七
次の日、由美にプラネタリウムに行けなくなった旨を伝えると、残念そうにしていたがどこか嬉しそうだった。
「仲直りできたんだ」
「そういうことになるのかな」
由美は親指を人差し指と中指に挟んで握りこぶしを作ると、
「で、どこまで行ったんだい? 坊や」
と、悪戯っぽい笑みで尋ねて来た。ああ、これは間違いなくいおりさんだ……。
「まだそういうのじゃない」
「まだ! まだですって聞きましたか皆さん!」
パンを齧る藤崎と内藤に向かってそう言った。二人は吹き出しそうになっていた。本当に騒がしい女子だ……楽しいからいいけれども。
「そういえば最近ブログ更新してないね」
由美はいつも通りの表情に戻ると、そう言った。
「なんだか忙しくて。書く事も無いし、不定期更新になるわ」
「このリア充め」
「うん、最近充実してる」
由美はつまらなそうな顔をしたと思ったら次の瞬間には微笑みを浮かべ、「良かったじゃん、がんばれ」と言うと友人の元へ戻って行った。騒がしいけれど優しい女子だ。
そうして順調な日を過ごして土曜日になった。
俺と彩明は簡単に荷物をまとめると駅に向かって歩き出した。
「彩明、今は何か言われたりするの聞こえるの?」
彩明は表情を曇らせて一度頷いたが、すぐに顔を上げた。
「でも、なんとなく最近は『そんなことあり得ない』って思えるようになってきました。聞こえはしますけど、もっと自分に自信を持たなきゃなって思うようにしています」
彩明も一歩ずつ前進しているようだった。
「来週からは、授業にも出てみようって思うんです。カウンセリング室にいたら、同級生の子が話かけてくれて、『待ってるよ』って言ってくれたんです。単純かもしれませんが嬉しくて」
俺が「そっか」と相槌を打つと、彩明は俺の目を見た。
「春まで長くて辛い半年になるかも知れません。でも、頑張ろうって思うんです。そう思えたのは、五朗さんのお陰です」
「良かった、彩明が前を向けるようになって。本当に良かった」
そんな話をしながら電車に乗り、俺は彩明にイヤホンを半分こして音楽を聞く事を提案してみた。彩明は赤面して驚いていたが、承諾してくれた。
「ロックが多いけど、大丈夫?」
「大丈夫です。五朗さんの好きな音楽を聞いてみたいです」
そうして俺たちはイヤホンを半分こして音楽を聞きながら電車に揺られた。終点まで揺られると、既に太陽は真ん中に昇っていた。今年の秋は晴れる日が多くて過ごしやすい。
電車を乗り換え、海辺の町を目指す。
しばらく俺の住む町よりも遥かに山に囲まれた集落が続いた。
「無人駅が続きますね」
「こんな山にも人は住むんだな」
と、少々失礼な事を言っているとトンネルに入り、そこを抜けるととうとう海が見えた。二人揃って「わー……」と思わず感嘆の声を上げてしまい、笑い合った。
そして海岸沿いの駅で俺たちは電車を降りた。
イヤホンを取り、グーグルで調べた地図を頼りに歩き出す。
「海、初めて見た」
「私もです。なんか、感動しちゃいました」
この新鮮さも住み続けると薄れるんだろうか。そうだとしたら海沿いの町の人は贅沢だなあ。そんなことを思った。
潮の香りがする風に吹かれながらひたすら歩き続ける。
そして、自宅から五時間ほどかかっただろうか。海岸から一本入った先にとうとう花江が眠る墓地を見つけた。彩明の提案、それは墓参りをしてみたらどうかというものだった。
花江は実家の墓に入っている。実家の両親は花江とは絶縁状態なので渋ったが、他に入るところも無く、散骨するのもあんまりだと周囲に言われ仕方なく花江を我が家の墓に迎え入れることになったという。その辺の話は祐世さんから聞かされた。
実家に挨拶しようかとも思った。しかし親族のみを集め小さく行われた葬儀の最中、涙ひとつ流さない俺を見て花江の両親は憤怒していたし、連絡したらあっけなく断られたのでやめた。
人一人いない墓地で長谷川と書かれた墓を探す。その墓は真ん中でも隅っこでもない中途半端な位置にあった。
ここに花江の骨がある。不思議だ。花江が死んでいる事も、花江が焼かれた事も、花江が生きていた事も、花江が俺の母親だった事も、花江と言う存在があった事も、全てが不思議に感じた。小骨が引っかかったような感覚というか、よくわからないつかえを感じた。
ネットで調べた墓参りのやり方で、遠方から来た俺たちに実践できそうなのは墓に水をかけることくらいだった。リュックから二リットルのペットボトルを出し墓の上から水をかけていった。取りあえず全部かけて、俺たちは墓の前で手を合わせた。
そして俺は口を開いた。
「あの時、最後に手を振り払ったこと、後悔してるんだ。あんたが寂しい気持ちで逝ってしまったんじゃないかって思うと、なんだか寝覚めが悪いんだ……最近いつも思ってる、俺の出来が悪いから、あんたは一回も楽しそうな顔をしてくれなかったんだって。俺がもっといい子にしていれば、俺たちはもっとうまくやれたんじゃないかって」
彩明は隣で黙って花江の墓を見つめている。
「いつもあんたのせいにして何もかもから逃げてた。あんたのせいで友達は出来ない。あんたのせいで勉強も出来ない。あんたのせいで楽しい生活が送れない。そう言ってあんたに責任転嫁する事で俺はここまで生きていた。そうすると確かに楽だった。でももうこんな生き方はやめようと思う。本当にやりたいことは、やるべきことをしないと出来ないんだ。これからも風当たりは強いと思う。でも俺はその現実に抗いたい。抗う。考えれば考えるほどあんたは最低の母親だった。でも俺の母親は、あんたしかいないんだ。やっぱり俺は、あんたの笑顔を見てみたかった。あんたと、笑いながら生活したかった。でもそれももう叶わないんだ。今更後悔してる拙い俺を許して欲しい。そして最後に言わなきゃいけない事がある」
俺は墓に向かって深々と頭を下げた。
「産んでくれて、ありがとうございました。ここまで育ててくれて、ありがとうございました。静かに、休んで。お母さん」
頭を上げて彩明の顔を見ると、涙目になっていた。「帰ろう」と言うと、俺たちはどちらともなく歩き出した。
海岸沿いの道に出ると、見渡す限りの海が俺たちを迎えた。
砂浜に出てみようかと言うと彩明は快諾した。海水浴シーズンをとうに過ぎて人気のない駐車場を抜けて、俺たちは浜に出た。解放感にひとつ伸びをする。
「すっきりしたー!」
俺がそう大きめの声で言うと、彩明は微笑んだ。
「本当に、すっきりした顔をしていますね。良かったです」
「また彩明に助けられちゃったな」
「私の提案で五朗さんがすっきりしたのなら、これほど嬉しい事は無いです」
日が傾き始めていた。染まり始めた空と海をしばらく並んで眺めていた。響くのは波の音と時々通る車の音。
ここまで来られたのも、ここに来ようと思えたのも、彩明のお陰だ。彩明が来てから何もかもが変わった。
最初は変な身振りでぼそぼそ喋る変な子だと思った。でもそれは恥ずかしさと緊張から来ていたもので、打ち解ければ遠慮がちで柔らかな可愛らしい女の子だった。しかし柔らかいだけでは無くて、自分で前に進もうともがく力強さもあって、一緒にいる人に元気をくれるような子でもあった。少々精神の病気もあるみたいだが、本人はそれすらも跳ね飛ばそうと頑張っている。俺は彩明のために何が出来るだろうか。ここまで俺を助けてくれた彩明に、何をしてやれるだろうか。
俺は隣で海に見とれる彩明の手を握った。大きな瞳がこちらを見た。
「俺は、彩明に返しきれない色々なものを貰った」
「そんなこと」
「あるんだ。だから、今度は俺が彩明に何かをしてあげたい」
「…………じゃあ」
彩明は困ったように笑った。
「ずっと、私の傍にいてください」
「ああ、ずっと傍にいる」
どちらともなくお互いの手を握る力が強くなった。
そして俺は、口を開いた。
「好きだ、彩明」
赤い空の下、電車が走る。俺たちを乗せて。イヤホンを半分こした俺たちはいつの間にかお互いの肩にもたれかかって眠っていた。その手は温かく固く、確かな体温をお互いに伝えながら握られていた。
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