第21話 閑話 蠢く事情たち その二
躊躇う者たちの返答を待たず、フロム筆頭は背を向ける。そのまま振り向きもせずに、聖室へ消えた。
当然のように追従したのは、フロムの従者見習いステラだけ。開け放った大扉の向こうは異様に薄暗い空間で、踏み込む気にもならないほど不気味だった。
「…次席。如何なさいますか」
殆ど動かないカリムに、感情を欠いたディルシードが声をかける。
次席を無視して踏み出す者がいない以上、カリムが先頭を切るほかない。
いつでも先頭に立ちたがる次席は、ここで誰かに先を譲るなどできる筈もなかった。
(忌々しい)と、臍を噛む。
筆頭であれば聖室の管理も当然だが、建国の初めよりマルトル以外は禁忌の場所だ。
怯える周りの目を見返して、カリムは大きく息を吸い込んだ。
「筆頭の要請だ…行くぞ、ディルシード」
皆の手前、意地でも表情は変えない。
一歩踏み出した足が、ローブの下で震えていた。
背後に怯える者を従えて、カリムは大扉を潜る。
「なっ…」
ヌメリと薄い膜を突き抜け、視界が変化した。それが結界だと、いま気づく。
室内に入り込んだ途端、嘘のように清潔な空気が肺を充した。
「っ!」
思わず仰け反るほど、広い空間だった。
誰もが声もなく息を飲む。
想像したような、おどろおどろしい景色ではない。
円筒形の部屋の中央に、小部屋ほどもある台座と、それを内包した硝子の円柱が鎮座する。気後れするような広大さと、ぐるりと囲む滑らかな石壁に圧倒される。
等間隔に並ぶ灯火の魔石具が揺らぎ、カリムは空間拡張の術が施されていると、気がついた。
仔細に観察すれば、水で満たされた中央の円筒が高い天井を突き抜けているらしく、天辺から陽が差し込んでいるのが見て取れた。
透明な円筒の底には、ぼんやりと棺らしきものが見える。
待ち構えていたフロム筆頭の肩から、明らかに硬さが取れた。
「始祖がお姿を現される。皆、お言葉を受けるように」
かしこまる皆は、緊張した筆頭の声よりも、内容にギョッとした。
数百年前に逝ったであろう始祖が、どうやってと、ざわめきが走る。
自然と息を潜めて見つめる先で、円筒内の水が揺れた。
棺から細かな泡が立ち昇り、いつの間にか胸から上の人型が薄っすらと浮かぶ。
「っ! …もの」
かリムの背後で、悲鳴を咬み殺す声が漏れる。
確かに、化け物と聞こえた気がした。
上に向かって広がる黒髪。腕組みした手の白さ。影を落とす濃い睫毛。
筆頭によく似た少年が始祖なのだと、当然のように納得できた。
「お申し付け通り、皆を集めました」
フロムの呼びかけに、瞼が持ち上がる。
光を失った暗茶の瞳が、ゆっくりと一同を見回した。
血の気が引いたエルマー・キーエが、母親に抱かれて涙声を上げる。
傍にいたシルクスも、悪寒を堪えるように自身の腕を摩った。
『…女王の 欠片が き えた 行 方を 確 か め 追従せ よ 』
頭に直接聞こえる始祖の声は、大人に成りきっていない少年のものだ。
『追 跡 魔石具 を… 精霊記 解 読せ よ 誓約 は 破 棄さ れた 草原の 民は 解き放た れる 我 らは 自 由だ 』
声が途切れたと同時に、円筒から姿が消えた。
麻痺して動けないカリムたちを振り返り、フロムは疲れ切ったため息を落とした。
「指示は、私の執務室にて一刻後に行う。皆、遅れぬように」
転がるように走り出したシルクスの後を、兄のアルビンが追いかけ、よろめくキーエ母子が出て行く。
ディルシードは白くなるほど拳を固め、それでも兄カリムの背後から動かなかった。
「…先に失礼する、筆頭殿」
多少乱れる息遣いながら、カリムは堂々と筆頭に向かい合った。
「よろしく頼む、次席殿」
何を頼まれたのか思いつかず、次席と呼ばれても苛立ちさえ起こらない。
ここ数年の不快感は、綺麗さっぱり消えていた。
「行くぞ、ディルシード。遅れるな」
威厳を込めたつもりの声は、語尾が震えて思わず唇を噛む。
(あんなモノと対峙するだと? あんな 化け物と…)
急くように逃げ出す自分の足を、カリムは止められない。
一番に逃げ出したシルクスを嘲るなど、誰にもできそうになかった。
あれは、在ってはならないモノだ。
絶対に関わってはならないモノだと、本能が警鐘を鳴らす。
(どうすれば…)
恐怖に痺れた頭を叩き起こし、カリムは今後の対応を模索し始めた。
*****
忌避感に苛まれているだろうカリムの背中へ、フロムは微かな笑みを贈った。
覚えている限り、次席が己を見る目は、狂気じみた嫉妬と怒りだったはず。それが、怯えを刻んでいた。
マルトルに生まれたことは、苦痛でしかないと言うのに、カリムはその地位を欲しがった。できるものなら、取って代わって欲しい。
王家と始祖が交わした忌まわしい誓約がなければ、一族は拘束されなかっただろうに。。けれど、それも、もう直ぐ終われる。
大切な妹を振り返り、フロムは心から安堵した笑みを浮かべた。
「ステラ…必ず君を、君たちを、自由にしてみせる」
フロムの手のひらで黒曜石のペンダントが五つ、ゆらりと光を反射した。
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