四等星のファンファーレ 2
「日比野なにしてるの? 掃除終わらないんだけど」
窓枠に肘をついてぼんやり空を眺める(さぼっている)おれを、仲村は早速叱った。今日は二回目だな、叱られるの。あれ? 少ないじゃん。今日のおれは優秀だ。
放課後の掃除しているやつは、大体二種類の生徒に分けられる。部活があるからテキパキと掃除をすすめるやつと、何もないから何もしないやつ。仲村は部活がないのになぜか掃除に厳しい。
「いやぁ、きれいだなぁと思ってさ。仲村の黒髪」
「空見てたでしょ。馬鹿じゃないの」
仲村からナイフが飛んでくる。昼間より鋭くなったナイフを交わさず受け止める。仲村のナイフは心地いいところに刺さる。
「ずっと気になってたんだけど、なんで日比野は茶髪にウェーブなの?」
「いいだろ! 菅田将暉みたいで!」
勢いよく振り向くと、仲村は黒板の下を柄の長い箒で掃いていた。一限目から七限目まで、一日中使われた黒板の下にはチョークの粉がたっぷり落ちている。仲村はそれを柄の長い箒を使って丁寧に集めていく。箒を揺らす度に、仲村の黒髪が箒と同じように揺れる。え、ていうか本当にきれいじゃない? 仲村の黒髪。
「誰に似ているかなんて訊いてないんだけど」
檸檬の苦みだけを集めたように眉間に皺をよせて、仲村はまたナイフを投げた。午後も仲村が冷たい。うん、平和な一日だ。
窓の外から蝉の鳴き声が絶えず流れ込んでくる。夕日はオレンジ色に輝きながら真っすぐ教室を照らす。夏休みが終わった放課後の空は青よりオレンジが多い気がする。九月が暑いのはオレンジが多いからだと思う。
教室では俺と仲村以外にも三人が掃除している。三人も放課後は何もないらしく、まるで鉛を動かすように箒を揺らす。教室の後ろでは、押し寄せられた机の上で二組のテルシマと生徒Aと生徒Bが大きな声で話している。金髪のテルシマは黒髪の仲村とはまた違った意味で目立つ。うちの高校は赤とか緑とか茶色とか、とにかく髪を染めているやつが多い。校則では禁止になっているが、皆地毛とか言って何とかごまかそうとしている。ごまかせる色に染めようとするから、皆どうしても似たような髪色になってしまう。だからこの高校には似たような頭の人間がたくさんいる。露骨に金髪にしているのはテルシマくらいだった。
この間ミカがさー、とわざとらしい声で言うテルシマに、それはないわー、と生徒A・Bが絶妙なタイミングで相槌を打つ。蝉の鳴き声がより一層強くなる。仲村は黒板の下に集めたごみをちりとりで取る。窓枠に立てかけてあった箒を手に取って、俺も掃除を始める。
入道雲が、大きくゆっくり流れていく。
二階にある四組の教室からはグラウンドを見渡すことができる。教室からグラウンドを見るのと、実際にグラウンドに立つのとでは広さがまるで違う。
野球部、陸上部、サッカー部が、一つのグラウンドで窮屈そうに練習している。狭いところで練習しているせいか皆一生懸命で、二階から見ていても額や首筋に汗が滲んでいるように見える。部活をやっているやつらは、それだけで輝いて見えて、なんだか遠い存在のように思ってしまう。
お、危ない。野球部が打った球がサッカー部のエース—隆也に当たりかけた。気をつけろよ。お前はうちのエースなんだぞ。うちのサッカー部はこの夏休みの間に全国へ行っていたらしい。すごいよな全国。どのくらい練習したんだろう。
なにしてんだよ颯汰、早く行こうぜ。
子どものような声が空からから降ってきて、頭にこつん、と当たる。その瞬間、夕立が勢いよく、さー、と音を立てながら降り始めた。夕立はオレンジ色の夕日を浴びて、世界を鮮やかに染め上げていく。外は、雨が光ってさらに眩しくなった。大きな声で練習していた運動部たちも、一斉に引き上げ始める。蝉の鳴き声はまだ止まない。
「仲村さ、テストどうだった?」
うちの高校は「自称」進学校で、夏休み明けに必ずテストを行う。先生たちは偏差値を上げることに必死で、ご丁寧にテストをする度に順位まで張り出してくれる。順位なんて、自分が何番なのか思い知らされるだけで、やる気にはつながらない。
それまで順調に掃除していた仲村の手がぴたっ、と止まる。
「現代文が良かったの」
夕日に照らされた頬が、照れ臭そうに微笑みながら静かに応える。仲村の言葉には無駄がない。いつも伝えたいことだけをきれいに浮き上がらせていく。
「現文かー。俺全く手応えなかったわ。現文得意なの?」
「ええ、好きなの」
え、仲村現文好きなの。まんまじゃん。大和撫子じゃん。やばいとかザ・高校生みたいな言葉、絶対使わないんだろうな。
「日比野は? 今回は絶対のいい点獲るんだって息巻いてなかった?」
今度は俺の手が止まる。そうだ、今回のテストは絶対にいい点を獲らなきゃいけなかった。
「全然だな! 夏休みはずっと遊んでた!」
自分で放った言葉がナイフになって、自分の心臓に突き刺さる。今までで一番痛いところに刺さったような気がする。仲村はいつの間にか掃除を始めている。黒板の下にはもう何も落ちていない。テルシマたちはまだミカが浮気した話で盛り上がっている。浮気をされたという話をまるで武勇伝のように語るテルシマの金髪が、夕日に当たって反射する。AとBの髪色は、光でもはや何色なのかわからない。こいつらの会話は蝉の鳴き声にしか聞こえない。
「まあ別にいいけど、あんたのテストの点数なんて。勉強するしないは勝手だけど、もう少し緊張感をもったほうがいいんじゃない? 私たちあと半年で大学生になるのよ」
そう言って仲村は箒を掃除箱に押し込んで、教室から出ていった。
ざくざく、と全身で音が鳴りナイフが刺さる。仲村の言葉には無駄がない。いつも伝えたい言葉だけをきれいに浮き上がらせていく。無駄がない分、心の奥まで言葉のナイフが深く刺さるときがある。一か月に一度、俺は本気で仲村に嫌われているのでは、と思う日がある。
今日はあそこで決定だな。
大学。仲村の言葉が冷たく重くのしかかる。来年から中学生なんだからもう子ども扱いしないぞ。もう高校生なんだからしっかりしろよ。と、進級の度に親が脅すように言ってきたが、俺にはその自覚がない。進級は階段を一歩一歩丹精込めて丁寧に上ってきたように思うが、俺のイメージは少し違う。俺のイメージはエスカレーターだ。何も学ばず、成長しないまま背ばかり高くなって、全自動でここまで運ばれてきてしまった。
床を掃く自分の姿が教室の窓に映る。仲村が箒を使うと、箒を使う仲村まできれいに見えた。俺が箒を使うと、掃除を習いたての小学生にしか見えない。
何やってんだよ颯汰、早く行こうぜ。
子どもの声が頭にこつん、と当たる。まったくだ、と思う。
「よーう日比野! この後カラオケいかねー?」
ギラギラとくすんだ金髪のテルシマの蝉のような声が教室に響く。テルシマの隣には、さっきまで散々愚痴を言っていたミカがいて、肩を組んでいる。
「今日は遠慮しとくわ。そっちで楽しんできてよ」
机の横にかけてあったリュックを殴るように取り、教室を出た。今日は夏休み明けにやったテストの順位が張り出される日。多分仲村もランキングが張り出されている一階ロビーの掲示板に向かっただろう。仲村が歩いたであろう廊下を、足跡を重ねるように俺も一階ロビーに向かった。
あいつ、見た目の割にノリ悪りーよな。
教室を出るときに、確かにそう聞こえたが、無視してそのまま進んだ。
あー、めんどくせぇ。
次の更新予定
泣きたい夜に、駆けるぼくら 空井 羊 @shooot329
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