第16話 蠢く闇と 夢界の夢?
(何処に? 陛下……どこにいらっしゃるのです? )
ぶくりと、泡が立ち昇った。
真昼の陽射しは、遮るもののない天窓を通り抜け、広い室内に満ちている。
塔の最上階を埋め尽くす精霊陣の中央には、澄んだ円形の泉が湧いていて、深い底に硝子の棺が沈んでいた。
まっすぐに差し込む光を反射し、ゆらゆらと揺れる泉の底から、ぶくりぶくりと泡が立ち昇る。
(…どこに。 どこに行かれたのですか……)
次々と昇る泡が増え、水面がざわめき出す。
(いない? なぜ……何故です? 陛下)
溢れる水は精霊陣を覆い、噴き上がる勢いで天窓にまで達しようとした時、厚い雲が陽を遮った。
(…なぜ いな い)
急速に静まる水面に最後の泡が弾けて、さざ波が残った。
*****
街道を行く馬車は、いつも通りに先を目指す。
美味しい昼食を食べ終えたユーリカは、ジーナとともに馬車の寝袋に潜り込んだ。
囲いがあるとはいえ、外での昼寝は身体に悪いと注意されたからだ。
うたた寝をするユーリカの腕の中で、微睡む碧角の小竜が共鳴して短く鳴いた。
泥酔に似た眠りは心地悪く、体調は容易く回復しない。そんな不快な闇の中を、ユーリカは漂っていた。
天にはおびただしい星の海。
大地には赤黒く燃えたぎる巨大な精霊陣。
(…遺跡の 都市? )
眼下には、アンリとマダムと共に通り抜けた、地下の遺跡都市が広がっていた。
赤く燃え上がる陣の中心に、人型をした白い炎が揺らめいている。
何故かユーリカには、それが女王だとわかった。
静かに静止した女王からは、慈しむような気配が伝わって来る。
『あれを 救って お願い』
おもむろに視線を上げた女王から、優しい思念が流れ込んで来た。
『お願い。遠い…末裔 無垢なる娘。 あれを…』
女王の視線の先に、暗い光を放つ星が見える。
禍々しい気配の星が、何故かユーリカには、ぼやけて見えた。
(…泣いている? )
*****
『ジーナ。 ジーナ』
気持ちの悪い眠りの底から、大好きな声が呼んでいる。
『ジーナ? 』
ひもじくて怖いだけの日々の中、暴力を振るう大人から庇い、僅かな食べ物の殆どを、ジーナにくれた兄と姉の声が呼んでいた。
返事をしようとしても、身体が動かない。
『だいじょうぶだよ、ジーナ。僕たちは始祖に還るんだ。もう、心配はいらない』
『わたしたちの片割れ竜を助けてくれて、ありがとう。ジーナは部族の所に帰るのよ? 安心して行くと良いわ。ずっと…見ているから』
ひどく安堵して、ジーナは泣いた。
きっとこの先、兄にも姉にも会えない。だから顔を見たいのに、目が開かない。
『わたしたちのジーナ。幸せになりなさい』
どんどん沈んでゆく眠りの向こうに、ジーナは思い切り両手を伸ばした。
置いて行かないでと、闇雲に手を振り回す。
(にーに、ねーね。いや…)
硬い床を叩いた痛みで、唐突に目が覚める。
「にーに、ねーね」
ひとりで寝袋に包まるのが、たまらなく寂しい。
頭元で丸くなる薄紅角の小竜と目が合って、縋るように抱きしめた。
「ふぇ…アンリ兄ぃ」
碧角小竜を抱いて傍で眠るユーリカを起こさないよう、ジーナは寝袋を抜け出した。
*****
無表情のまま、アンリは御者席にいた。
いつものようにユーリカとジーナは、昼食のあと眠ってしまった。
よほど疲れが抜けないのか、起きる気配はない。
足元に置いた籠で、満腹した金角の小竜が大の字で寝ていた。
できればアンリも眠りたい。
注意して指図しなくても、スカルは一定の速度を保って、道なりに駆けている。
アンリが居眠りをしようと、別に困らないはずだ。
『少し早めに、野宿の用意を致しましょう。アンリの好きなカツさんどを、ご用意致しました。今夜は塔で調理した物を、馬車に運びます。お風呂も塔でご用意致しますので、元気をお出し下さい』
「…うん」
目の色や髪の変化は衝撃的だったようで、アンリの憂鬱な気分は、めり込んだ大地に潜っている。
『随分と気になさっていらっしゃいますが、髪の色も目の色も、この世界では珍しいものではございません。いたって普通でございますよ』
ひときわ深いため息を吐き、流し見るアンリの目に険がたつ。
「なんか丁寧で優しすぎて、気持ち悪いんだけど。言い残した事でもあるのかな? 」
ピリリと、マダムの尻尾が天を突いた。
『い いぃぇ、滅相もない… オリジンの核に女王の核が融合したなんて、とてもわたくしからは申せません』
「え? なに? 」
『え? はっ! 失礼を致しました』
捕まえようと伸ばしたアンリの手を掻い潜り、マダムは馬車の中へと逃げて行った。
「おいっ、こら待て! 今なんつった。 をぃ」
ご機嫌で軽快に走るスカルは、止まらない。
手綱を離すのも馬車を止めるのも、無理だ。
「このぉ、#&%$! 」
言葉にならない呻き声を上げた後、アンリは脱力して背もたれに身体を預けた。
コツリと、後ろ頭が背もたれの角にぶつかる。
「なんだよ。俺の身体って…ふたりの受け皿? 」
理不尽に思い、苛立ち、戸惑い、呆れ返って、諦めた。
(はぁ…なんだかなぁ。良くはないけど、どうでも良くなった? みたいな? )
どうでも良いはずはないが、大騒ぎして感情をぶつけるのは違う、と言うところか。
鬱々と考え込んでいる背後から急に抱きつかれ、締まる首に思わず声がひしゃげた。
顔の上に着地したジーナの小竜を、子猫でも摘むように持ち上げる。
「びっぐりじだぁ。 どうじだの、ジーナ」
しがみ付かれ首を締められた耳元で、泣いている声がする。
「どなり、ゔぉいで」
背もたれを越えてきたジーナは、アンリの膝を登って正面から抱きついてくる。
遠慮のない薄紅角の小竜は、アンリの頭に飛び上がった。
(子猿…いや、コアラ? いや、もっとかわいいよ…って、ちがうわ)
まだまだ子供のジーナは、体温が高い。
本能的に、守らなくてはと思う。
「どうした? もうすぐ野宿だからな。…お腹がすいただろ? 」
胸に埋めた頭が、頷いた。
「アンリ兄ちゃ 兄ちゃ にーに」
本格的に泣きじゃくり始めたジーナを、片腕で抱き寄せる。
「心配したか? ごめんな、ジーナ」
しがみつく手に力がこもった。
「おれ…にーには強くなるから、もう、心配するな。な? 」
「ゔん」
涙やらなんやらで冷たくなった胸を、ジーナの頭がグリグリ擦って、痛い。
胸の痣が熱を持ったのか、鼓動に合わせて痛みが強まる。
全力で悲鳴を上げたいが、なけなしのプライドと根性で、ぐっと我慢する。
にーにの「強くなる」宣言を守るために、固まる身体から冷や汗が吹き出した。
身体が冷たくなるような気がして、吐き気がする。
ちょっとの油断で、意識が飛びそうだ。
『ジーナ。ユーリカを、起こしてあげて下さいますか? そこの泉で野宿ですよ』
マダムの呼びかけに応え、程よいところでスカルが止まる。
気を持ち直したジーナが馬車の中に消えた途端、アンリは御者席にヘタレこんだ。
羽ばたいた薄紅角の小竜が、不機嫌にアンリの髪を啄む。
『ないす あしすと で、ございましょう? 』
瀕死の状態で、親指を立てるアンリ。
測ったように馬車から夕食のバスケットを持って、精霊たちが飛び出してくる。
大きなバスケットが勝手に浮遊しているようで、ちょっとホラーだ。
根性で痛みを我慢するアンリは、お花摘みに行くユーリカたちに、ついて来るなと言われて、さらに凹んだ。
ぐったりしているアンリを労っての言葉だと、気づいていない。
ハタハタと着いて行く小竜の碧と薄紅が、光を孕んで人魂みたいだとぼんやり思う。
「ふたりだけなんて心配だし、不便だよな。トイレも風呂も塔へ帰れば簡単なのにさ」
情けないくらい声が震えていた。
『いちいち塔に帰るのでは、旅をする気分が半減すると、ユーリカが仰って…』
暫く思案していたマダムが、御者席と扉の間にある空間を測り出した。
開いた扉が御者席の背板に当たらないよう、幅のある場所だ。
扉の両脇も幅広の壁になっており、マダムが測量するように視線を振っている。
『ここに拡張陣を描いて、水回りを創りましょうか。これから先の草原では、あまり馬車から離れるのも危険になるでしょうし。御者席の背面は厚手の布を垂らして、中が見えないよう工夫すれば、防寒対策にもなるでしょう。なんでしたら、両脇の昇降階段に外扉を取り付けても宜しいかと』
やっと退いてきた痛みに惚けて、アンリは唯々頷いた。
便利機能は楽だし嬉しい。ただ、塔に帰るのも便利機能を使うのも、同じではないかと思ったが、口にするのはやめた。
*****
「セイレイ術ッテ、スゴーイ」
一晩ぐっすり眠って迎えた朝。
爽快な気分で起きたアンリは、馬車前方の扉を開けて口笛を吹いた。
開いた扉の幅しかない空間の両側に、ガラスの小窓が付いた扉ができていた。
御者席の背面には幌と同じ生地が垂れて、直接に中は見えない。
「ズイブント、オハヤイ、カンセイデ…」
やりきった感が満載のマダムに、アンリは当たり障りのない感想を述べた。
『馬車に向かって右壁の拡張精霊陣が洗面台とトイレ、左壁が脱衣所とお風呂でございます。どちらも使用中は、内側からしか開閉の発動は致しません。ご安心を』
(…うん、ラッキーの希望ないから。 強調すんなぉ)
緊急性を要する拡張陣のほうが、見学会の女子組で埋まっている。
(…くっ、我慢だ、俺。けど、早く出てくれ )
ここで塔に帰るのは、なんだか負けた気がするアンリだった。
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