第32話 到着!

 暫くでも滞在するなら、港町ドッペや長城砦街オ・ロンよりも、ホータンの街が良いとタンザは勧める。

 雪が降り出した今、いちばん近い街がホータンなので、選択肢は無い。


 恩返ししたいからと、タンザはホータンへ来るようアンリに勧めた。

 ホータンで宿屋を営んでいる叔母を頼れば、必ず力になってくれるのだと説得してくる。

 前々から職を紹介するのでホータンに来るよう、声をかけられていたらしい。


 貧窮して荒れてゆく村から離れなかったのは、妹のメリルが叔母の世話になりたくないと、駄々を捏ねたのが原因で。。


「こんな災難に遭うとわかっていたら、もっと早くホータンへ行くべきだった」


 タンザの呟きに、答えようがないアンリは、曖昧に頷いた。


『アンリ、良い機会です。紹介して頂きましょう。無理なく街に溶け込めるなら、安全に一冬を越せます』


 アンリの足元で顔を洗いながら、マダムが念話を送ってくる。

 ユーリカの身の安全が第一のマダムだ。アンリに否やはない。


「タンザさん。万全な体調ではないのに悪いと思いますが、仮眠の間だけ見張りを頼めますか? 夜中の見張りは任せてください」


 徹夜の二日くらいは、大丈夫な気もするが、もしも傭兵崩れに襲われたらと思えば、慎重にならざるを得ない。


「わかった。世話になるが、よろしく頼む。いや、頼みます」


 言い直したタンザは、律儀に頭を下げた。


 お花摘みから帰ってきたユーリカに事情を話して、上の寝床にアンリの寝袋を持って行った。

 少女でも、三人で横になればかなり狭い。それでも大事を取って、メリルも上で寝てもらう。


 案の定、不満タラタラなメリルを説得しながら、内心で馬鹿馬鹿しいと思うアンリだ。

 わがままを言い続けた挙句、最後は不機嫌になったタンザに叱られ、思い切りアンリを睨んだ末、口も聞かずに上がって行った。


 切れる寸前のアンリは思う。(なんでだよ! )


 夜中。アンリが見張りに立った時間。

 襲ってきたのは、森狼フォレストウルフの群れが一度きりだった。


 時間差で襲い来る森狼フォレストウルフに戸惑ったものの、竜鱗の防具は完璧で、噛み付かれた腕や脇腹は痛みも怪我もなかった。

 大物相手の大剣ロングソードは御者席に置き、小回りの利く小太刀で応戦する。


 十頭近い森狼フォレストウルフ相手の戦闘で、縦横に動く身体に驚愕した。

 何かがアンリの意思を読んで、的確に身体を動かしてくれる。武術など分からないのに、振り切る剣は涼やかに鳴いた。

 湧き立つ高揚感で、思わず笑ってしまう。


 戦闘に心が麻痺せず、忌避感で動けなくなる事もない。

 緊張すら無い野獣との夜戦は、無傷の内に終えた。

 二日目の野営は、生き物の気配すら感じない間に夜明けを迎える。


 朝食の後、二時間ほど仮眠をとって出発した。

 延々と変わり映えしない景色に、眠気が増す。

 緩やかに起伏する草原と、枯れかけた灌木の林は、誘眠剤だろうか。。


 横になりたい己と戦いながら昼を過ぎ、やや急勾配の丘を登りきると、眼下に古い石壁で囲った街が見えた。

 堅牢な街の壁が、想像していたホータンの街とは違う。

 ホータンは、規模の大きい城塞街だった。


 門前らしき一角に、豆粒のような人の群れが見える。


「街に入るまで、並ぶのかぁ」


 足元から噴き出す温風で寒くはないが、待ち時間は退屈だとアンリはうんざりした。


 九十九折りつずらおりに曲がりくねる坂をくだる。

 街はすぐ側に見えるのに、門に辿り着くまでが遠かった。

 初めて見た時は小さいと思った街門が、暗い夕日に染まって、見上げるほどに大きい。


「これなら、守りは完璧か? 」


 傭兵崩れの盗賊を思い、ちょっとだけ安心した。

 街へ入る列の最後尾に付け、スカルを止める。

 どんよりと重い空から、時折ハラハラと粉雪が落ちてきた。

 

 門前に並ぶ人々は徒歩ばかりで、振り返った視線が剣呑に突き刺さる。

 アンリを子供と判断した者たちは、探るような濁った目に変化していった。


「ホータンに着いたか」


 不意に後ろで声がして、ゆっくりとタンザが御者席に腰を据える。

 無精髭に無骨な男の出現に、不穏な視線は瞬く間に散って行った。

 

「治安が良くない雰囲気だな。ホータンを勧めたのは、早計だったか。すまん」


 どこまでも気遣うタンザに、アンリは首を振った。


「どこも同じだと思います。無事に冬を越せれば、言う事はありません」


 ノロノロ進む列に、凍るような夜の帷が降りてくる。門脇の篝火が焚かれ、細かな火の粉と雪が舞った。


「よし次! 早くしろっ て、タンザ兄ぃか? 」


 未成年に見える兵士が、御者席のタンザに目を丸くした。

 平凡な、どこにでも居る容貌の少年兵だ。


「ああ、フォークスか。お前、ホータンに配属されたのか」


「うん。タンザ兄ぃは、雪蛍のおばさんに? 」


 話し込みそうなふたりの横で、もうひとりの兵士が足踏みしながら咳払いする。

 さっさと仕事しろと、目が訴えていた。


「悪ぃ、タンザ兄ぃ。入街料はひとり銅貨三枚だ」


 黙って話を聞いていたアンリは、銀貨一枚と銅貨五枚を手のひらに乗せて差し出す。


「みんな。顔を出して、兵隊さんに挨拶してくれ」


 タンザが背中に声をかけるのと同時に、興味で目をキラキラさせたユーリカとジーナ、不貞腐れたメリルが出てきた。


「お、メリルか。相変わらず、面倒くさそうだな」


 フォーカスの声がけに、メリルは思い切り顔を顰めて中に引っ込んだ。


「いいよ、通ってくれ。ようこそ、ホータンへ」


 ソロソロとスカルを進め、分厚い石壁を抜ける。

 目の前に広がったのは、石畳の馬車道と歩道だ。人の姿はまばらで、寒さが染みる。


「このまま真っ直ぐ大通りを行って、初めての交差路を左へ曲がれば、宿屋区だ。叔母の雪蛍亭は、曲がってすぐにある」


 ようやく眠れそうだと、アンリはあくびを噛み殺した。

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