「学校に行きたがらない?」

「しかも行きたがらない理由は絶対に口を割らないんです」

 昼休み、友人がいない俺は割と行動に自由があるので保健室で保健医と談笑と洒落込んでいた。

 ただこの佐伯優里保健医とお近づきになるべく喋ろうと思い来たわけではない。ちょっとした人生相談ってヤツだ。

「それで、今日はそういう話を聞いてどうしたの?」

「今にも泣きだしそうだったから、結局俺が根負けして休ませましたよ」

「まあそんな奇妙な関係じゃ無理に登校を勧めるのも忍びないものね」

 佐伯先生には俺の身に起こったこと、昨日から始まった俺と彩明の奇妙な関係のことも合わせて話した。

 俺は前髪を触りながら思わず困り声を出した。

「放っておいていいならそうしますけどね、祐世さんに顔向けできないような状況にはしたくないなあって思いまして」

「うん、そうね……でも一般的には登校拒否して休み始めたらもう、そっとしておいてあげるのが良い対応だと言われているわ。無理させて何か大事に至ればそれこそ大問題だからね。引き取ってくれた人に顔向けできない気持ちもわかるけど、同居人の子の気持ちや安心を考えれば今はそっとしておいてあげるのが良いかもしれないわね」

「そうですねぇ、体面よりももっと大事なものがありますよね。一番困っているのは間違いなく彩明なわけですしね。ありがとうございます、人に話したら少しすっきりしました」

「いいのよ。同居人さんと仲良くね。そろそろ予鈴だしもう行きなさい」

 その言葉に頷き椅子から立ち上がった時、丁度良くベッドを覆っていたカーテンが勢いよく開いた。人がいたのか、まったく気付かなかった。

 カーテンの向こうから出て来たのは同じクラスの、出来れば顔も見たくない感じの派手な見た目をした女子だった。

 肩甲骨らへんまで伸ばした茶色の髪と、太ももを見せつけるかのような短さの制服のスカートを揺らしながら、彼女、原田由美は腰に手を当て仁王立ちして俺の目の前に立ちはだかった。

 ……は? なんだ? 何故こいつは俺の目の前に立っているんだ? 俺とこいつは何の接点も無い、いちクラスメイトの筈だが。今の佐伯先生との会話を聞かれていたとしてもこいつに関係のある話をしていたとは到底思えないし、今のこいつの行動は謎すぎる。

 と、目を白黒、顔をひきつらせながら、

「な、なんスか」

 と情けなさマックスな態度で原田由美に言葉を投げかけると、彼女は俺の顔を覗き込んできた。

「あんた、名前なんだっけ?」

 は? 名前?

 この手の女子が俺レベルの矮小系男子の名前を把握していないのは織り込み済みだが、何故このタイミングで名前を聞いてくる? 意味がわからない。

「長谷川五朗っスけど」

「ほう」

 今度は顎に手を当て思案のポーズ。いやだから意味わかんねぇって。

「長谷川さ、こないだ忌引で一週間休んだけど」

「は、母親死んで……」

「母親?」

 再び顔を覗き込まれる。なんて忙しい女だ。

「ビンゴか……でもまだ確定要素は無いね……」

 なんかぶつぶつ言ってるんだけど。最近の女子の行動ってこんな意味不明なものなの?

「さっきから見てればあんたらさっきから何してんの?」

 見かねた佐伯先生が口を開いた。

「由美、五朗に興味があるのはわかったからそういうのはもっと場所を選びなさい。先生恥ずかしくなっちゃう」

 佐伯先生の言葉に原田由美は顔を瞬時に紅潮させた。

「なっ……そんなんじゃない! 何言ってんの先生!」

「はいはい、予鈴鳴るから行った行った」

 佐伯先生はてをぷらぷら揺らしながら俺達に退室を促した。原田由美は大股でいかにも怒ってますという風に歩いて行くと勢いよくドアを開けて出て行った。俺は開けっ放しにされたドアを出て静かに一礼して閉めた。

 原田由美か……近付き難い女子だな。意味わかんない行動するし、やっぱり女ってよくわからない。

 教室に戻ると、入り口付近に溜まっていたクラスメイト達に一瞥という言い方がふさわしい視線を送られて、居心地悪く席についた。いつものことだから気にしない。

 ……そして。

「あれ~五朗君、今日はどこに逃げちゃったんだよ」

 こいつが気持ち悪い絡みをしてくるのも、もういつものことだから気にしない。

 クラスメイトも俺とこいつ、仁田圭の絡みが始まると気にしないように努めている。しかしあくまで努めているだけなので意識はがっつりこっちに向いているのがわかって、俺としては非常に居心地が悪い。いつものことだけど気になる。俺は圭のようにこういう視線に気持ち良さを見いだせる変態じゃないし。

 俺は圭に一瞥をくれると、わざとそっけない声を出した。

「お、お前には関係ない」

「お前? 関係ない? いつからそんな大口叩けるようになっちゃったのかなあ、五朗君。ちょっと身の程をわきまえた方がいいんじゃないかな?」

 常識論でいけばいち学生である俺と圭の間に身分の差なんて認められない。しかしここは学校で、一つのクラスだ。当然、ある。それがクラスや学年の中のヒエラルキーだ。

 友達の量、恋人の有無、容姿、見た目の派手さ、そういった学力とは関係ない要素でこのヒエラルキーは分けられる。学生生活を送った人にはおのずとわかる事実だと思う。

 俺と圭のヒエラルキーの差は、大きく開いていると言っても過言では無かった。片や友達無し彼女無し、平凡容姿で校則遵守の制服の着こなしをした俺、片や制服を着崩し、取り巻きを連れ、女子とも平然と会話できるイケメン。その差歴然。

 自分で言ってて悲しくなってきた。

 圭は俺の机に手をつくと、にやりと笑った。

「俺は優しいから今回は勘弁してやるけどさ」

 そしていつもの台詞を吐く。

「お前だけは許さないから」

 俺はこの台詞を聞くたびに背筋がすっと薄く冷えて、胃をきゅっと掴まれたような感覚に襲われる。しかし素知らぬ顔をして、取り巻きの元へ戻る圭には一瞥もくれず次の授業の用意をしていた。



 今日も灰色の一日が終わった。

 俺だって料理出来るんだぞ、という矮小系男子にありがちな見栄を張って炒飯を彩明に振る舞う夕食の一時。

 俺は小さな覚悟を決めて彩明に切り出した。

「彩明、明日病院に行ってみない?」

「…………?」

 『美味しいです』とはにかみながら炒飯を食べていた彩明はスプーンを動かす手を止めて、何故か俺の手を直視した。

「なんでですか?」

 不安が滲む、という表現がしっくりくる表情の彩明の目を直視できずに、俺は炒飯を掬いながらそれとなくしている風を装って口を動かした。

「いや、学校行けないのならなんか理由があるんだろうから、そういうのわかるかも知れないじゃん? 行けないより行けた方が良いだろ学校って」

「え、でも病院は」

「じゃあ学校行ける?」

 次の彩明の一言が俺の逆鱗に触れることになる。

「べ、別に行けなくても、義務教育ですし」

「は?」

 瞬間、彩明がビクンと震えるのがわかった。

 自分でも酷い表情をしていたと思う。彩明が青ざめた顔で俺の事を見ていた。それを見て俺は我に帰った。

「ご、ごめんちょっと取り乱した」

「い、いえ。私こそ軽率な発言をして、申し訳なかった、です」

 二人して頭を下げ合った。

「ま、まあさ、アレだよ。辛いものを軽くしてやりたいっていう気持ちがあって言ったんだ。決して悪い意味じゃないんだ」

 そう言うと彩明の青ざめた顔は少しマシになって、またいつものはにかみ顔に戻った、俺は心の底から安堵した。

 明日は学校は遅刻をして、午前は病院という運びになった。


タイトル:保健医は美人

本文:A(妹?)が学校に行きたがらない。

   自分じゃわからないからそのことを保健医に相談した。

   そっとしておこうという運びになった。

   でもなんとか助けてあげたいから明日はAと病院。

   Aが来て不安の種が増えたけど、Aはいい子だ。


   そういえば保健医に相談している時変な事があった。

   普段絡まない女生徒にわけのわからない絡みをされた。

   あの子は俺に話しかけて何がしたかったんだろう……

   保健室にいたから負債に変動なし、四千八百円。


名前:いおり

タイトル:無題

コメント:しのぶさんにこんなに愛されちゃって……

     Aちゃんは罪深い子ですね

     Aちゃんはこのブログ読者の期待にも応えないとw

     ところで美人な保健医との進展は(ry

     それとも謎絡み少女と突然のロマンス(黙れ


名前:しのぶ

タイトル:いおりさんへ

コメント:これはAに悪い事をしてしまったかw

     (Aにはブログの事は話していないですが)

     美人な保健医は狙っておりません。

     勿論少女とのロマンスも始まる気配無しですww

     そういう浮ついた話が報告できる日は来るだろうか。



 秋晴れの空が広がる、気持ちの良い陽気である。こんな日に学校を半日も遅刻出来るなんて、俺はなんて幸せ者だろう! と、普段なら思うところだが、今日は少々勝手が違う。

 それは彩明の病院の付き添いという大義があるからであって、そもそも普段も何も俺は学校を遅刻した事が無かったからその幸福感も朝起きた時に初めて感じたものであった。ちゃんちゃん。いや、終わってないけど。

 黒くて長い髪をおろし、秋らしい深い栗色のワンピースに身を包んだ彩明は、駅までの徒歩の道すがらずっと俺の半歩後ろを猫背で歩き、話かけても「へっ?」とオーバーリアクションで聞き返す相変わらずの挙動不審ぶりを発揮していた。学区は同じとはいえ俺の住む地域には疎いらしく、少々どころでは無い緊張が感じられた。

 電車からバスに乗り換え、病院に着くまでずっとそんな調子で、特に電車に乗っている時は同乗していた女子高生にビビったのか冷や汗まで滲ませていた。

 そんなこんなで病院の待合室に着いた時には彩明はもうぐったりしてしまっていた。目に見えてぐったりしていた。ぐったり度指数でいくと五十八ぐったり……ふざけるのはやめようか。

 長めの問診表も書き終わった。待ち時間にあまり話しかけて彩明を疲れさせたら悪いし、家から持ってきた音楽雑誌でも読もうかとリュックのファスナーをつまむと、彩明が不安げな表情で俺を見つめて来た。

「あ、あの」

「ん?」

「私、変じゃないでしょうか? 服とか、髪型とか」

 『挙動が変だったよ』とか言ったら逆効果なんだろうなぁと思ったので、俺は何食わぬ顔で

「ん、どこも変じゃないけど」

 と返した。彩明はそれが信じられないようだ。

「周りの人が、私のことを気持ち悪いって言ってるんですけど、本当に大丈夫なんでしょうか?」

 俺は首をかしげた。彩明の言っている事が理解不能だったからだ。ここにいる人間や道中同乗したりすれ違った人間の口からそのような言葉が出ているのを俺は全く感じなかった。というかそもそも赤の他人の通行人がわざわざそんな事言うだろうか。言うとしたら相当性根がねじ曲がっている奴か、圭のような人をおちょくって目立つことに快感を覚える変態くらいだろう。俺は足先を見つめ、彩明にどんな言葉を返すのがベストなのか考えた。

「んー少なくとも、俺はそういうの全く聞こえなかったけど」

 結局普通の返しになってしまった。

 このままではいけないかな、と思い、俺は率直な気持ちを続けてみた。

「ていうかさ、可愛いと思うよ? うん、よく似合ってる」

 彩明の全身を見てそう頷くと、彩明は顔を真っ赤にして俯いてしまった。失敗だっただろうか。

 結局その後無言のまま診察室に呼ばれた。相変わらず俯いて俺の半歩後ろを歩く彩明は、よく見ると不安げだった。

 何故か血圧を測り診察室に入ると、柔らかな笑みを浮かべた三十代と思しき男性の医者が椅子に腰かけていた。俺たちは頭を下げると医者と向かい合って座った。

「問診票を見せていただきましたが、気分がだいぶ落ち込んでいるみたいですね。あそこに書いた以外で何か困っている事はありませんか?」

 彩明は医者に目を向けられると困った様子で俺の方を見て来た。いや、そこトスを上げるとこじゃねえから。

 しかし俺は上を向いて少し考える。

「学校に行けないのが困りごととしては一番大きいですけど、そうなったのにも何かしらの理由があるはずなので、その辺は本人に聞いてみないと何とも言えないです」

 医者は俺の話を聞くとすらすらとカルテに何かを書いている。ちらりと見えたが走り書き過ぎてちっとも読めない。

 それから医者は彩明に「夜は眠れるか」「幼いころ友達はいたか」など診察に関係あるかよくわからない事を質問していた。そしてふむ、とひと息つくと、

「学校や外、家の中、どこでもいいです。誰かが悪口を言っているように感じることは?」

 と柔らかな笑顔を崩さずに問いかけて来た。

 彩明はビクリと肩を震わせ目を泳がせ始めた。

 俺は先程までの彩明の言動を見て思うところがあったので口を挟んでみた。

 彩明が「気持ち悪い」と言われていると訴えていた事を告げると、医者は納得したように二、三回頷いた。

 すると白い紙にささっとよくわからない絵を描き、解説し始めた。「まだ断定ではありませんが」と前置きして医者が言うには、こういうことだった。

 人の脳には神経を司る物質がある。彩明はそれが異常に増えてしまっている。それにより神経が暴走し、聞こえるはずの無い声が聞こえて来たり、あるはずもない出来事をあるように思いこんでしまうのではないか、と。

 彩明も俺もキョトンとした顔で聞いていたが、どうやら彩明は精神の病気であるらしいことは伝わって来た。

「それは、どうすればいいんですか?」

 一通り説明を聞き終わった俺は、そう医者に問いかけた。

「本当は薬を処方して服用してもらうのが一番いいのだけれど、君たちは未成年だから、保護者の同行が必要なんだ。だから今日は薬は出せないです」

 じゃあどうすれば彩明は良くなるんだ、と問いかけようとしたら医者は彩明の学校のスクールカウンセラーの有無を聞いて来た。彩明がいます、と頷くと、医者は二、三回頷いた。

「じゃあその人に頼ってみるといい。病院のカウンセラーに頼むとお金がかかるのでね。カウンセラーと話してもまったく良くならなかったり、診断書が必要なようだったらまた来てください。その時は保護者の方も連れて来るんだよ」

 そう言われ診察は終わった。

 診察代を支払い帰路に着く。彩明は相変わらず半歩後ろ。

「彩明」

「は、はい」

 少し歩いたところで話しかけると彩明はやっぱりびっくりしていた。

「隣おいでよ。そこだと話がしづらい」

「……はい」

 彩明はちょこちょこと俺の隣に前進した。そして俺たちはまた歩みを進め始める。

「んー病院ってやっぱり待ち時間ばっかり長くて疲れるなぁ」

「あ、そうですね」

 会話終了。

 また少し歩き。

「そういえばさ、彩明って家にいる時何してるの?」

「え、あの、えと、特に何も」

「そっか」

「は、はい」

 会話終了。

 そんなことをあと二、三回繰り返し、一緒に住むようになったというのにまったく縮まる様子の無い距離を憂えていると、コンビニが目に入った。

「コンビニか。丁度良く腹減ったし、なんか食べない?」

「あ、はい」

 入店しておにぎりの並ぶ棚を二人で見つめる。彩明はそれはそれはもう真剣に、眉間に皺を寄せて棚を睨んでいた。

 俺はその可愛らしい姿に思わず吹き出してしまった。彩明が肩をびくんと震わせ目を点にして俺を見た。

「な、何か面白いおにぎりが……」

「いや、彩明があんまり真剣だから面白くて」

「私そんな変な顔してたでしょうか……?」

「そんなことないよ、可愛かった」

 俺がそう言うと彩明はまたしても顔を真っ赤にして今度は「私なんかが……」と、ぶつぶつ呟きながら棚に視線を戻した。

 夜も食べればいいから、好きなだけ選んでいいと言うと、彩明は四つのおにぎりを手にした。パンよりおにぎりの気分なんだろうか。

 俺はパンを二種類とおにぎり二種類を選んだ。パンを持って彩明と合流すると、『パンがあったのか!』と若干残念そうで驚きも含んだ初めて見る顔をした。どうやらおにぎりに夢中になり過ぎてパンの存在を忘れていたらしい。

「パンも選ぶ?」

 と窺うと、

「この分で今日は戦えるので大丈夫です……」

 とはにかみ顔で首を振った。

「何と戦うんだよ」

 戦うという謎の表現が妙にツボに入ってしまった。クスクス笑いながらそう問いかけると、彩明は慌てた様子で「空腹、空腹ですっ!」と両手のおにぎりをぶんぶん振る。その反応は俺のツボをひたすらに刺激するだけだった。

 コンビニで買った昼食をぶらさげてまた並んで歩きだす。

「あぁ、今から学校行くのだるいなぁ」

 秋の深い青空を見上げながらそう漏らすと、彩明は反応に困って目を泳がせていた。それもそうだろう。彩明は俺より根深く学校に行く事を拒んでいるのだから。これは失敗したと思い、話題をオムライスおにぎりに切り替えようとした、その時。

「五朗さんは、学校が嫌いなんですか?」

 彩明が俺にそう問いかけて来た。

 初めて俺の名前を呼んで。初めて俺の目を見つめて。

 ……こそばゆい! なんだ、なんだこの感じは!

 俺は必死に平静を装おうと前髪を触り心を落ち着かせる。

「学校、別に嫌いではないよ。好きでもないけど」

 無駄に低い声を出してしまい焦る。ヤバい全然落ち着いてない。前髪全然効果ない。そりゃないわな。

 彩明は無駄に低い声に気付き一瞬小首をかしげてみたが、気にしてない様子で視線を前に戻した。

 下の名前呼ばれて焦るとか中学生かよ……と思うが、冷静になってみると中学校どころか小学校の頃から女子とまともに話していないんだから、この年になって女の子に名前を呼ばれて焦るのは仕方ないのかもしれない。嗚呼遅れて来た思春期よ。

 ともあれ、先程のコンビニで微妙に彩明との距離が縮まったのは感じた。これはもう一歩踏み込むチャンスかもしれない。

「家の環境が特殊なせいか、小さい頃から全然友達は出来なかったけど、知識を身につけて今まで俺をいじめた奴らを見返してやる! って思ってたから、ていうか今も思ってるから、学校は嫌いじゃない。ただ友達がいないから楽しくて好きってわけでも無いけどな」

 そんな話をしていると駅が目の前だった。券売機で切符を買い、改札を通る。そしてホームで並んでベンチに座り電車を待つ体制に入ったら、彩明が口を開いた。

「私は、五朗さんみたいに強くは、なれそうにないです」

「……そりゃあ、彩明は俺じゃないから、俺みたいに強くなるなんて無理だと思う。でも、彩明なりに処世術を学んで彩明なりの盾を作るのは今からでも出来ると思うよ」

「処世術……ですか」

「世の中を上手に渡り歩くための術ってやつ。ていうか俺なんか強くないよ。今の感情だって、全然美しくもカッコ良くもない、ただの負け犬の遠吠えなんだ」

「そんなこと……」

「でもさ、そうでも思わないと、とてもやってられないよ。俺も、結局弱虫だ」

 そう自嘲すると、彩明は困った顔をして俯いてしまった。一歩踏み込もうとして思いっきり失敗してしまったのであった。

 しかし最初よりは少し打ち解けたようで、天気や夕食の会話をしながら彩明を穏やかな表情で家まで送ることができた。



 学校は五時限目ぎりぎりに到着し、選択科目の講義を受けて帰路についた。

 今日は火曜日なので、彩明には悪いが少し寄り道をさせてもらうことにした。家を出る時に伝えてあるので大丈夫だろう。

 寄り道先は学校付近のCDショップ。火曜日は新譜入荷の日である。俺は一カ月前から予約をしていたロックバンドのアルバムを手に入れるべくやって来たというわけだ。カウンターで予約票を見せればすぐに事は済むが、それだけだと寂しいのでついでに食指が動くアルバムがあったら一枚購入してみようと思い店内を物色し始めた。

 数年前によく聞いていたが他のアーティストに押されて自然と自分の中の存在感が薄くなっていたアーティストの新譜だとか、ちらりと聞いて興味を持ち、いつか聞いてみようと思っているアーティスト、はたまたジャケットで感性を動かされた知らないアーティスト、選択肢は無限に広がっているように感じて、俺は悩みに悩んで頭をひねらせる。しかしこの時間が最高に楽しい。

 そしてジャケット買いに決めようと手を伸ばしたその時、

「それ、中々良かったよ。あんた意外と良い感性してんね」

 と、聞き覚えのある女性の声が。

 タイミング良かっただけで別に俺に声をかけたわけじゃないだろう。たまたま人の会話が耳に入って来ただけだ。

 そう思いCDを手に取りレジへと足を向けると、今度は

「ちょっと無視?」

 と背後から声が。俺は恐る恐る振り向いてみた。

 そこには残念なことに、案の定昨日保健室で絡んで来た原田由美が仁王立ちしていた。こっちをまっすぐに見ているのでやっぱり俺に用事がある模様だ。

「なんスか」

 自分だけの時間と決めた時に出来るだけ知らない人間と関わりたくないので、若干睨みつける感じでそう言ってしまった。

 原田由美はそれに臆する様子無く俺に近付くと

「このアルバムは最新作よりパンチが効いてるよ。多分このバンドの中では一番多彩な楽曲が入ってるし、入門としては問題なし。一番のおすすめはー……あんた名前なんだっけ?」

「長谷川五朗」

「あ、そ。じゃあ五朗ね。おすすめは六曲目。聞いたら感想教えて」

「は、はぁ……」

 正直この台風のような女の勢いについて行けてない。そんな俺の様子を見るなり原田由美はリュック越しに背中を引っ叩いてきた。ぼすっと鈍い音がしたが、音以上に威力が強くて俺は思わず背中を反らせた。

「覇気が無い!」

「原田が元気すぎるだけなんじゃ……」

「そんなんだからあんた友達いないんだよ。今喋ってても壁作られてるのわかるし! 自分が心開かないと相手にも開いてもらえないのわかる? あと私は由美でいいから。敬語禁止!」

 保健医と彩明以外の女子とこんなに喋ったことが無いので俺は目を回しながら適当に「は、はぁ」相槌を打った。

 今の俺、彩明と大差ないんじゃ? と思ったその時、由美(折角だから呼び捨てにさせてもらおう)は腰に手を当て、

「妹さんが自慢できるような兄になろうよ」

 と、言い放ち、去っていった。なんだったんだ……嵐だ。


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