第5話

神と名乗る男と生活するようになってから早一か月。

私の生活は大きく変化していた。

家事のほとんどを私の作品であるぬいぐるみ達が担い、私はというと仕事に追われているか、そうでない時は専ら男の相手をさせられていた。

『……子豚。』

「納期近いから今日は遊べません、一人で映画でも見ててください。」

『お前、昨日もそう言って…!』

「だぁ~れかさんのせいで、私の作ったぬいぐるみが動くとか噂が立ってて忙しいんです!誰かさんのせいで!」

『私のせいではない。』

私のジトっとした視線を受けて男はアクアブルーの瞳を一瞬逸らした。

「はっ、どの口が。いいですか、別に何にも触れるなとは言いませんが、アトリエにある物には触らないでください。この間も針山に待ち針を射した時、急に悲鳴上げられて椅子から転げ落ちたんですよ?」

『なぜ落ちた?椅子には触れていない。』

「ビックリして落ちたんです!」

(てかなんで針山に触ったよ?)

『ほう…。』

この一瞬、男が口元を僅かに釣り上げたのを私は気付くことが出来なかった。

「てゆーか、なんでうちの物は叫んだり喚いたり、喧嘩したり、基本的にうるさいんですか?魂宿すならもっと可愛らしくてほっこりする感じにしてくださいよ。」

『それは私に言うな。あれらはお前が創造した物達だろう?お前がその手で、あの様に作り上げたのだ。そんなことも分からないのか?どうやら人間になったのはやはり見た目だけの様だな、子豚。』

(…いや、分からんだろ!てかなにぃ?要は私があの子達をああしたって?怖い、怖い、もう自分が怖い。)

心で少なからず落ち込んでいる私に、男が更に追い打ちをかける。

『自覚がないようだから言っておくが、お前もあれら同様騒がしいではないか。親が親なら子も子ということだな。』

(は?いまなんて?)

はぁ~い、キレたぁ~。

もう今日は無視しまぁ~す、もう視界にも入りませ~ん。

これが典型的なO型の特徴である怒ると喋らなくなる攻撃。※私調べ※

私は心で宣言すると、無言で男に背を向け、アトリエへと向かった。

作品に没頭していれば、いずれ気も紛れる。私はアトリエのドアに鍵を掛け、ふぅっと息をつき振り返ると、作業台の椅子には既に紺色の着物を着た男がゆったりとくつろぐように座っていた。

「って、いるんかぁぁぁぁぁあああああああああいっ‼」

ドアの前で一人、後ろにのけぞる私を見て男はフッと笑いながら『視界に入らないのではなかったのか?』と挑発的な笑みを浮かべる。

「こォっっっっっっ‼」

ぐわっと腹の底から一気に頭のてっぺんにまで熱いものが登り、抑えきれない怒りで一瞬白目を向いてしまい、視界も頭も真っ白になる。

コイツっ!いつか殺すっ‼

神のくせして餓鬼みたいなことしやがって!ぜってぇ殺すっ‼

滾る怒りに任せて言い返してやりたいがしかし、それこそが男の思う壺と言うもの。私は歯をギリギリと噛みしめつつ、表面上は平静を装って作業台から材料と道具を持ち上げ、リビングで作業をしようとアトリエを出た。

リビングに戻ると、私に気が付いた大きなクマがアイスティーを持って近づいてきた。

「あ、ありがとう。」

「…………。」

クマは私にアイスティーを手渡すと、ゆっくりと頷き、そっと私の座るソファーの後ろに移動し、動かなくなった。

「…座らないの?」

「…………。」

クマは振り返る私にいつものように左右にゆっくりと首を振るだけで何も言わない。全長175㎝ほどあるこのクマは私が高校時代に作ったもので、私の作品の中では古参の部類に入る。ここ一か月間でのぬいぐるみ達の動きを観察していると、どうやらこのクマが主に料理を担当し、洗濯物や掃除はその他の二足歩行が可能な作りのぬいぐるみ達が分担してこなしているようだ。

そういえば、家事担当のぬいぐるみ達は比較的このクマの様に姦しく鳴き声を上げることもなく、寡黙な印象が強い。

この違いはなんなんだと冷蔵庫から漏れ聞こえてくる「ぎゅいいぃいいぃいいい。」という声を聞きながら私が目を細めると、ふと手に持っていたアイスティーが消えた。

「うぇ?」

パッと無意識に上を見上げると、アイスティーを手に持った推しの姿があった。

(ああ、黒百合たんか。)

私は気を取り直してテーブルに向かい、置いた材料を手に取って作成に取り掛かろうとした。


が、


ん??????????????

いま何がいたって??????????????


私がもう一度ゆっくりと振り返りると、そこには等身大の推しが原作通り若干紺色の着物を着崩し、その情熱的なサンストーンのような瞳で私を見据えていた。アイスティー片手に。


な、ん、て、こったぁあああぁぁぁぁあああああああああ!!!!!!

推しが‼私の推しが‼

「おえぇぇぇぇえええぇえぇえぇぇええええええええ‼」

私の心は喜びでいっぱいになり、頭の中は煌めくお花畑と化していたが、その感動と喜びの大きさに私の体が耐え切れず、こみ上げてくる熱く赤い液体を口から吐き出してしまった。

『⁉』

それを目の当たりにした推しは、瞳の色とは違い切れ長でクールな印象の目元を見開き、寡黙な口元を微かに開いた。

(ああ~!それぇ~、主人公が黒百合を庇って怪我した時の顔ぉ~‼尊いぃぃいいいいい‼凄くいいぃいぃぃぃいいい~‼)

口からダラダラと血を垂らしながら満面の笑顔でソファーに倒れ込む私を介抱しようとタオルを持って走ってきたクマに口元を拭かれ、血圧や体温を測られ、ゆっくりとソファーに寝かされる。

薄い意識の中で未だ一人、幸福感にどっぷりと浸かっていると、上からズイッと影が近づいて来たかと思うと、それは紛れもなく推しの顔だった。

(あぁ~‼推しの顔をゼロメートルで見ることが出来るなんて!いや、いつも画面越しで見てるけど!これはそう!VR的なね!うひょー幸せ♡)

「うぇええぇ。」

至近距離で推しの顔を眺めながら満面の笑みで尚も口から血を吐き続ける私に、推しは凛々しい眉を寄せながら私の頬に触れてきた。

その手の冷たいこと。

(あれ、原作だと体温高い設定じゃなかったっけ?炎使うから。あれ?)

違和感を感じながらも、推しに頬を撫でられて嬉しくないファンなどいないのだ。

「んふふふふふふふふふふふふ。」

このシチュエーションなら永遠に笑い続けられる、確信しかない。

気持ち悪い笑い声を血と共に発しながらそう思った次の瞬間、推しがその愛おしい唇を動かした。

『おい、子豚、お前尋常ではないぞ。』

(……こ、ぶた、だと……???????)

「って、おまえかぁぁぁああああああぁぁあああああいっっっ‼」

その聞きなれた声に夢心地だった私は一瞬で現実に引き戻され、反射的に目の前にあった顔を思いっきり引っ叩いた。


パシーーンッという良い音がした瞬間、目の前にいた推しは、一瞬にして見覚えのある男の姿へと変貌した。肩から零れ落ちるサラサラと月白色に輝く長い髪と着物から覗く顔から首筋にかけ伸びる洗練された輪郭。髪と同じ色に輝く長い睫毛と儚げだがどこか威厳を感じさせるアクアブルーの瞳は見開かれ、私に引っ叩たかれた衝撃で数秒虚空を見つめていた。


あ、やば。


私がそう思った瞬間、時すでに遅し。

メラメラと怒りで震えるように男の長い髪の毛先が僅かに浮き上がり、私の顔を改めて見つめる瞳は赤い光を帯びていた。

「ひぃっ…おたすけ…。」

『お前は…どうやら一度、子豚に戻る必要があるようだな………。』

「いいいいい、いやです!ごめんなさい!てかあれは不可抗力というか、事故ではないでしょうか!なんか私だけが悪いみたいな感じになってるけど、それはあまりにも理不尽だと思う!だって最初に脅かしてきたのはそもそも神様なわけだし!能力反対!創造主としてそれはやっちゃいけないと思います!」

『理不尽?神は皆、理不尽なものだろう?神の意向にお前の感情など関係ない、神である‟私が”必要であると言うのだからそれが‟全て”なのだ。お前はあまりにも身の程知らずな上に神である‟この私”を見くびっている。創造主として、お前のようなものに罰を下し、‟躾”を施すのは当然であろう?』

そう言いながらギラギラと赤く瞳を光らせる男に私は必死で反論する。

「異議あり!異議あり!それにしても、ケツの穴のない子豚にするのはやり過ぎだと思います!それは度を越えた拷問ですよ!」

『ほう…ではどうやってお前は私に赦しを乞うのだ?』

「え、赦し?」

私は一瞬考えて、ハッと我に返った。

(つーかこれだと本当に私が悪いみたいになるじゃん!)

「いや、赦しもなにも。私は悪くありませんから。そもそも神様が私の仕事の邪魔しに来たのが悪いんじゃないですか、私は最初に‟今日は無理です”って言ったじゃないですか。そりゃー、勢い余って叩いちゃったのは申し訳ないですけど…。」

もごもごと口ごもる私に男は『なるほど。』と頷くと、手のひらから何か黒い小さなモヤモヤとしたものを出すと『やはりお前には躾が必要だな。』と呟きながらゆっくりとソレを私に近付けてくる。

「え、え、え?なにそれなにそれ!やめてやめてやめてやめてぇ~、いやぁあああぁぁぁ。」


ぽふんっとヘンテコな音が頭に響いた次の瞬間、目を開けるといつものリビングが何倍にも巨大に見えた。

「ぶひぶひぶひぶぶび…!」

(※ああ…まさか、そんな…!)

『ふん、良いなりだな。身の程をわきまえるまでその姿でいるが良い、子豚。』

ニヤリと美しい唇を歪ませて笑う男は心底楽しそうに目を細めた。

「ぶひぃ!ぶひぶひぶひぶひひぃ~!」

(※おい!ふざけんな!納期近いんだぞぉ~!)

『そんなもの私には関係のないことだ。』

「ぶひぶひぶひぶひぶひぷぎぃいいいいぃ!ぷぎぷぎぃ~‼」

(※てんめぇ!この悪魔!疫病神!人でなしぃ!精神年齢三歳児ぃ~!)

『はっ、なんとでも言え。お前はこれで私という存在なくして生きていけないということを痛感することになるだろうからな。』

《ぷぎぷぎぃぃいいいぃいぃぃぃぃぃぃいいいいいいいい!!!!!!》

ソファーにちょこんと私を置いてどこかへ消えようとする男の背中に向かって叫ぶ私の声と、冷蔵庫から聞こえる鳴き声が重なって部屋中に響いた。








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