夕焼けリーベ

紙袋あける

 出会いというものはいつだって唐突だ。俺の人生の流れを決めている見えざる大きな力があるのなら、俺はそいつに聞いてみたい事が山ほどある。天文学レベルの壮大な話になりそう……だと思ったけど、俺にそこまで壮大な話をまとめ上げる語彙も話術も無かったから多分『なんでこの星に生まれたんですかぁ』レベルの話しか出来ないことは容易に想像できて、この件は考えるだけ無駄という結論が出た。頭の中で。

 そもそも見えざる大きな力なんて平平凡凡な高校生の俺には感じられることも無く……この話はこの辺で終わりにしようか。

 何故出会いは唐突だと思ったのかというと、母の元夫の娘と一緒に暮らすことになったからだ。立ち位置的に俺の妹に当たるらしい。血縁関係は皆無。

 俺の母親は二週間前に病死した。それから母の少ない親戚同士で俺の押し付け合いが葬式から通夜まで繰り広げられて、最終的に元夫の元に身を寄せることになった。しかしその元夫であり母と名字が同じな長谷川祐世(ゆうせいと読むらしい)もよく知らないが海外と日本を行ったり来たりする忙しい身空らしい。よって、俺は居住地を変えず、祐世さんはお世話役と思ってなのか何なのか自分の娘を俺の家に寄こしてきた。

 なんかこう心に引っかかるものがあるが、気にしないことにしよう。でも……

「ハメられた気がするんだよなぁ」

 業者が帰った後、残った引っ越し作業中の一室で俺はそう漏らした。

 それが聞こえていないのか、はたまた無視しているのか、俺の新しい家族である長谷川彩明は何も口にせず黙々と段ボールを開けてその中身を見ていた。名前は(あやめ)と読むらしい。最近の子供の名前ってハイカラだ。俺の名前は何故か五朗(ごろう)という読み仮名も必要ないレベルの古くから慣れ親しまれたメジャー中のメジャーな名前だっていうのに。俺も一応最近の子だと思うんだがね。何なんだねこの差は。俺の名前は一周回って斬新かもしれないが。ちなみに俺は長男坊だ。五という漢数字を名前に取り入れた両親の意図が見えない。

 現在引っ越し作業中の彩明が住む部屋は母が使っていた部屋だ。死んだばかりの人間の部屋を使わせるのは流石にどうかと思ったが、ここは田んぼと山しかない田舎のぼろアパートだ。部屋は限られている。それに祐世さんはそこで構わないと言った。本人も拒否しなかった。これでいいのだろう。

 それにしてもこの彩明という娘、無口だ。初めて顔合わせした時も俺と祐世さんでほとんど喋り、彼女は「よろしくお願いします」しか喋らなかった気がする。記憶があいまいなのでそれすら喋ったか微妙なラインだ。

 今日も家に来るなり目も合わせず「よろしくお願いします」とぼそぼそ言っただけで、それからは目も合わせてくれない。

 ひょっとして俺は一回会っただけで嫌われてしまったのだろうか。祐世さんと、春先に突然動きが活発になって何十匹も起き出して来るカメムシの話題で盛り上がって印象を悪くしてしまったのだろうか。いやそれはないな。

 なんにせよ取りあえず話しかけてみよう。これから期限無く一緒に暮らすわけだから、ずっとお互い無言のままじゃ流石に息が詰まってしまうだろう。女の子は話好きだって言うし、以前以上に息の詰まる家は勘弁だ。

「家、ここから近いんだっけ?」

 彩明が段ボールから顔を上げた。すごく吃驚した感じの表情をしている。言い表すなら『キョトン』。それから顎のあたりに視線を感じ、弱々しく「はい」と返事が来た。

「確か中学校の学区は俺の家と一緒なんだよな。転校にはならなかったってことか。でも通学バスが違うだけで大きな変化だよな」

 今度は視線を俺の方に投げかけられることすら無く、「はい、そうですね」と返された。作業の手を止めて、頷きながらすごくはにかんでいる。相変わらず段ボールの中を見ているけれど。

 頷き方激しいな。でも、嫌われているわけじゃ無さそう。俺は会話を広げてみる。

「通学バスに友達も一緒だと……」

「あ、あああああああ、あ、あのっ!」

彩明は突然俺の話を遮った。俺が吃驚して目を白黒させていると、彼女は困ったように赤面してはにかみながら、手を顔の高さで固く左右に揺らし、

「すみません、あとは自分で出来るので、大丈夫です」

 と、上ずった声で言った。

「あ、そう? 重い物とかまだあるからそっちだけでも」

 俺は精一杯の気づかいの気持ちでそう言ったが、逆に相手を困らせたらしい。彩明は俺の言葉を遮り、相変わらずはにかみながら俯いて、

「みみ、見られると恥ずかしい、もの、とか、あるんで……」

と言った。

 見られると恥ずかしいもの……想像するのはやめにして、人間誰しもそういうもののひとつやふたつは持っているものだ。男の俺だって見られると恥ずかしいものはある。例えばこっそり運営してるブログとか。

 なので恥ずかしいと言われてしまうとこちらは手を引くしかない。羞恥心を感じる辛さは誰もが共有できる感情なのではないだろうか。俺は印象悪くならない程度の薄い笑顔で頷いた。

「それじゃ、しょうがないな。必要になったらまた呼んで」

部屋を後にすると、俺は初対面の人と話す時の独特な胸騒ぎから解放され、小さく息をついた。

 はにかみ顔が見られただけでも大きな前進ということにしておこうではないか。

 それにしてもちょっと独特な身振りをして喋る子だったな。



タイトル:不安だなぁ

本文:今日、家族が増えた。

  この間の記事で書いた、ちょっと遠い親戚の女の子。

  引っ越し作業で少し喋ったけど、正直不安。

  ちょっと変わっている子かもしれない。

   俺に相手出来るかな。

   そんな事言っても、あっちは俺以上に不安だろう。

   今はお互い我慢の時期か。

あいつの負債は休みだから変動なし。四千八百円。


 自室。短い記事でブログの更新を終えてひと息つくと、すぐさま常連さんのブログの更新を確認しに行った。

ネットではネットでの付き合いしか持たないから、巡回するブログの管理人は全て名前も顔も知らない人たちだ。それでいい。むしろそれがいい。現実世界の小さな付き合いをネットの世界に持ち込んだところで、内輪で小さく盛り上がるだけでその他の大きな世界を寄せ付けないし、現実で言いにくいことを発する場を持てずに互いの首を締めるだけだ。

 まあ、現実世界で友達とかいないのだが。

 よくよく考えたら現実に友達がいない自分が現実の仲間とブログを教え合うことの不自由さを知る筈が無かった。全ては憶測だった。なんだろうこの虚しさ。

 いおりさんという、自称俺と同い年十六歳女性のブログを見ていると、メールボックスが一件のメールを受信した。

 開いてみると、先程のブログの記事にコメントを受け付けたという通知だった。

 このコメントの速さは彼女だ。もう察しがついている。


名前:いおり

タイトル:無題

コメント:しのぶさんなら大丈夫ですよ! 根拠は無いですw

     女の子とひとつ屋根の下……ドキドキですね

     妙な気を起しちゃ駄目ですからねww

     しかしその女の子はうらやま……けしからんです

 

 しのぶとは俺のハンドルネームだ。

 案の定、送信者は今まさに俺が訪問していたブログの管理人、いおりさんだった。この人はどういうわけか俺の更新する記事に、最長でも十五分以内にはコメントを寄こして来る。

 多分俺、粘着されてる。

 自称俺と同い年十六歳女性と前記の文で伝えたのは、その辺の行動がとても俺と同い年の女子に思えないからだ。俺と同い年であれば学校に行っているのが普通だ。しかし学校でスマホから更新した時も光の速さでコメントが返ってくる。この人は本当に何をしている人なんだろう。実はストーカー気質の同性愛者の二―トなのではないかと妄想を巡らせたこともある。

 まあ、俺の勝手な偏見によるものなのだが。

 取りあえず、今はいおりさんのコメントに返事を返そう。俺のような弱小日記ブロガーは、コメント欄で閲覧者とのコミュニケーションを積極的に取って行かないと、相当読みごたえのある内容でも書かない限り固定ユーザーがつかない。ただの日記ではあるが、発信しているからにはある程度の人には見て欲しいと思ってしまうのが人間の常である。


名前:しのぶ

タイトル:いおりさんへ

コメント:根拠は無くともいおりさんに大丈夫と言っていただ

けると不思議と大丈夫な気がして来ます。

確かにドキドキはします。嫌われないかなーとか。

妙な木って一体どんな木なんでしょうか。


 最後の一文はわざとはぐらかした。ネットの世界でも恥じらいと品性を忘れない俺カッコイイ……と、いうのは半分くらい冗談で、俺はイマイチこういうネタに全力で乗り切れない部分がある。男友達がいないからこういう話に免疫が無いのかも知れない。

 シモ系の冗談を平然と笑い話のように繰り出して来るところが、いおりさんを男性なんじゃないかと疑っている要因だ。

 他の常連さんからのコメントは多分もっと時間をかけて来るはずだから、今は夕食を買って来よう。

 パソコンをスリープモードにする。

今住んでいるアパートの部屋は八畳あるリビング以外に二部屋、リビングから一室ずつある六畳の和室と洋室に直接繋がっている。ふたつの部屋は隣り合っている。俺は部屋を出て数歩歩いて彩明の部屋の前に立ちドアをノックをした。

 ごそごそと中から響いていた音が止まり、「はい」とやはり弱々しい声が微かに返って来た。

「開けてもいい?」

「ど、どうぞ」

 何故どもった。

 多分年頃の娘には色々あるのだろう。多分考えてもわからないからこの問題は放棄するとして、ドアを開けることに対する許可をいただいたから素直に開けることにしよう。

 ドアを開けて部屋を見回すと、俺が現場を離れる前からは少し作業が進んだかな、という塩梅だった。一時間近く空けていたからもっと進んでいてもおかしくない気もする。いやいや、彩明は引っ越しに慣れてないし、初めての地で緊張しているんだろう。そう思って自らを納得させることにした。そう、納得させる理由を探してしまう程度には進んでいなかった。

「あの……何か……」

 俺は気が付いたら怪訝な顔をしていたようだ。彩明が不安そうにこちらの様子をうかがっている。

 俺は何事も無かったかのように、さっと表情を戻して見せた。

「ああ、晩御飯買って来ようと思ってさ。スーパーに行くんだけど一緒に行く?」

 彩明の表情は明らかに困惑の色を見せた。ああ、これはだめだな。直感がそう告げた。俺は彩明を困らせたくない一心で、考えが変わったように話の流れを変えてみた。

「ああ、荷物の整理、早く終わらせたいか。何か食べたいものがあったら教えて。買って来るよ」

 「え」「あの」という声が漏れていた気がする。しかしそれは彼女が右手の人差し指で段ボールを掻く音にかき消されそうなほど小さなものだった。黒目が右往左往している。

 どうやら俺はまたしても彩明を困らせてしまったようだ。

「あの、お腹空いてないなら無理に……」

「な」

「ん?」

「なぽり……たん……た、食べたいです」

 愛想笑いなのかはにかみなのか区別の難しい口角の上げ方で彼女は口を開いた。目線は今度は手元に集中していた。

 相変わらず顔は合わせてくれないが、ナポリタンが食べたいという意見に一抹の可愛らしさを感じる事が出来たしこれで良しとしようではないか。

「じゃあ買って来るから」

「いってら……っしゃい」

 背中に受けた一言に、誰に見せるでもなく微笑みを浮かべ、俺は部屋を後にした。



 原付に乗って買い物に行った帰路、ぼんやりと考え事をしていた。(考え事をしながら運転するのは非常に危険であることは知っているが)お風呂を沸かさなきゃなぁとか、彩明は家のボロい狭い暗いの三重苦を背負った浴室で我慢できるのかなぁとか、明日から始まる一週間の薄暗い学校生活の事とか、あいつの負債の事とか。最終的には考えるのが面倒臭くなってしまって、初秋の夕空を美しいと心の中で褒めちぎっていた。山から伸びる橙から藍へのグラデーションとか、そこに浮かび橙の光を反射する雲とか、思わず心を動かされてしまう美しさだ。

 そうだ、帰ったら部屋でずっと荷物を整理して疲れているであろう彩明に今日の空の美しさを教えてあげよう。

 そう思い立つと丁度家に着いた。

 リビングで一緒に食事をしようと彩明を誘うと、渋りながらではあるが応じてくれた。

「そうそう、今日は空がすごく綺麗だったんだ」

 黙々と始まった出来あいものの夕食の最中、計画通りに空の話題を振ると、彩明は体を少し右に伸ばして窓の外を覗いて、

「本当だ、とても綺麗です」

 と空を見つめながら顔をほころばせた。

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