話 令状? いや、令嬢って はい?
「どうしてこの子がヒロインなの。ほんっと、腹立つわ。本当は私がヒロインのはずなのに、おかしいわ! どうして私がヒロインの母なのよぅ」
グチグチ呟く気味の悪い母を前に、柔らかなパンを至福に包まれて味わう。
自作したサンドイッチは昼ごはんに回し、母の皿から掠めt……貰ってきたパンを食べていた。
こんなに美味しい食べ物を、今生で初めて口にする。
「やっぱり納得できない。なんであんたが、ヴィバロッテなの! なんであんたが「君恋」のヒロインなのよぅ! 」
目の前で訳のわからない事を言い続ける母を無視し、ぬるくなった水で最後の欠片を飲み込んだ。
母の言う「君恋のヒロイン」が何なのか、さっぱり理解できない。
おとぎ話なのかと、言い返したかった。
「もぅ、自分の部屋に帰りなさいよ。ここは、わたしの部屋なの」
一度は屋根裏部屋に帰ったヴィバロッテだが、焼けつく暑さに耐えられなくて、母の居間に避難してきた。
今まで、よく我慢できたものだと思う。
熱気が篭る屋根裏には二度と上がらないと宣言して、居間のソファーを占拠している。
子供がベッドに使うなら、ちょうど良い大きさのソファーだ。
木漏れ日の差すバルコニーから心地よい風が通り、お昼寝にも最適だった。
「聞いているの? ヴィ。 わたしの邪魔をするなんて、酷いわ」
芝居がかった大げさな動作に、桜色の直毛が母の背中で揺れる。
ヴィバロッテの腰まである髪は、母のように艶やかな桜色ではない。嫌になるくらいパサパサした白髪だ。
胸の前で指を組み、斜め上へ視線を向けた母のポーズに、頭が痛い。
大きく見開いた青の瞳には、取って付けたような涙が溜まっている。
はっきり言って、わざとらしい。
「お願い 邪魔しないで…」
ナルシストかと叫びかけて、深呼吸をする。
「嫌です。暑くて死にそうなの。ここが良いの。おかあさまは、わたしを殺す気? 」
傷ついたような儚げな所作で床に崩れた母が、小刻みに肩を震わせた。
「そんな言い方、あんまりよ」
実の娘を熱気の篭った屋根裏部屋へ行かせようとする母のほうが、あんまりだと思う。
出窓の壊れた差掛け屋根や、適切なファブリックを新しくするだけで、屋根裏部屋はもっと過ごし易くなる筈なのに。。
自分以外の出費など、母の頭には無い。
「わたしが酷い人間みたいに言わないで! わたしの邪魔をするあんたの方が、酷い人間だわ。もうすぐ子爵家の執事が来るのよ。だから、出て行って! 」
また違う男が来るのかと、心底うんざりした。
「……その人が、わたしのおとうさまなの? 」
違うと分かっていて、問い正す。
「え…なんで……ちが 違うわ」
答えられずに慌てる母パールを、ヴィバロッテは睨みつけた。
「では、今朝の子爵さまが、おとうさま? それとも昨日の騎士さまが、おとうさま? ひょっとして、その前? ずっと前の方? もしかして覚えていないくらい、ずっとずっと前の方かしら? もう、誰だか分からないくらい、前の方なの? 」
呆気にとられていた母の目から、儚さが消えた。
苛立ちと困惑が顔を出す。
「まさか……あんたも、転生者? そうでしょ? 凄く変だもの。おかしいもの! 」
急に取り乱し、自分の言葉で興奮した母が、随分と幼く見える。
これは何だろうと、ヴィバロッテは躊躇った。
「あんた、誰よ! ねぇ、誰なの! 」
両肩を掴まれて押し倒され、鷲掴みにされた肩の関節が折れそうに痛い。
鼻先まで迫った母の顔が酷く醜いと、他人事のように思った。
「返事しなさいよっ。あんた、誰なの! 」
今更だが、大人の力に恐怖が湧く。
遠い記憶では、孤独死した熟女だった気もするが、今は三才児。
手荒くされただけで、大怪我をするかもしれない。
「ヴィバロッテ よ」
どう答えれば正解なのか、分からない。
「嘘つき! 」
ソファーから転がり落ちて、殴られたのだと呆然となる。
意識した途端に、左顔面が燃えるように痛み出した。
尻餅をついた格好で見上げた先には、顔を真っ赤に怒らせ、仁王立ちした母がいる。
「なんで、私じゃないの。あんたみたいなのがヒロイン……嫌だ。絶対に嫌! 」
ローテーブルの飾りが飛んできた。反射的に顔を庇った腕と、庇いようの無い頭に直撃する。
逃げる間も無く皿や花瓶が身体にぶつかり、丸くなって我慢するしかない。
「消えてよ! ねぇ消えて。そしたら、私がヴィバロッテだわ。とっとと消えろ! 」
重い一撃が背中に当たる。
叩き出された意識が、闇に落ちた。
*****
広い回廊の両側は、列柱がどこまでも続いていた。
見える範囲を超えた空間は、薄ぼんやりした光で満たされている。
気がついたら知らない場所だなんて、いつか読んだ■■の物語のようだ。
「どこだろ」
声も出るし、耳も聞こえる。
「夢なら、目が覚めるまで寝ていようかな」
自分で言って、笑えない冗談だと思う。
「えぇと。物語なら、神様が出てくるはずだけど…いないよね」
立ち尽くす身体は小さく、肩からこぼれ落ちた髪は白い。
自分はまだヴィバロッテだと、気落ちして俯いた足元に、光る玉が落ちていた。
滲むような輝きに、思わず手が伸びる。
そっと摘み上げた瞬間、閃光が弾けた。
「ぅわ」
とっさに覆った両手を突き抜け、眩い光で頭が破裂しそうになる。
(誰か! たすけ…)
ふたたび、意識が切れた。
爆発して外側へ拡散した光が勢いを失い、巻き戻すように収縮して身体に吸収された事を、ヴィバロッテは知らない。
*****
「…見たことある 天井だわ。 今度も、夢かな」
古臭くて贅沢な細密織りの天蓋付き寝台は、母の寝室にしかない。
落ち着いた模様の深緑は優美だが、身体を包む寝具から甘ったるい匂いがして、正直気持ちが悪いし、動かそうとしただけで身体中が痛む。
「お目覚めでございますか? お嬢様」
傍にいる人が、耳に柔らかい声で話しかけてくる。
かっちりした隙のない装いで、片手を胸に添えた男だ。
シミひとつない白手袋と、鉄色の目を隠したモノクルのレンズが光る。
どこの令嬢を呼んでいるのかと、さらに居心地が悪い。
「…あなたは、だれ? お母さまの……おともだち? 」
気を失う前に母から聞いた、子爵家の執事を思い出した。
母の知り合いにしては、毛並みが違う。
グレイの整った髪も、表情を欠いた顔も、母の好みではなかったはずだ。
「初めてお目に掛かります。どうぞ、そのままでお聞き下さい」
起き上がろうと呻いたヴィバロッテを、無感情な声が止める。
「わたくしは、クンツァイト子爵家からヴィバロッテ様をお迎えするよう命ぜられ、本日お伺い致しました執事のクリフトと申します」
聞いた事もない名前に、返事ができない。
「御母君からクンツァイト家について、何か聞いていらっしゃいますか? 」
母から何も聞いていないため、知らないと首を振る。
「承知致しました。僭越ながら、わたくしから申し上げます」
子供相手の言葉使いはせず、淡々とした物言いでクリフトは話し始めた。
クンツァイト子爵はヴィバロッテの父親で、モナイト家が没落するきっかけとなった男らしい。
子爵の正妻はモスコー伯爵の息女で、非常にプライドの高い婦人だが、諸々の事情を解決するため、不適格であるヴィバロッテを、断腸の思いでクンツァイト子爵家の庶子と認めた。
庶子と認めた限りは、致し方なくとも子爵家に迎えるしか無く、執事補佐のクリフトを派遣したそうだ。
随分な、言い方である。。
「わたくしがこちらに到着致しました時には、すでに御母君の姿は無く、お嬢様が怪我を負って倒れていらっしゃいました」
額の生え際と左顔面、両手足、背中と、切り傷や打撲が複数あるらしい。
特に背中は鬱血を伴う打撲が全体に広がり、背骨への影響が懸念されているという。
通りで動かなくても痛い筈だと、理解した。
「これほどの暴力は犯罪です。お嬢様がクンツァイト家のご令嬢として養子縁組が決定した現在、母君とはいえ捕縛した暁には、相応の処罰が下されるでしょう」
散々な目に合わせた挙句、母は逃亡したらしい。ひょっとして、娘を殺したとでも思ったのだろうか。身体の痛みに耐えながら、とんでもない人だったと呆れた。
「あの…母の処罰って、どうなるのですか? 」
暫し考え込んだ後、うっすらとクリフトは口角を持ち上げる。
「クンツァイト家のご令嬢として、貴女様がお心を痛める必要などございません。が、ひとつの情報としてご記憶ください。おそらく郊外のミンティアス・グラン修道院が、修養先の候補地ではないかと、推察致します」
名前からして厳格そうな修道院に、ヴィバロッテの顔が引きつった。
(…うん、体面だよね。あんなに奇抜な母でも、貴族絡みなら処刑は無いか……ちょっとホッとしたな。それにこの人、わたしの事をクンツァイト家のご令嬢って言った。これって、礼状とか、令状とかじゃなくて、やっぱり令嬢…よね? )
甘ったるい匂いがする寝具の中、ヴィバロッテの鳩尾に、凍えるものがせり上がった。
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