第23話 初めての諍いに 世界を再確認する アンリ その一

 この辺りでは珍しい急な坂道を、アンリは馬車の後方を押しながら登る。

 軍馬であるスカルにとって、負担になる重量ではないだろうが、大事にしてやりたい気持ちに嘘はない。

 連続する身体強化も慣れてきた。

 初めは死ぬほどキツかった筋肉痛も、やや痛い程度だ。


 登り詰めた先は起伏が緩やかな草原で、しばらく見かけなかった小規模の森が、視界に入る。

 王都近郊の穀倉地帯から、草原に抜けた一帯を思い出した。

 森に囲まれた泉は、数多の精霊が集まる豊かな場所だ。


『やっとホータンの近郊です』


 かなりお疲れのマダムが、顔を洗う。猫らしい仕草を見れば、誰も危険生物とは思うまい。


 衛星都市ホータンは、サントリナ公爵領と王領の間に広がる緩衝地帯に建設された。

 元々は、占領した隣国の生き残りで、遊牧民になった者たちを、監視する目的で発展させた都市だ。

 ユーリカの父、フェンネル公爵の領地だったが、今はサントリナ公爵に、領名も権利も移っている。


 今進んでいる間道はサントリナ領の西側に位置し、比較的治安が良い。

 隣り合う領は、これから通過する予定のシルベスタ領だ。


 サントリナの東側に接する隣国は、小国が乱立するプランク地方で、口の悪い者は悪ガキプランク諸国と呼ぶ。

 入れ替わり立ち代り、無理難題を押し付けてくるプランク諸国。

 今は国軍の一師団と領兵サントリナを投入して、実力行使で押し返しているらしい。


 馬車が進むたびに、あちこち草が欠けた草原が広がってくる。

 抉ったか、捲れ上がったか、焦げたのか。

 剥き出しの地面に、燃えた残骸らしき物が放置され、何がしかの戦闘が起こなわれた気配が散在していた。


『荒れておりますね。国境から遠く離れた場所でこの有り様とは、領主の質が悪いのでしょうか』


 国境から離れ、いくぶん平穏なはずの土地が荒れている。それも、人為的な傷跡だ。

 もしかしなくても、領民全体に不穏な気配が濃いと分かる。


「そろそろ休憩したいんですけど? 」


 並走しながら声を掛けるアンリに、マダムの視線が向けられた。

 ほとんど無視していた事など、マルッと忘れていそうな穏やかさだ。


『左様でございますね。軽食にはぴったりな場所も、あちらに、ございますし』


 少し先に見える緩い丘の上に、ちんまりした木立がある。泉の湧いていそうな気配だ。

 スカルが行先を変え、緩やかな登りを駆け出した。

 越えてきた草原続きの日数に、ちょっと惚けるアンリを置いて、馬車が速度を上げる。


「ぅをぃっ! トドメかよぉっ」


 居ないものと扱われるのに、ため息が漏れた。もう二度と、マダムを怒らせまい。と、反省。


(年増の怒りは、どんだけ後を引くんだ? )


 絶対に、声には出せない。口を括ってでも言えない疑問を、アンリは心の中で呟く。


 止まった馬車に駆け寄ったアンリは、異様な景色にしばし固まり、警戒心を最大に上げて御者席に歩み寄った。


 片足を上げたスカルの前で、ガリガリに痩せて汚れた子供がふたり、両手を広げて立ち塞がっていた。

 真一文字に結んだ唇も身体も、緊張か恐れか、その両方なのか、目に見えて震えている。


「お前ら、なんだよ。危ないだろ」


 スカルの前に出たアンリに、突然しがみ付いた子供らが泣き出した。


「なっ え? 」


 振り解くのを躊躇ったアンリは、木立の影から飛び出してくる集団に目を見開く。

 手に手に鎌やなたを構えた大人たちも、一様にやせ細って薄汚れていた。


「大人しく、食い物をよこせ! 馬車も置いていけっ」


(盗賊? 強盗? くい もの  食い物ぉっ? )


 呆気にとられるアンリの後ろで、マダムの気配が膨れ上がる。


『油断してはなりません! この者たちから、嫌な気配がします。アンリ、蹴散らしなさいっ』


「え? え? でも」


 痩せていても大柄な男が、鎌を振り上げた。


「悪いな。俺らのために、死んでくれ」


 凍りついたアンリに、鎌を振り下ろそうとした男が、弾け飛んだ。そのまま地面を転がり、ピクリとも動かなくなる。

 精霊術の残滓か、マダムの逆立った毛並みに輝きが纏い付いていた。

 アンリの横まで出たスカルが、鼻息荒く蹄を鳴らす。

 

「魔術師かっ。くっそぅ、俺らは飢え死にする前に、プランク諸国へ亡命するんだ! 馬車をよこせっ、殺すぞ! 」


 鉈を構えた別の男の威嚇に、ユラリと上げたアンリの手のひらから、炎が立ち上る。

 腰にしがみついていた子供らが、恐れをなして後退った。


 遠く離れたから諸国プランクへ亡命しようなんて、よほどの覚悟を決めたのだろうが。。


「いい加減にしろよ。お前らの事情に、俺らは関係ないだろうが。なんで赤の他人が、俺らに犠牲を強いるんだ」


 炎を灯したまま一歩前へ出れば、怯えた集団が一歩引く。

 この炎を投げれば、簡単に屠れる。のだが。。

 痩せ細って飢えた集団に、やりきれない思いが込み上げた。


 誰だって飢えれば、同じように他人を襲うのだろうか。そう思って闘争心が鈍りそうになる。けれど、アンリには守るべき者がいる。


「来るなら、容赦しない」


 もう一度走り寄ろうとした子供らの足元へ、炎を放った。驚いて立ち竦む子らへ、爆ぜた土塊が打ち当たる。


「容赦しないと言った。今度は直接に当ててやる」


 悲鳴を飲み込んで逃げ散る子らに、母親らしき女たちが悪態をいた。

 一方的に襲いかかって殺そうとし、なおかつ奪おうとした者が、被害者を罵倒する。

 なんて、理不尽。。


 再び手のひらに炎を灯したアンリから、ジリジリと人の輪が後退した。


「お前らを蹴散らして、何が悪い。 そうだろう? 」


 誰にでも守る者が居て、守る生活がある。

 生きる為に人を襲う彼らと同じに、生きる為、守る為には、暴力を厭わない己であるべきだと、覚悟が決まった。


「死にたくなかったら、道を開けろ! 」


 怒鳴りながら、中には啜り泣きながら、人垣が崩れた。


「マダム」


 行けと声を掛ければ、スカルが走り出した。

 行き過ぎる馬車の後方の扉が開き、小振りな荷物が放り出される。

 アンリも後退りし、身を翻して馬車を追う。

 追って来ないかと肩越しに振り返れば、荷物に群がる集団が見えた。


『アンリ。飛び乗ってください』


 マダムの呼びかけに、徐々に速くなる馬車の後方ステップへ飛び上がり、バランスを崩しながらも床に転がり込んだ。

 扉を閉めたユーリカが泣きそうな顔で見上げ、ジーナは腰に抱きついてくる。


「大丈夫。もう、心配無い。  たぶん」

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