第33話 雪蛍亭
タンザの指示で大通りを曲がる。
開けた通りの両側には、似通った建物が並んでいた。建物と建物の間は奥へ続く小路で、それでも馬車が通れる幅がある。
正面の壁に思い思いの看板が突き出して、宿の印と名前が彫られていた。スカルを止めたのは、雪蛍亭と書かれた建物だ。
入り口で番をしている男が、御者席まで近づいてきた。
「お泊まりで? って、タンザさん? 」
やはりタンザを見て、声を上げる。そのついでなのか、手綱を握るアンリに、不思議そうな目を向けた。
「タオさん、久しぶり。叔母さんの世話になりにきたよ。馬車を頼めるかな。ああ、この子はアンリさん。俺の命の恩人だ」
頭を下げたアンリに、タオと呼ばれた男も頷くような仕草を返す。
命の恩人云々には驚いたようだが、愛想よく御者を交代した。
「ようこそ雪蛍亭へ。お預かりします」
タンザが馬車の扉を叩いて、ユーリカたちに降りるよう声をかける。
アンリが絡むと機嫌の悪くなるメリルを慮って、タンザは積極的に動いていた。
興味津々で降りてきた
遅れて出てきたメリルは、渋々と頷く程度の挨拶だ。
「よく来たね、メリルさん。女将が心配していたよ」
性格が分かっているのか、タオのメリルを見る目は優しい。
とりあえず着替えを持って、雪蛍亭の扉を潜った。
先頭のタンザに手を引かれたメリルは、心底嫌そうに足を運んでいる。
アンリは両脇にユーリカとジーナをくっつけ、狭い部屋へ踏み入れた。
雪と風除けなのか、扉は二重になっていた。内側の扉に嵌め込んだ透明硝子が、ほんわりと曇って部屋の熱を報せる。
「まぁぁ、よくきたね、タンザにメリル。待ってたよ」
柔らかで暖かな、染み入るような声だった。
タンザの脇から覗くアンリに、女性はいっそう優しく微笑む。
「あら、お客様。ようこそ雪蛍亭へ。女将のファーナと申します。お客様は、お泊まりですか? お食事ですか? 」
漆黒の髪を結い上げた年配の
ユーリカもジーナもアンリも、同じ方へ視線を向けながら、全く違う反応をした。照れたのか、ジーナはアンリの背中に隠れる。
「おかぁさまみたい」
「……」
「……でか」
圧倒されてあんぐり開いていた口を閉じ、アンリは軽く咳をした。
「冬の間、泊まりでお願いします。ひとり部屋と、ふたり部屋で 」
「ぃやぁ、にぃにといっしょ」
「わたしも、アンリと一緒が良いです」
両腕にしがみついて、ふたりが見上げてくる。反則な可愛さに、アンリは言葉を飲み込んだ。
『わたくしも、一部屋を推薦いたします』
ユーリカの懐から飛び出してきたマダムが、アンリの頭によじ登る。
「おやおや、可愛らしい子猫ですね」
微笑ましげに声をかけられ、アンリは緊張した。
おおらかそうな女将だが、動物お断りの宿は多いかもしれない。
「この猫も、一緒でいいですか? 」
我知らず上目使いになっているが、アンリに自覚はない。
子供たち三人に見つめられ、女性はおかしそうに笑い出した。
「ええ、他のお客様にご迷惑をお掛けしないよう、ご配慮頂けるなら、可愛い子猫さんも、ご一緒で構いませんとも。ご宿泊期間が冬季でしたら、一ヶ月単位か七日ごとに、宿泊料をお支払い頂けますか? 」
領主の方針で、冬の宿泊客には助成金が下りるらしい。
雪蛍亭の宿泊料は、一泊につきひとり銅貨五枚。領の助成金は、ひとりにつき銅貨一枚だ。
他には大部屋で雑魚寝する宿もあり、素泊まりなら一泊銅貨一枚なので、助成金を充てて無料になる。
「ご領主様は、貧窮して凍死する者を、できうる限り出したくないと、お考えなのです」
隣国との小競り合いで、働き手を徴集された家庭は多い。残された家族が野盗に村を襲われ、ホータンへと逃れて来る。
聖教会の炊き出しや領主の助成金など、救済の手は尽くされていた。
前払いの金貨三枚と銀貨六枚を受付カウンターに並べ、アンリは宿帳にサインした。
「アンリ様、ユーリ様、ジーナ様ですね。よろしくお願いいたします。当店には、お風呂がございません。パン屋の隣りが湯屋ですので、ご利用の際にはご案内いたします。夕食はすぐにご用意できますので、食堂までおいで下さい。では、三人部屋へご案内します」
ファーナの合図で、年若い従業員が鍵を持って案内に立った。
これで
「ありがとう、礼を言います。この恩は、必ず返します」
見送る形になったタンザが、深く頭を下げた。その横で唇を噛んだメリルは、相変わらず睨みつけてくる。
「気にしないで下さい。では 」
これ以上メリルと関わって、見当違いな感情を向けられたくない。愛想笑いもそこそこに、アンリは逃げ出した。
宿の階段をふたつ上がり、すぐの扉へ案内された。
雪蛍亭の外観は三階建てだったから、最上階の部屋だ。
部屋に入ってすぐに目についたのは、暖かなストーブだった。正面の窓から空間を空けた壁際に、小さめの鉄のストーブがある。すでに火が入ったそれの上で、薬缶が湯気を上げていた。
窓際に造り付けの棚があって、ポットとマグカップが並んでいる。
ストーブの対面の壁に、ベッドが三台並んでいた。ジーナが真ん中のベッドに飛び込み、ユーリカが窓際のベッドに腰掛ける。
アンリはドア側のベッドに、手荷物を置いた。
「一晩の燃料は入れていますが、もしも火が小さくなりましたら、受付にお声がけください。では、失礼します」
アンリに鍵を渡してニコリと笑った従業員は、部屋を出ていった。
「疲れたね。すぐに食事にする? 」
アンリの声がけに、ジーナがお腹をさすった。
「うん、お腹すいた」
「疲れました。でも、ホッとしました」
何がホッとしたのか、強張っていたユーリカの顔が緩む。気疲れの原因と離れた余裕が、笑顔に現れていた。
「じゃぁ、食事に行こうか」
戻ってきたいつもの空気感に、アンリは胸を撫で下ろした。
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