第20話 閑話 蠢く事情たち その一
その塔は、緩やかな山の麓にあるリンデン王国王城の、最奧にあった。
王が執務する中央宮殿を見下ろすように、山腹で聳えている。
王国において、宮廷魔術師団と呼称される希少な集団の住処だ。
都市を遠望するため、南側の麓に沿って半円を描いて建設された王城。
それが抱き込むように囲った区画に、魔術師たち一族が生活していた。
半円状の縁が王城。要が中腹に配された魔術師の塔だ。
太陽光を反射する塔の最上階は、硝子でできた屋根で覆われ、高空から俯瞰すれば、紛れもなく広げた扇の要石に見えるだろう。
塔の背後から緩やかに登る山頂までの森林地帯が、宮廷魔術師に与えられた所領だ。
塔を中心に据え、放射状に伸びる九棟の建物群は厳重に隔離され、それぞれの棟も孤立している。
王宮に直結する中央棟は、国の祭儀を執り行う公の施設で居住空間はない。
中央棟より東側の四棟は、マルトルの分家であるキャンドラ家とコラント家など分家百家が居住し、西側はマルトル本家とキーエ本家、キーエの分家が所有している。
マルトルとキーエは、建国時からの旧家だ。
建国のきっかけとなった蛮族殲滅の先鋒として、名を揚げた唯一の魔術師集団だった。
*****
吐く息が白くけむる早朝の東回廊を、中央塔に向かって急ぐ者がいた。
宮廷魔術師次席。位階二位のカリム・キャンドラだ。
あまり身形に拘らない男で、引き締まった体躯でありながら、終始前のめりになる姿勢から実年齢より老けて見られる。
無造作に伸ばした濃灰の髪の内側で、薄い鋼色の目が怒りを溜めていた。
「思い上がりも甚だしい。鼻垂れ小僧が、我に命じるだと? 何様のつもりか! 」
思い返す度に腹わたが煮え繰り返り、吐き気まで覚えるカリムだった。
「何が始祖の命令か! 僅かに防御陣が揺らぐだけではないか! ご大層に、死人の棺桶を守るしか、能のない木偶の坊がっ」
さすがに大声ではないが、内容は不敬の一言につきる。
廷臣の耳に入り、国王に奏上されでもした日には、降格か厳しい叱責を受けるだろう。
もっとも、そんな軽い処罰で済むくらいに希少な一族ではある。
本家マルトルの分家。キャンドラ家にとって、宮廷魔術師次席は分家内で最高位だ。
逆に、これ以上の昇格は潰えたとも言える。
先年マルトル家の女当主が永眠し、十八歳の嫡男が新たな筆頭として家督を継いだ。
マルトルの家に生まれただけの若輩者が、見習いも満足にできない若造がと、カリムはいきりたつ。
悪意と策謀をくぐり抜け、常に相手の弱みを突き、やっと上り詰めた地位を、何の苦労もなく飛び越したフロム・マルトル。
思う度に殺意が膨れ上がる。
鼻に付く善意も、正直と言う名の愚鈍さも、すべてが甘ったれで忌々しい。
「我の上を行く逸材であれば、業腹だが許してやったかもしれない。だが、些細な事象に浮き足立って、一族の者を翻弄するとは、許しがたい無能だっ」
フロムの何もかもが気に入らない。
腹が立ちすぎて息が上がり、思わずカリム立ち止まった。
「それくらいになさいませ、お兄様。この先には、耳を澄ます輩も居りましょう」
いつの間にか背後にいた少女は、凛とあげた顔に爽やかな笑みを掃いていた。
若草色の従者のローブを纏い、姿勢良く腕を組む立ち姿が、まるで騎士のようだった。
対照的に、背を丸めて前のめりに立ち、顔を歪めるカリム。
位階を示す漆黒のローブが似合いすぎて、次席の魔王と言う陰口も納得できる。
「能のない輩に、足元を攫われるお兄様ではございませんが、ご用心を」
勢い良く振り向いたカリムの眉間に、剣呑な皺が寄った。
「女の分際で小賢しい。弁えろ、従者ディルシード」
僅かに肩を竦め、ディルシードは華やかに笑んだ。
「…これは失礼を。余計なお世話でしたか、次席殿。ただの従者ごときが、出過ぎた物言いを致しました」
見交わす目の色も容姿もそっくりな兄妹だが、まるで赤の他人に見えるから不思議だ。
常に先頭を行きたいカリムの後ろを、ディルシードは間合いを開けて従った。
東西すべての回廊が行き着く中央棟の広間に、大小六つの人影が佇んでいる。
中でも頭抜けて背が高く体格の良い男が、位階三位の堅物、アルビン・コラントだ。
位階を表す濃紺のローブより、騎士の甲冑が似合いそうな男だ。
若草色の従者のローブを纏ったアルビンの弟が、後ろで退屈そうに立っていた。
コラントの弟で従者でもあるシルクスは、宮廷を騒がす浮かれ者だ。
見かける度に違う侍女を口説いている、軽薄な男だ。
兄弟揃って艶やかな黒髪が珍しく、正反対の性格に女たちが群がった。
ふたりの存在そのものが気に入らず、カリムは鼻を鳴らした。ふと、見習いの少女が目に止まり、額に青筋まで浮き上がる。
「あんな出来損ないを、ここに連れてきたのか。考えなしの若造が」
特別な純白を纏う筆頭マルトルと、生成りの見習いローブを着た少女に目を向け、カリムは吐き捨てた。
前筆頭の配偶者が『陰』の者に産ませた、ステラという少女だ。
マルトルの血を一滴も受け継いでいないにも関わらず、フロムの義妹と言うだけで聖域にまで入り込んでいる。
不快感で胃がキリキリするカリムは、音がするほど奥歯を噛み締めた。
「次席。お気をつけください」
後ろからかけられた声に振り返り、苛々とディルシードを睨めつける。
「お顔に出ていますよ、お兄様。珍しくキーエの者もいます。お気をつけて頂きたい」
皆から少し離れ、黄色のローブを纏った女と、見習いの少年が畏まって控えていた。
今代の位階四位は、癒しのキーエと呼ばれる旧家の当主だ。
リンデン王国建国に貢献したふたりの魔術師は、精霊陣を操るマルトルと癒しの術を扱うキーエの始祖だった。
建国当時は、宮廷魔術師の双頭と呼ばれるくらい、マルトルと張り合う力を持った一族だったが、世代を経るごとに力を無くし、先代までは位階も底辺を彷徨っていた。
「たしか現当主は、ユリシス・キーエ。血の濃い交わりで生まれた、核持ちの女です。見習い従者は、息子のエルマーですね。核持ちの息子…キーエの後継者を産んだ事で、今代の位階四位に除された母親だと聞いています。エルマーの父親は『陰』の者だとか」
「ふん。核持ちなど、汚らわしい魔族ではないか。到底、人ではないわ」
カリムの言いように、端正なディルシードの眉根が歪む。
自分以外を認めない兄の気性が、いささか煩わしくなった。
「体内に核を持つなど、魔獣以外にない。おぞましいものだ」
呪詛に近い呟きが聞こえないよう、ディルシードは後ろに下がった。
最終兵器として、王城という籠に囚われた魔術師の一族は、世代を重ねながら王城外の組織『陰』を築いた。
長年の企みは代々の従者に引き継がれ、多岐に渡る情報網と優秀な手駒を育て上げた。
王族にも貴族にも『陰』の存在は気取られていない。
常に一族同士で勢力争いをしていても、国に気づかれるような不手際はしない。
暗躍する駒が多ければ多いほど、一族の自由空間が広がってゆくのだから。
他国への抑止力となる宮廷魔術師は、国が力を誇示する便利な集団だ。が、長い年月の果てに能力が低下している現状、番犬だの飾り物だのと侮る貴族が増えていた。
飼い殺しにしたはずの魔術師集団が、秘匿した独自の組織を育て上げ、侮れない力をつけていると、王宮の誰もが認識していなかった。
カリムを待つ人影の後ろには、堅固な大扉がある。
神殿に例えるなら、祭壇を設えた祈りの間に通じる扉だ。
大扉の向こうは、始祖マルトルの眠る聖室に繋がっている。
本来この場所には、マルトルの一族以外は立ち入れない。
召集されたのが位階四位までの魔術師と従者だとしても、キーエは部外者だ。
「どうやら筆頭は、一族の決まりを軽んじたな。度し難い愚か者が」
マルトルの総意も謀らず、キーエの者を招聘したと、カリムは益々へそを曲げた。
抗議の意味を込め、殊更ゆっくりと歩み寄ったカリムが、顎を引いて形ばかりの会釈をした。
「皆、集まってくれて感謝する」
最初に口を開いたのは、線の細い青年だ。
妖艶だった前筆頭の息子とは言え、人目を引くほど麗しいわけではない。ただ、濃い茶色の瞳が澄み渡って、直視すると不安を掻き立てられる。
悪意や策謀の交錯する宮廷内や一族の中で、魔術師筆頭フロム・マルトルは、対峙する者すべてから忌避される浮いた存在だ。
すべてを見透かすような視線を、平然と直視できる者は少なかった。
「前例に無い事ではあるが、始祖が皆を召集した。聖室まで、足を運んでくれ」
息を飲む者。
思わず仰け反る者。
不快を露わにする者など、総じて皆は拒絶反応を起こした。
「あー、フロム筆頭。俺は従者だ…行かなくても、いいよな? 」
位階三位アルビン・コラントの従者シルクスが、遠慮なく声をあげる。
「シルクス、言葉を改めよ。おまえは、わたしの従者だ。兄に恥をかかせるな」
普段は寡黙なアルビンが、珍しく弟を嗜めた。
「だってよ…始祖って…し 屍体だろ? 」
怖気付くシルクスを笑う者はいない。
何百年も保存される屍体の側に、喜んで行く者は少ないだろう。
宮廷魔術師の祖である初代マルトルが、なぜ自分の身体を保存させたのか、知っているのは代々の筆頭のみだった。
「恐れる気持ちは分かるが、始祖の命は絶対だ。拒めば、我が一族は瓦解する。だから、わたしと共に来てくれ」
訳のわからないフロムの説明で、動く者はいない。
「…後悔 させたくない。皆、付いてきてくれ」
言葉を切ったフロムは強引に大扉を開け放った。
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