第35話 お風呂に行こう
夜が明けてすぐ、「雷神」に誘われた湯屋へ行く。猫のマダムは、部屋で留守番だ。
タオルと石鹸、着替えを持って一階まで降りると、受付カウンターの横で
「おはよう。ちゃんと起きたな」
挨拶と同時に頭を撫でようとするオーサから、ジーナはスルリと逃げ出して、ユーリカの後ろに隠れた。
ひとりっ子で育ったオーサは、子供を構いたくて仕方がないらしい。
「仲良くしてくれ」と昨夜に聞いたが、距離の詰め方が早過ぎる。
子供が絡まなければ常識人なのにと、アンリは肩をすくめた。
ジーナを相手にするなら、もう少し慣れるまで、見守るに留めて欲しい。
「おはようなのですわ。昨夜はよく眠れまして? 」
ユーリカの前で跪き、
壁に背中をつけ、マントを掻き合せたエルジーは、首をすくめて固まっていた。
片手を上げて挨拶するが、刈り上げた銀髪が見ているだけで寒々しい。
「おはようございます。よろしくお願いします」
眠気の残る目を擦りながら、アンリも挨拶を返した。
昨夜の夕食時に色々と生活の情報を聞いて、湯屋の開いている時間を教えてもらった。
毎日、宿屋用のパンを焼き終えるのが夕方遅くで、その時がお湯の量も充分らしく、多くの人が利用する時間帯だという。
パン焼き釜の熱で湯を沸かすのだから、そうなのだろう。
あまり人が多い時は避けたい。なので、朝食前の人が少ない時間に利用することにした。
朝食に合わせてパンを焼く時間帯だ。
「妹くんたちは面倒を見るから、心配しなくて良い」
構う気満々のオーサに、
「オーサは、ダメダメですの。野獣が幼い子供に、襲いかかるみたいですの。今日は、接近禁止ですのっ」
「ぁ いや、それは うぅぅ」
ベネッセの言葉には逆らえないようで、オーサは大袈裟に項垂れた。
胸を撫で下ろすユーリカとジーナに、アンリは思わず顔を背けて笑う。
昨日より積もった雪を踏んで、良い匂いのするパン屋を通り過ぎれば湯屋の扉だ。
入ってすぐは、雪落としの玄関部屋で、奥の扉を開けると、木のベンチが幾つか置かれた広い部屋になっている。
男女に分かれた引き戸が、手前と奥の二ヶ所あった。
「アンリはここですの。奥は、わたしたち女性専用でしてよ。それではですの」
「あー、はい。妹たちをお願いします」
ユーリカとジーナに手を振って、アンリは手前の扉を開けた。
室内の左右の棚には小さな収納庫が並んでいて、収納庫の扉に番号のプレートと魔石が埋め込まれていた。
正面は風呂場への引き戸か。。
アンリの曖昧な記憶に、古き良き旅館の温泉が浮かんで、すぐに霞んでゆく。
「あれ? 何だったかな……ま、いいか」
誰もいないと思ったが、ガタイの良い男が服を脱ぐところだった。
ちょうど良いので、アンリは男の真似をする。
「坊主、ここは初めてか? 」
ジロジロ見過ぎて、男の気を引いてしまった。
「はい。その、すみません」
「かまわねぇよ。使い方、教えてやろう」
見かけによらず、男はきちんと衣服を畳んで収納庫に仕舞い、魔石に指を当てる。
「これで俺以外は開けられねぇ。やってみな」
服を仕舞い込んでから、アンリも扉の魔石に指を置いた。
「開ける時は指で触ると良い。番号を忘れないようにしろよ」
「はい。ありがとう」
男を追って引き戸を潜った先は、焼けるように暑いサウナだった。
左手に水を張った浴槽があり、取手のついた桶が並んでいる。
どうやら思い切り汗をかいて汚れを落とし、水を汲み出して洗い流す方式らしい。
(サウナ風呂って苦手だった? 普通の風呂に入りたい)
贅沢な悩みだと思うが、
頻繁に扉を開けて涼みに出たいが、きっと物凄く怒られる。
観念してアンリは、冷たい水を汲んで荒い織の敷物に腰を下ろした。
(はぁ、もう出たくなってきたよ)
競うつもりはないが、我慢大会は参加したくない。
水に浸したタオルで口元を覆い、少しでも凌ぎやすくなるよう浅く息をついた。
「坊主、飲んどけ。汗が出やすい」
目の前に突き出された木のコップに、満々と水が入っている。
ありがたく受け取って、一気に飲み込んだ。
「 うまい です」
なんとなくポツポツ話すうちに、男が雪蛍亭の従業員だと分かった。
入り口で馬車を預かってくれた門番だ。
昨夜はちゃんと顔を見ていなかったなと、少し居心地が悪い。
子供三人の旅だと、心配してくれたようだ。
「良い奴らと知り合えたな。「雷神」は子供好きで誠実な、高ランクパーティーだ。冬の間に色々と教えて貰えば良いだろう」
「そうなんだ。教えていただいて、ありがとうございます。ぇえっと」
「タオだ。よろしくな」
「はい。タオさん。アンリです」
「おお」
すっかり打ち解けて、アンリは宿暮らしのあれこれを教えてもらった。
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