第17話 冷たい雨と 村人遭遇

 傾きかけた陽に照らされ、相変わらず馬車は北を目指す。

 冷たい向かい風が、いっそう厳しくなってきた。そろそろ防寒着が恋しい。

 ここ最近、昼食後に居眠りするあいだ、マダムが御者を代わってくれたのだが、このまま寒くなれば完璧に風邪をひく。

 そろそろ昼寝も中止しようと、アンリは眠い目をこすった。

 居眠りタイムが過ぎて頭が覚醒すると、馬車を進めながら魔力循環の鍛錬が始まる。

 もともと魔法に興味津々なアンリたちには、楽しみな時間だ。

 昼寝から覚めた女子組も、アンリの両脇に座り、体内の魔力を循環させている。

 足元に並んだ三つの籠では、拳大に育った小竜たちも魔力循環を真似ていた。

 浮遊して漂ったり、なんとなく意思の疎通ができたりと色々進化もし始めている。

 名無しでは紛らわしいので簡単な名前をつけたら、他の小竜も付ける羽目になった。

 アンリの金色角の小竜は雄だから、チャンプ。

 金メダルから連想して、なんとなくチャンピオン?。

 ユーリカの碧色角の小竜は女の子で、サファイアから連想してソフィ。なんとなく付けたので、捻りも何もない。

 ジーナの薄紅色角の小竜も女の子で、ルビーからとってルビー。

 センスの無さに、アンリの良心は冷や汗をかいている。

 この世界の言葉ではないから、適当な名付けとバレないのが救いだ。

 名付けの前に雌と言ったら、女の子だと訂正させられた。

 なかなかに言葉遣いは難しい。

『お上手です。そろそろ魔力の集束訓練に移っても、宜しい頃合いかと存じます』

 ここ数日、夕食後にも魔力循環の鍛錬をしていたが、ようやく次の段階に進むようだ。

 二日前から、野宿の目安にしていた森と泉は姿を消した。

 王家直轄領の端であるこの辺りから、新チェストリー領の領都ホータンの領境までは、低い丘と草原地帯が横たわっている。

 耕すには土が浅く、麦も野菜も育たない一帯だ。

「あの崖下辺りが、良いかな? 」

 前方にこんもりとした丘があり、風よけに適した崖になっていた。

『…はい。宜しいかと』

 マダムの了解を得て、アンリは間道から逸れた。

 崖に並行して馬車を止め、崖崩れの心配はないかと草で覆われた土に触れる。

 丈の短い草の茎は思いのほか硬く、引っ張っても容易に抜けない。

 網目のような茎が広がって、丘全体に根が繋がっている感じだ。

『ここに、焚き火の跡がございますね』

 少し窪んだ崖下には、竃に使ったらしい石組みがあった。

 周りの焦げ具合から見て、かなりの頻度で使われていそうだ。

「こんな時間だし、誰も来ないと思うけど、何か言われたら場所を空けよう」

 手分けして薪だの鍋などを運び出す。

 ジーナが野菜を洗い、ユーリカは干し肉を刻み、それらをアンリが鍋に放り込む。

 芋を擦り下ろして薬草の粉末を振り入れ、塔から持ち込んだ卵を割ってよく混ぜる。

 そこに小麦粉を振って、耳たぶの硬さに調整し、ぷくぷくと沸騰する鍋に、小さく千切ったものを落として味を整えた。

 スープは塩と胡椒だけの味付けだが、どちらも贅沢品の範疇だったりする。

 女子組が食器の用意をするあいだに、アンリは竃の前へ低い椅子と木製のベンチを運び出した。

 スープカップひとつで事足りる夕食だが、誰も文句は言わない。

 むしろ柔らかい食感の芋団子は、最近人気の献立だ。

 離乳食にも適しているようで、ベンチに並んだ小竜たちは深皿に首を突っ込んでいる。

「にーに、これ、好き」

 体温が上がって頬を真っ赤にしたジーナが、芋団子を頬張りながら笑った。

 とろみのあるスープで、口の周りがえらいことになっている。

「ジーナ、こっち向いて」

 慣れた手つきで拭き取るユーリカに、ジーナは嬉しそうだ。

「ねーね、ありがと」

 ねーねと呼ばれたユーリカも、満更ではないようだ。

 少し身長が伸びて五、六才になったはずのジーナだが、中身は三、四歳児だ。元々小柄な事も手伝ってか、幼さに違和感はない。

 冷たい風がアンリの首元を掠め、野外での食事も限界だと思う。

 満腹小竜たちは、ベンチの上で毛繕いを始め、猫舌のマダムが芋団子に苦戦しているあいだに、鍋の残りは少なくなっていた。

『! 誰か来ます。小竜たちを馬車に。 片付けは間に合いません。気をつけて』

 精霊に連れられて、小竜が馬車に入る。

 崖に沿って、カンテラの光が近づいてきた。

 簡単な造りの幌荷車が軋みながら止まり、御者台から大柄な影が降りてくる。

「止まって。 誰ですか? 」

 アンリの制止に立ち止まった人影が、灯りで自分の顔を照らした。

「先客か。 悪いが、薬茶を沸かしたい。残り火でいいから、譲ってもらえないか」

 身なりは、通り過ぎた村の者と大差ない。

 毛皮の胴着に厚手のマント。ベルトに吊るした短剣がひとつ。

 片手にカンテラ、もう片方に薪の細枝を下げている。 

「土もぐらの夜狩りをしている。いつもここで茶を煎じて、暖をとっているんだが、あんたたちは旅人さんか? 」

 雪で獲物が少なくなる前に、冬ごもりの支度をしていると男は言葉を続けた。

『大丈夫かな? 』

 使い込まれた竃の訳が分かった気がして、マダムに問いかける。

『大丈夫と思いますが、ユーリカたちを塔に避難させます。わたくしも警戒しますので、アンリも油断しないで下さい』

 じっと返事を待つ男に、アンリは竃の前から退いた。

 ユーリカたちを押しやって、塔に帰るよう促す。

 男には精霊が見えないようで、見向きもせずにアンリの返事を待っていた。

「妹たちを中に入れます。スープしか残っていませんが、良かったらどうぞ」

 明らかに緊張を解いた男が、竃の横に薪と背負い袋を置いた。

 黒い髭面を撫でる様子は、老けているのか若いのか、よくわからない。

「助かる。遠慮なく貰うよ」

 自前の木のカップとスプーンを出し、勢いよく団子を頬張り始めた。

「うまい、ご馳走だな。あ、おれはこの先のカプト村のもんで、タンザ。山羊飼いだ」

 タンザの食欲に驚き、明け透けな物言いに目を剥き、勧められた茶を断って、アンリは自前のハーブ茶を啜っていた。

「さて、もう行くわ。ありがとな。薪は使ってくれ」

 空いた鍋へ食器を片付けるアンリに、タンザは背負い袋だけ持って頭を下げた。

「じゃあな、旅人さん。カプト村に寄るなら歓迎する。俺の名前を言ってくれ」

 立ち去るタンザを、アンリは見えなくなるまで見送った。

『後をつけて監視させます。ご安心を』

 マダムの指示で精霊が飛び立ち、タンザの消えた方へ向かった。

「悪い人ばかりだなんて、思いたくないね」

『…仰る通りです』

 音を立てて風が吹き抜けた。

 緊張が解けたせいか、ぶるりと身体が震える。

「さっぶい。馬車の中で食べられるようにしたいな。これからもっと寒くなるし」

 北はかなり標高が高い。冬の季節も他領より長く、大雪も降るらしい。

『畏まりました。小さいですが、耐火煉瓦の竃と水回りを、馬車内に設置致します。明日の移動中に仕上げておきますので、昼食には間に合うかと』

 火の始末や自分の寝床の用意をしているあいだに、ユーリカたちが入浴を終えた。

 入れ替わりに風呂に入ったアンリは、湯の熱さに声を上げる。

 思いの外、身体は冷えていた。

「これから吹き曝しで御者席にいるの、無理じゃね? 」

 一日中手綱を繰るのは、正直言って辛い。

 冬の寒さを思うと、今から気が滅入った。  

 アンリが風呂から上がるまで待っていたふたりは、おやすみの挨拶をして寝床に上がって行く。

 しっかり戸締りし、灯りを消したアンリは、新しく誂えてもらった寝袋に包まった。


*****

 朝焼けの中、硬い霜柱を踏み、スカルを馬車に繋いで、厩舎テントを解体する。

 支柱を一纏めにし、厩舎の幌を丸めて、馬車の両脇に括り付けた。

 たっぷり食事をしたスカルは、走る気満々だ。

 アンリの目覚めを待っていた精霊が、狩りを終えたタンザの報告をしてきた。

 何頭かの獲物を仕留め、夜明け前に北へ引き上げたそうだ。

 途中で追い付く事もないだろうと、ほっとため息が出る。

 顔見知りになったとは言え、殆ど他人。馴れ合うのは危険すぎた。

 吐く息は白く濁り、見ているだけで寒さが倍増する。

「ヴゥ…ざぶい」

 朝食は馬車の中でとマダムが判断し、塔から運ばれた。

 馬車での調理に疑問を持つアンリだが、質問しない賢さは培われている。

(きっと、旅の気分ってやつだ。うん)

 厚手のマントに耳当ての付いた帽子を被り、出発する。

 剥き出しの頬をなぶる風は、早朝ほど冷たくはなかった。

 両脇に座るふたりも、色違いで可愛らしいマントと耳当て付きの帽子を被っている。

 アンリの地味な茶色ではなく、ユーリカの濃い黄緑色とジーナのオレンジ色は、ふたりによく似合っていた。

『御者はわたくしが致しますので、あなたがたは魔力の収束訓練をなさって下さい。まずは循環している魔力を胸の辺りに集め、両手のひらを上に向け、指に移動させて下さい』

 前面の板囲いに乗り、手綱を結んだフックに前足を置いて、マダムが指示を出す。

 心持ち速度を落としたスカルの耳が、声を拾うように角度を変えた。

 絆した手首のバングルから、好奇心いっぱいなスカルの思いが伝わってくる。

「わぁ、指先がどくどくするけど、これをどうやるの? 」

 アンリ同様、ユーリカもジーナも、びっくりした顔をマダムに向けている。

『それが何か、感じて下さい。頭の中に、形が現れる筈です』

(感じる? …イメージかな)

 集中して細めた目の先。掌の少し上の空間が歪んだ。

 徐々に濃くなる赤紫の球体がふたつ、掌に収まりそうな大きさで、空中に収束する。

 ただ、どんどんと色が抜けて透明になり、余程注意しない限り見えなくなった。

 右の球体は蠢いているのか、透かし見る景色が揺れる。

 左の球体の中に、金色の筋が渦巻き始めた。

「え? 何これ」

 球体を覗いたアンリは、想像と違う現象に首を傾げた。

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