第4話

(なぜだ…!)

制限時間もあと40分というところで私は焦りで大量の脂汗をかいていた。

持ち時間は90分あった、メニューもそこそこ頼み、ドリンク全8種に加え、フードとデザートを合わせて全員で6種類、合計14品をオーダーしたということはミニ缶バッチを14回ランダムで引いたことになるのだが、未だに目当ての‟黒百合”が手に入らないのだ。

(なぜじゃ!なぜなのじゃ!)

ラストオーダーは終了の30分前、今なら追加注文も可能だが…。

(体にもうなにも入る気がしない…。)

いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ

ほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしい

黒百合黒百合黒百合黒百合黒百合黒百合黒百合黒百合黒百合黒百合黒百合黒百合

『……おい、やかましいぞ。』

「え、声出てました?」

ふと左隣の少年に声を掛けられ、しまったと思いながら頬をかく。

少年はデザートのフォンダンショコラにバニラアイスを乗せながら『そんなに物足りないのなら追加注文すればいいだろう。』と溜息をついた。

「でも…私もう何も食べれませんし…ひまわりまだいける?」

縋るような視線を送る私にひまわりは「甘いものじゃなければ大丈夫だよ。」とにっこりと微笑んだ。

(でもあと40分だしなぁ…食べる時間も考えるとせいぜいフード一品とドリンク3杯が限界だなぁ…とほほ…。)

『おい、小僧。』

「は、はい。」

『あの女を呼べ、私が言いつける。』

少年は急にひまわりに声を掛けたかと思うと、ウエイターのお姉さんを指差した。

「え、神様なにする気ですか?注文なら私が…。」

『黙れ子豚。いいからお前はしばらく無心でいろ。』

少年は引き留めようとする私の言葉を遮り、小走りでやって来たお姉さんに向かってメニュー表を掲げて『この枠内のメニューを全て追加だ、速くしろ。』と無表情で言い放った。

「えええええええ、無理無理無理!食べれない!食べれないですよぅ!神様、神様、一番食べたいものだけにしてください!」

「ド、ドリンクでしたらおつくりするにも時間は掛かりませんが、お料理全てとなりますと時間的にも…。」

あたふたとする私とお姉さんを尻目に少年は涼しい顔で『そうか、なら可能なものだけでいい。可能な限り全て用意しろ。』と言うや否や、もう用は無いと言わんばかりに椅子から飛び降りるとてくてくとどこかへ歩いて行ってしまう。

「え⁉神様⁉どこいくの⁉」

『厠だ。』

ヒステリックに後ろから声を出した私に少年は半分振り返り、鬱陶し気に眉を寄せ、再びてくてくとトイレに向かって歩き出した。

⦅か、厠…。⦆

その場面を見守っていた大人全員が心の中でそう思った瞬間であった。

そしてポカーンと時間の止まっていた私とウエイターのお姉さんの時間を動かしたのは「じゃあ、時間内で用意して頂ける範囲内で御願いします。」というひまわりの甘い笑顔だった。

「か、かしこまりました!」

ひまわりもひまわりで言ってることは少年となんら変わりないのに、ウエイターのお姉さんは頬を赤らめながら意気揚々と厨房へと戻っていく。そしてすぐに責任者と思われる女性が入れ替わるようにしてテーブルへと注文に対しての注意喚起をしにやって来たが、案の定ひまわりの魔力に呑み込まれ、謎のウキウキを厨房に持ち帰っていったのだった。

(……これがミイラ取りがミイラに、というヤツか…。)



『窮屈で仕方ないな…。』

少年はトイレに入るや否や、他に人がいないかを確認するとはぁーと長い息を吐いた。小さな手で自分の体をなぞり、両手で顔を覆った次の瞬間、体は元の大きさに戻り、顔も平凡な子供の顔から本来の美しい顔へと戻した。長い月白色の髪を手櫛でサラリととかし、床に引きづらないように緩く束ねた。

『はぁ…。』

気だるげに鏡にもたれ掛かると、鏡越しに自分のアクアブルーの瞳が赤くチカチカと点滅するように光っているのが分かった。その光が鬱陶しくて男がゆっくりと目を閉じた時だった、バタバタと足音が聞こえたかと思うと子供とその付き添いの父親らしき男が入って来ては、男の姿を視認した瞬間、その場に倒れ込んでしまった。

『全く、面倒なものだな。』

男は足元に倒れた親子をそのままに紺色の着物の袖を翻して足音もなく歩き出し、トイレを出る時には少年の姿に戻っていた。

自分の座っていた席へと戻る途中、少年は自分と同じくらいの子供が料理を運んで来たウエイターに「ありがとうございます!」と無邪気な笑顔を向けている場面を見かけた。笑顔を向けられたウエイターは「ごゆっくりどうぞ。」と楽しそうに微笑み、隣に座った母親と思われる女も「偉いねぇ。」と子供の頭を撫でていた。

『ふむ…。』

少年は無表情でその様子を見つめながら小さなむちむちとした手を顎に当てた。


一方その頃、テーブルにはドリンク全種類と複数のフードメニューがテキパキと運ばれてきていた。

(え、フードはなんかダメな空気じゃなかった…?対応力凄いなぁ…。)

私は内心驚きながらも店の対応力に感服していた。

「お待たせいたしました、ドリンク全8種と、フードが黒百合、オロチ、アオキがご用意出来ましたのでお持ちしました。只今、他のデザートメニューもご用意中でございます。」

ウエイターのお姉さんは時々私の方もチラリと見つつも、主に琥珀色の瞳を優し気に細めて微笑むひまわりに釘付けであった。

「無理を言ってすいません、ありがとうございます。」

そう言うとひまわりは、既に乙女化しているお姉さんを見上げ、お姉さんの目を真っすぐに見つめながらふわりと微笑み、お姉さんの乙女心に甘いトドメの一撃を与えた。

⦅ぐはぁあああああああぁぁあぁぁぁぁあああああああああぁあ‼⦆

この時、間違いなくウエイターのお姉さんと私の心はシンクロした。

私はひまわりの顔の良さに心の中で吐血し、もはや尊過ぎて死んでほしいとすら思った。内心ぜーぜーと息を乱され、胸に手を当てながら息を整えていた時、ウエイターのお姉さんもハッと我に返り、自らの職務を思い出した様子で「で、ではこちらから11個ですね、お選びください。」と問題の籠を私の前へと差し出してきた。

(きた…!)

私は固唾を飲み込み、カタカタと震える指先で籠に手を伸ばしたその時、一人の少年が私と籠の間へと一瞬にして割り込んで来たかと思うと、籠を持つお姉さんを大きな黒い瞳をうるうると輝かせながら見上げ、『ねぇねぇ~、この籠以外にこの缶バッチが入ってる籠ってあるのぉ~?』と小首を傾げた。

「うっっっ!!!!!!」

「かっっっっっ!!!!!!」

少年の甘えた声とそのポージングに、既に射抜かれてしまった乙女心の横にひっそりと存在していた‟母性”を不意打ちにも攻撃された私達は、とっさにウエイターのお姉さんは胸を押さえ、私は思わず「かわいいっ!」と言ってしまいそうになった口を強靭な顎力で嚙み殺し、んんっと下唇を噛んだ。

⦅もうやめてぇ~、私達の理性はボロボロよぉおお~‼⦆

キラキライケメンとキュアキュアボーイによる思わぬ連携攻撃にお姉さんは一旦片手で目を押さえてふぅーと息をつくと、笑顔で「ありますよ、ちょっと待っててね。」と言って私達の前から姿を消した。

(がんばれ!お姉さん!そしてありがとうございます!)

お姉さんの心は色んな意味でもうボロボロなのに、お姉さんは尚も自分の職務を全うしようとあんなに一生懸命に接客してくれている…。一客でしかない私は、お姉さんの精神状態を察しながらも、心の中で応援することしか出来ない。

くっ!この私にもっと力があれば…!あのお姉さんだけに負担を負わせずに済むのに…!すまない、ほんとうにすまない…!

私は心の中で叫びながら架空の机を叩いてはキラリと涙を流した。

「お待たせいたしました。はい、どうぞぉ。」

『わぁ~、ありがとう♡』

お姉さんが差し出した籠を両手で受け取った少年はふっくらとした柔らかな頬をポッと赤く染め、満面の笑みをお姉さんに向けた。


ブシュ――――――――――――!!!!!!


そう、それは避けられない結末だった。

私もお姉さんも、むしろよく耐えた。

いいんだ、これでいいんだ。

戦いには負けたが私達は逃げなかった、甘い笑顔を振りまかれようが、きゅるきゅると可愛さを振りまかれようが、私達は最後まで‟普通の大人”であろうとし、戦ったのだ。きっと私達でなければこの二人の猛攻をここまで受け止め切れなかっただろう。いいんだ、これで………。


その日、とあるコラボカフェ店で20代前半の女性二人が突如大量の鼻血を噴き出し倒れ、そのまま救急車で搬送されるという悲劇が起こってしまった。倒れた女性二人は客と従業員で、二人ともなにやら「色々と抑えきれなかった。」と説明しているという。




瞼を射す月明かりと、体にのしかかっている冷たい感触で目を覚ました私は、ぼやけた視界が定まるまで天井を見上げながら「ぎゅいいぃいいぃいいい、ぎゅいぎゅい。」という奇妙な鳴き声を聞いていた。

(……そういえばあのウインナー、賞味期限切れたらどうなるんだろう…。)

徐々に視界が明瞭になっていき、私はまず体に感じる重さの原因を確かめた。

(重いと思ったら…。)

ゆっくりとわずかに首を立てると、そこには私の腹部を枕にしてすやすやと寝息を立てる少年がいた。外では艶やかな黒髪だった髪は長さは短いままで、色だけがいつもの月白色に戻っていた。カーテンの開けられた窓から煌煌と月明かりが差し込み、少年のサラサラとした髪を一層美しく輝かせている。

少年を起こさない様にゆっくりと私の体からおろしてソファーに寝かせ、私はバスルームへと向かった。

「ふぅー。」

長い黒髪を常に高めのポニーテールで上げている為、地肌がどうしても突っ張り気味な私は熱いお湯を浴びながらじっくりと地肌をほぐす。髪を伸ばしている理由は特にないが、強いて言えば長い方がまとめ安いからだろうか。

濡れた髪を緩く絞り、ふと鏡に映った女性らしくないガリガリの自分の体を見て溜息をつく。

(ま、生きてるだけで儲けもんだと思わなきゃね。)

今日もそう自分に言い聞かせ、ボディーソープを泡立て始める。

モコモコと泡立ち始める泡を眺めながら無心で手を動かしていると、突然バスルームの外から物音が聞こえ、体が反射的に跳ねた。

後ろのドアを振り返り、そのまま開けようとするとヌッと大きな影が現れたかと思った次の瞬間、バタンと勢いよくバスルームのドアが開かれドスドスと白い着物に身を包んだ男が押し入ってきた。

「おいおいおいおいおい、ちょっとちょっとあなた!何しに来た⁉」

綺麗な着物に泡が付かないように泡を持った両手を男から避けるように腕を掲げ、男を見上げる。

『なにをしている…。』

「はぁ?風呂はいってんだよ。」

男は寝ぼけているのか、アクアブルーの瞳を切なげに細め、フラフラと徐々に近づいてくると濡れた私の体をお構いなく引き寄せて強く抱きしめた。

『風呂は、私と一緒だと言っただろう…またのぼせて動けなくなったらどうする?私の手を煩わせるな…。』

「はぁ…。」

なんだコイツ?

神の癖に、寝ぼけて私を他の女と間違ってないか?

大体、アンタと風呂なんて入ったことないですし、のぼせるほど私は長湯しないですし、お寿司。

「神様、分かりましたから一旦出てください。今日は大丈夫なんで。」

『……私が、怖いのか?』

「あぁ?」

なになに、また情緒不安定?

『…私が恐ろしいから、お前はそうやって私から離れようとするのか?』

離れようとする?

「あ、うん。だって泡ついちゃうしね。神様が怖いというか、その良い着物を泡でぐちゃぐちゃにするのが怖いね。」

だって私も一応、モノ作り職人のはしくれだし?素材の違いくらいは分かる。

私の言葉に男は険しく顔をしかめると、私の体を壁に押し付けた。

「いった!なになに⁉なに怒ってんだよ⁉」

ぽふっと泡立てた泡が床に落ち、細く頼りの無い腕は男の大きな手にギリギリと物凄い力で押さえられてしまう。

「いたい、いたいって!」

『許さない、私から逃げ出そうなど…絶対にっ!』

険しく顔をしかめる男の顔を見上げると、いつも涼し気な水面のように輝くアクアブルーの瞳がチカチカと赤く光り、噛みしめた唇からは赤い雫が滴り落ちていく。

明らかに様子のおかしい男に、私は「分かりました、もう逃げません。すいませんでした、今からでも良ければ一緒に入りましょう。」と男の目を見つめた。

男はその言葉を聞くなりパッと私から離れると、着物を着たままバスタブに浸かってしまった。

(マジでなんなんだコイツ。)

『はやく来い。』

湯に浸かりながらこちらに手を伸ばす男に私は「ちょっと体くらい洗わせてくださいよ、私は神様と違って生きてるだけで体は汚れてしまうので。」とピシャリと言い、パッパッと体を洗う。

その間、男の『まだか。』、『遅いぞ、はやく来い。』という言葉のせいで眉間に深いシワが寄ったのは言うまでもない。

「はいはい、お待たせしました。」

『遅い、こちらへ来い。』

男はバスタブに片足を突っ込んだ状態の私の手を引き、自分の体温の無い冷たい体にピッタリとくっつけるようにして湯に引き込む。

『どうだ?』

どうだ⁉なにがだ⁉何がどうだなんだ⁉

「あ…、いい湯…ですね?」

困惑しながらも適当に返した私の言葉に、男はやっと落ち着いてきたのか『……そうか。』と言ってフッと微笑んだ。

『……月が…。』

「?はい。」

『月が私を酔わせたんだ、私ほどの神であろうとアレを手に入れるのは容易ではない…。もっと、多くの歳月と命が必要なのだ…。』

「はぁ…、そうですか。」

わずかに熱を帯びたアクアブルーの瞳がしばらく私を見つめていたかと思うと、男は急に湯の中からはい出し、今度は私の体を湯の中に沈め、自分がその上へとのしかかってきた。

「ちょっ、重いっつーの!」

体を上から押さえつけられ、唯一自由な両手でペチペチと男の体を叩いて抵抗するが当の男はお構いなく私の平らな胸に耳を当て瞳を閉じる。

『……全部、お前のせいだ…。』

艶やかな声で男は呟くと、それからスース―と寝息をたてて眠り、起きることはなかった。そのせいで私が本当にのぼせて再び鼻血を出したのは言うまでもない。


コイツぜってぇ許さねぇ。




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