第28話 カプト村の少女

 用心して、倒れている人に近づく。

 マダムやジーナが言ったように、焦げ臭さが鼻についた。

 うつ伏せでよく分からないが、伸ばした指の微かな動きで、おそらく生きているだろうと確信した。


「おい。大丈夫か」


 声をかけただけでヒクリと痙攣するが、それ以上の動きはない。このままではらちがあかないと、思い切って仰向けに転がした。

 側から見れば乱雑な扱いだが、アンリとて危ない思いはしたくない。

 隙を見て、ブッ刺されるのは遠慮したい。


「ぉ みず くらは ぃ 」


 虫の息では無さそうだ。よかった。死にかけじゃなくて。。

 服装から少年かと思ったが、どうやら少女らしい。

 御者席の水筒を持ってきて背中を支えてやると、夢中で一気飲みした。儚げな見かけと違い、豪快な。。


「ありがと ございます」


 油断なく辺りを探るが、剣呑な気配は無い。どうやらこの少女だけが、行き倒れたみたいだ。

 あまり関わりたくないが、このまま放置すればお嬢様たちユーリカとジーナから絶対にクレームが来る。

 程よい見極めは難しいのだ。。


「随分と焦げているけど、火事でもあったのか? 」


 何気ない問いかけに目を見張った少女が飛び起きて、すっ転んだ。

 驚いたアンリも、跳ねるように少女から距離を空ける。

 顔面強打していそうな少女が、ノロノロと身体を起こし、鼻ではなくてお腹を抱えた。

 何だろうと覗き込んだアンリの耳に、グルグルと唸り声が聞こえる。


「 力が出ないか。腹が減っているんだな」


「はい……すみません。でも 」


 とりあえず逼迫した騒動はなさそうだと安心したアンリに、顔を上げた少女は、泣きそうな目で訴えた。

 赤く擦り剥き、土まみれの鼻血が垂れる少女から、慌てて目を逸す。

 笑う場面ではないと、腹筋に力を込めて息を止めた。


 羽織ったマントの内ポケットからハンカチを出し、少女を見ないように差し出す。ここで笑ったら、一生の顰蹙を買う。

 なら、事あるごとに弄ってくる。頑張れ、オレ。。

 悲しい映画のシーンを連続で思い浮かべ、笑いの波をやり過ごした。


「んで? お腹が空いた他に、何があるの 」


 聞きたくない。答えてほしくないのだが。。


「村を、兄さんを、助けてっ」


「う 」


 焦げた服。空腹な事。泣きそうな懇願。うん、分かってた。


「……おいで。話を聴こう」


 空腹で顔面にを受け、弱りきった少女を抱えて、とりあえず馬車まで戻る。

 少女を見て百面相するユーリカと、目も口も開けて固まるジーナ。

 うん。笑わないのは、偉い。ニマニマする子猫よりは、ずっと大人だ。


 渡した濡れタオルで顔を拭い、ようやく現実を見た少女は恥ずかしさに悶絶したが、水と堅焼きパンに思考が逸れた。

 黙々と齧り、水で流し込み。よっぽど飢えていたのだな。。


 柔らかなパンと温かいスープを出してあげたいが、仕方がない。

 塔から取り寄せる訳にもいかないし、便利機能を見せるのは危険だ。

 無言で貪っ……食べきった少女は、ポツポツと話し始めた。


 少女の名はメリル。この先にあるカプト村の住人だ。


(カプト村? どっかで聞いたような )


 思い出せそうもない。そのうち分かるだろうと、記憶の隅に追いやる。


「隣り村の人たちが、村長さんの家に押しかけて来て、うちの村の男衆と争いになったんです。わたしは家へ帰っていろと兄さんに言われて、あとはどうなったか知りません。でも、夜中に火事がおこって、兄さんが逃がしてくれました。お願いです、兄さんが心配なの。助けて」


 とっても聞きたくない言葉が、耳に飛び込んできた。

 見回せば、やる気でみなぎったお嬢様たちユーリカとジーナが、目力を込めて見つめ返してくる。

 足元の子猫は、顔を洗って我関せずだ。


「分かった。行くだけは行くけど、様子見はする。君にとって兄さんが大事なように、おれにとっては妹たちが大事だからな。分かってくれると、有り難い」


 冷たいようだが、どこまで戦えるか分からない状況で、安請け合いはしたくない。

 アンリの朧げな記憶では、随分と平和な国にいた気がする。人に暴力を振るう覚悟は、はっきり言って無い。


(正直言って、怖い)


「わかりました。よろしくお願いします」


 唇を噛んで俯く少女メリルに、アンリはそっと息を吐いた。

 納得できないだろうが、はっきり言って赤の他人。警戒するのは当然だ。

 

「危険だから、みんなは馬車の中に居てくれ」


 注意してくれと促した視線の先で、子猫マダムは顔を洗っている。

 緊張感の無い仕草さは、アンリのイライラを煽る為だろうか。。

 穴の開くほど見つめ続けて、やっと目を合わせてくれた。


『分かりました。精霊に言って、結界を張らせましょう。アンリは心置きなく、戦ってくださって宜しいですよ』


『おれの事も、守ってくれるんだよな。当然だよなっ? 』


 可愛らしくお座りするマダムが、フイっと天井を見上げる。つい、同じように見上げてから、ハッと気が付く。

 足元に目をやれば、三日月の口で笑う子猫がいた。

 遊ばれた! 。


『必要は無いと思いますが、善処いたします』


『このぉ、∴※≧∽§〻∽≧‖※≦∂∽※ がぁ! 』


 お嬢様たちユーリカとジーナには、聞かれたくない禁句の罵詈雑言。念話で叫ぶしかないアンリに、マダムは可愛らしい鳴き声で応えた。

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