帰宅祭

三駒丈路

帰宅祭

「おい。吉木」

「はい?」


 昼休み。廊下で担任の谷先生に呼び止められた。

「今日の放課後、職員室に来てくれるか?」

「いやです」

「即答か。普通はハイって言うだろうし、都合が悪ければ、なんでしょうか、とか訊くだろう」

「すぐ家に帰りたいので」

「用事があるのか」

「ないですけど。強いて言うなら、帰りたいから、でしょうか」

「それだ。その話がしたいんだよ」

「何の話ですか?」

「お前、うちの高校が部活必須だっていうの知ってるだろ? 家で何をするわけでもないのに、なんで部活に入らないで帰ろうとするんだよ」

「うちにいると落ち着くからなんですが」

「部活に入ってないの、お前だけなんだよ。他はみんな、運動部も文化部も、夕方遅くまで学校で頑張ってるんだ」

「うちの学校が部活必須って、知らなくて入学しちゃったもので」

「なら、もうわかっただろ。どこかに入部しろ」

「いやー。今さら運動も文化もないかなと……。幽霊部員っていうのも気が引けますし」

「部活に入ってないことに気が引けろよ」

「入らないとダメですか」

「ダメだ」

「どうしても?」

「どうしてもだ。部活ってのは教育の一環だ。部活もやってないヤツはマトモな社会人になれないぞ」

「うーん……」

「どこがいい? どこでもいいんだぞ。なんなら、なんでもいいからお前がやりたい部活を作るって手もあるぞ」

「なるほど。そうですね」

「お。決めたか」

「はい」

「どれにする?」

「帰宅部を作ります」

「おいっ」

「僕の本当にやりたいことなんですが」

「帰宅部って、何するんだよ」

「家に帰りますよ?」

「あのな」


 ここで予鈴のチャイムが鳴った。もう昼休みも終わりだ。

「まあいい。それじゃあ、放課後に来いよ?」

「いやです」

「うぐぐ……。昔と違って、ここで殴るわけにもいかないしな。……よし。それじゃあ、帰宅部を認めてやろう。俺は寛大な先生だからな。顧問は俺がやってやろう」

「ホントですか。やったー。これで大っぴらに帰れますね」

「その代わり。部としての責任は果たしてもらうぞ」

「部の責任ですか」

「そうだ。他の部でもやってることだ」

「好きなことやってるだけじゃないんですか」

「ああ。年に一度、活動を認めてもらうための発表をするだろ?」

「文化祭とかですか」

「そうだ。文化部には文化祭がある。運動部には体育祭だ。うちの体育祭はただの運動会じゃないからな」

「あれにはそういう意味合いがあったんですね」

「それで……。帰宅部は、運動部か? それとも文化部か?」

「どっちでもないですよー。そんな面倒なことはしなくていいです」

「そういうと思ったよ。……であれば、結論はこうなるな」

「どうなるんです?」

「どちらにも属さないなら、新たな祭を作るしかないだろう」

「新たな祭ですか。どんな……」

「文化祭でも体育祭でもないなら、新しく『帰宅祭』を開催するしかないだろうってことだよ!」


 そんなわけで、帰宅祭とやらをやることになってしまった。とはいえ、何をやれというのか。活動発表と言っても、家に帰るだけだし。まぁ、どうでもいいか。うやむやになるだろう。

 ……などと思っていたら、どうでもよくなかった。僕には何の相談もなく、帰宅祭の内容が谷先生から発表されてしまったのだ。

「~ということで、今年は帰宅部の活動発表として『帰宅祭』を開催することになりましたっ!

 帰宅部とは、どうしても家に帰りたい、部長である吉木卓也ひとりの部活ですっ。その活動発表ですから、彼がいかに帰宅したいかを発表することになりますっ。

 当日も、とにかく彼は帰宅しようとします。それをみなさんが邪魔してくださいっ。それを退けてヤツは家に帰れるか。これが『帰宅祭』ですっ! 帰宅阻止貢献優秀者には、体育祭、文化祭の優秀者と同様に、さまざまな特典があります!」

 ……なんか最後僕のことを、ヤツとか言ってるけど。先生、これがやりたくて帰宅部とか顧問とか言い出したのか。僕ひとり対全校生徒で思い知らせようということか。そして、成果を見せられなかった帰宅部は廃部で僕はどこかの部に放り込まれると。そうはいくか。


 帰宅祭当日。文化祭や体育祭は休日を一日つぶして行われるが、帰宅祭でやるのはあくまでも帰宅なので、平日の普通の授業が終わってから行われることになっていた。普通に帰宅させてもらいたいもんだが。

 今日の最後、英語の授業がもうすぐ終わる。クラスのみんなに緊張が走る。英語の先生も緊張しているのか、何言ってるのかわからない。

 キーンコーン……。チャイムが鳴った。僕以外のクラスメイトは全員その瞬間に席から立ち上がり、教室の出口へ向かった。

 今回の帰宅祭、僕に与えられたアドバンテージはこの時間だ。僕以外の生徒たちはみんないずれかの部員であり、一度部室に顔を出さなければならないことになっている。そこから僕の帰宅を阻止することになるのだ。

 さすがに、教室を出る前にクラスメイト全員に囲まれたらゲームセットだ。それだと面白くないということだろう。「十数える間は追いかけないから、好きに逃げていいぞ。逃げ切れるならな。けけけ」みたいなものだろうか。


 僕は誰もいなくなった教室を出る。他のクラスも同じだから、廊下は静かだ。ともあれ、この時間だけ先行できるのだから、逃げ切ってしまえばいいのだ。

 生徒玄関へ向けて走る。走る。走る。……が、玄関が見当たらない。あれ。もう着いてるはずなんだけど。と思って振り返ると、廊下の壁を描いた絵が玄関を覆っていた。

 だまし絵みたいになってたのか。そういえば美術室は玄関脇だったか。美術部、なかなかやるな。

 取って返し、廊下を描いた絵をバリバリと破る。玄関が現れた。美術部の連中がちょっと悲しそうな顔をしたが、これはしょうがない。でも、けっこう時間をロスしてしまった。追いつかれないだろうか。


 靴を履き、玄関を出る。そこでは、茶道部が野点をしていた。優雅な調子で和菓子を出して「おひとつどうぞ」と言ってくるが、そんな時間かせぎに乗ってやる必要もない。が、喉もかわいたので和菓子を口に放り込んでお茶をズズズと飲み「けっこうなお点前で」と茶碗を返して先を急ぐ。


 玄関は出たが、うちの高校の場合、校門へ行くために校庭を通らなければならない。多くの部室が校庭近くにあるのだ。しかし、突っ切るしかないだろう。

 校庭に入ろうとすると、ネットが出現する。この高さは、テニス部か。このくらいの高さならなんでもない。と、飛び越えようとしたら、脇から「ブローック!」と言いながらバレー部の連中が出てきた。面食らったが、とっさに「オーバーネット!」と言ってやったら引っ込んでいった。ルールが身体に染み付いている運動部の連中は意外と御しやすい。


 その後も、将棋部の連中が僕の行こうとする方向に動いて、行く手を遮ることを繰り返してきたので「千日手」と言って煙に巻いたり。

 サッカー部の連中が迫ってきたので「オフサイド」と言って後ろに下がらせたり。

 タックルしてきたラグビー部に「ノーボールタックル」と言って牽制したり。

 園芸部の持ってきたツキヨタケを食わされそうになったけれども混じっていたヒラタケを見分けることが出来て無事だったり。

 柔道部に捕まりそうになったので手をぐるぐる回して「教育的指導」と言って悔しがらせたり。

 オカルト部の作った藁人形で動きを止められたが、やつらは長時間校庭で日光を受けていられなかったので助かったり。

 野球部が連携して捕らえようとしてきたけれどもブロックサインを見破って逃げたり。

 バスケ部が迫ってきて危なかったけれどもたまたま近くにあったボールを渡したら三歩以上歩けなくなったり。

 科学部がビーカー持ってやってきたので毒でも飲まされるのかと思ったら手製のスポーツドリンクで激励されたり。

 何か仕掛けたそうだったけれども陸の上では何も出来ずにいた水泳部を慰めたり。

 ラケットの素振りをしながら迫ってきた卓球部を無視したり。


 いろいろな部の妨害を乗り越えて、校外へ出ることに成功した。

 軽音楽部の演奏や落語研究部の噺の前で思わずちょっと聴いてしまったのはピンチだったがなんとか振り切って。

 総じて運動部よりも文化部の連中の方が危なかった気がする。

 しかし校外に出てしまえば、追ってくるようなものもそうはいないだろう。僕の家は徒歩圏内でそれほど遠くない。僕は家を目指して走る。


 走っていると何か変な声が聞こえた気がしたので後ろを見ると、何かが飛んできた。ハンマーだ。金槌ではなく、陸上部のガタイのいいやつが奇声をあげながら投げるやつだ。思わず立ち止まると、僕の少し前にハンマーが落ちてきた。あぶないな。

 そして足を止めた僕に向かって、駆けてくる姿がある。あわててまた走り始める。しかし、速い。あれも陸上部か。走り専門のやつだな。マラソンランナーか。もうすぐ家なのに。

 必死に走るが、追いつかれそうだ。陸上には変なルールも無いから、言葉で相手の足を止めることもできないだろう。ここまでか。しかし、マラソンランナーくらいなら戦えば勝てるかもしれない。

 しょうがない、戦うか。と覚悟を決めたら、ランナーは僕を追い越していく。なんだ? と前を見ると、ランナーは誰かをおぶっていて、その誰かを僕の家の前でおろしたようだ。あれは……クラスのマドンナ、高根華さん?


 高根さんは僕の方を見て言う。

「吉木くん。いつも私のこと、チラチラ見てるよね。知ってるよ。でもそれが続いてたら、最近は私も吉木くんのこと意識してきちゃった。私のこと好きなら、抱きしめて!」

 と、立ちふさがり、僕に向かって瞳をキラキラさせて手をひろげる。


 僕は走りを止めずに跳躍し、高根さんの頭を踏んづけて背後におりる。高根さんは口から「ぶぎゅ」という音を出して、しゃがみ込んだ。

「ごめん。高根さん。確かに僕はキミのこと好きだけど、実際に付き合ったりするよりも自分の部屋で妄想しながら色々するのが好きなんだ。だから、僕は部屋へ行く」

 高根さんは頭を抑えながら「部屋で何の妄想して何してるのよ。ちくしょう」とか何か罵詈雑言めいた言葉をいろいろ発していたが、聞かなかったことにする。そういえば高根さん、演劇部だっけか。

 高根さんをおぶってきたマラソンランナーは僕に陸上部で高跳びをやるように勧めてきたが、無視する。

 そして僕はついに家の玄関に入った。僕の勝利だ。


 その後、この帰宅祭の様子は僕のあとを隠れてずっとつけていた放送部の連中が撮影していたことが判明した。こいつらがその気になったら、僕は帰宅を阻止されていたかもしれず、一番の難敵になったかもしれない。でもやつらはそういうことには興味が無いようで、助かった。面白い映像さえ撮れればそれでいいのだろう。マスコミなんてそんなものかもしれないが。


 そしてその映像は「帰宅本能」というドキュメンタリー動画として拡散し、大反響となった。

 全国の学校でも帰宅部が創設される動きになり、帰宅部顧問の谷先生は「帰宅部を部活化することを最初に認めた柔軟思考の先生」として有名になった。

 その後、調子に乗った谷先生を中心に全国の帰宅部の精鋭を集めてどこかの山奥に放置して帰宅するまでの時間を競う「帰宅甲子園」という大会が開催されるようにもなったりするのだが、その頃僕はもう卒業していて高校生ではなかったので、関係ない話だった。


 僕はと言うと。先生が言っていた通り、マトモな社会人にはなれなかった。それで、小説家になった。通勤はなく、ずっと家にいる。

 でもそれが幸せなのかというと、そうでもない。やはり僕は家にいるのが好きなのではなくて、帰宅するのが好きだったのだ。

 ああ。帰宅だけしていればいいような仕事って、どこかにないだろうか。

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帰宅祭 三駒丈路 @rojomakosan

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