第36話 降り積もる雪と不穏な呼び出し

 芯から温まった身体に、冷えた空気が心地良い。

 脱衣所を出て広間のベンチに腰掛けて、アンリは汗を拭いた。

 風呂に残ったタオは、夜勤明けで今日は休日らしい。

 待つほどもなく出てきたジーナとユーリカも、ホコホコと温まって真っ赤な頬をしている。


「そろそろ食堂も空いた頃ですの。帰りますわよ」


 温まってツヤツヤのベネッセにせき立てられ、小雪が舞う表へ出た。

 行きはオーサを警戒していたジーナが、ニコニコしながら手を繋いでいる。ちょっとびっくりするアンリに、ユーリカが囁いた。


「オーサさんは、拳闘士なの。いろんな話を聞いて、ジーナは拳闘士に憧れたみたい。わたくしもベネッセさんに、精霊魔術のお話をしていただきました」


 楽しそうなユーリカも、ベネッセと手を繋いだ。


(いつの間に  )


 両手が寂しくなったアンリに、エルジーが手を差し出す。


「ぁ ぃや。大丈夫です」


 手を突き出したままのエルジーは、気まずい顔でそっぽを向いた。

 和やかに、仲良さそうに前をゆく妹たちユーリカとジーナを、アンリは寂しく追いかける。

 寂しくなんて無いからな。と、いささか涙目を逸らすのは、敗者の見栄か。。


 宿の食堂では、外から帰ってきたタンザと鉢合わせた。

 村が消滅した経緯を、ホータン街の警護兵団に報告してきたそうだ。

 盗賊に堕ちた傭兵の討伐を願い出たものの、兵団の返事は思わしくないと言う。


「時期が悪かった。これから雪に降り込められるのに、兵団を差し向けるのは無謀だと言われた」


 討伐部隊が雪で遭難するような目に遭えば、不名誉だけでは済まない。ホータンを守る兵の数が減少すれば、領の治安は一気に悪化する。

 街の治安こそ重要なのが、警護兵団の現状だ。


「歯痒いけど、どうしようもない」


 落胆するタンザに、部外者のアンリは何も言えなかった。


「アンリさんは、冬をここで越すんだろ? 仕事を探すなら、冒険者ギルドに登録するといい。俺は朝のうちに、登録しようと思ってる」


「冒険者ギルドですか。いいな。一緒に行っても? 」


「ああ、行く時に声をかける」


 冒険者ギルドという響きに、アンリはワクワクする。


「アンリ、わたくしも」


「にーに、わたしも! 行きたい」


 活発おてんば妹たちユーリカとジーナも、跳ねながら手を挙げた。


「食事してからな」


 今すぐ飛び出しそうなふたりに、苦笑が漏れた。


「ちょうど良い。私たちも定時報告に行こうと思っていた。一緒するよ」


 ジーナと手を繋いだままのオーサが、取ってつけた言い回しをする。


「オーサは調子がよろしいですの」


 ユーリカと手を繋いだベネッセも、肯定して頷いた。


「なら、さっさと食べよう」


 先に立つエルジーが、早く来いと手招きする。


「タンザさん。あなたも食事になさいな」


 雪蛍亭の女将ファーナに柔らかく声掛けされて、タンザは奥に引っ込んだ。客ではなく宿の居候が、今のタンザの立ち位置だ。


「では、ご用意いたしますね」


 女将ファーナの合図で、当番の給仕が厨房に声をかける。


「にーに、早く食べよ? 」


 席に着いたジーナが、屈託のない笑顔で呼んだ。



******

 絶え間なく降り出した雪の中を、冒険者ギルドまで行く。

 タンザは、出がけに駄々をこねたメリルを宥めるために、一緒に来れなかった。つくづく面倒臭い妹だ。


 昨日は細かかった雪が、ふっくらと大きくなって舞っている。

 朝と同じでユーリカはベネッセと、ジーナはオーサと手を繋いで跳ねるように前を歩いていた。


「……可愛い、妹くんたちだな  」


 ぽそりとエルジーに呟かれ、アンリの口がへの字になる。

 誰にも悪感情は無いが、


「冬の間は暇だからね。オーサもベネッセも、妹くんを鍛えたい可愛がりたいみたいだ」


「え? 」


「まだ聞いてないのか? 妹くんからお願いされて、ふたりオーサとベネッセとも、喜んでいたが 」


 鍛える・修行・アンリより強くなる? 。やばい。。


「あのっ、オーサさんは拳闘士でしたよね。ベネッセさんは? ユーリは何を教えてもらいたいと、言ったんですか? えっと、エルジーさん」


 歩きながら乗り出したアンリの肩を、エルジーは軽く押さえる。


「心配ない。オーサもベネッセも優しいから」


 聞きたいのはそこじゃない! と、言いたいアンリ。。


「ユーリくんは魔力量が多そうだと、ベネッセは言っていた。ぁ、ベネッセは精霊術師だよ。ちなみにボクは精霊剣士だ」


 エルジーがボクと言うと、本当に男に見える。おかげで女性相手に緊張しなくて良いと、おかしな安心感が出てきた。


「精霊剣士? ですか」


「そう。精霊術に長けた剣士ってところかな」


 エルジーの技能スキルに食いつくアンリ。期待に目が爛々としている。


「それって、俺の指導もしてもらえます? 妹たちに負けたくないので」


「ぁー、いいよ。ボクも暇になるし。そろそろ街から動けなくなるくらいには、雪も積もるだろ」


「やったっ、ありがとうございます! これで負けない」


 何に勝つつもりなのかとエルジーに笑われて、アンリは我に返った。

 雪蛍亭から冒険者ギルドまでは、そう遠くない。

 黒っぽい石積みの三階建が、異様なほど大きいのが目的地冒険者ギルドだった。


「あっ! 「雷神」の皆さん! 待っていたんですよぅ」


 入り口を入った途端、若い女の声が響き渡った。

 正面のカウンターに乗り出して、可愛らしい受付嬢が手を振っている。


「騒がしいな、シャーリン」


 近づいたエルジーに叱られて可愛らしく舌を出すが、アンリから見て、その仕草が似合う歳ではないと感じる。


「すみません。でも、王都から特急便で、手紙が来ましたので」


 一応は真面目な態度で返事をするが、興味津々の目がアンリを捉えて離れない。


「なんですの? 嫌な予感がしますの」


 手紙を受け取ったオーサの脇から、堂々と覗き込んだベネッセは、読み進めるごとに不機嫌になった。


「王都の冒険者ギルドから呼び出しだが……無理だろ」


 クシャりと手紙を握り潰して、オーサは軽く言った。


「当たり前ですのぉ。今の時期に王都まで帰れなんて、遭難しましてよ」


「まったくだ。王都あっちの異変など、あっちのギルドで解決してもらわねば。迷惑な話しだ」


「ほんとうですの」


 プンプンと不満を言うベネッセの後ろで、アンリはなぜか、嫌な気配に眉を顰めた。

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