第15話 一途な騎士と 麗しの女王

 焼ける。

 燃える。

 溶け崩れる身体が、欠けて千切れる。

 暴れて身悶えて、張り裂けるほどの悲鳴を上げる。

 荒れ狂るう獣のような咆哮が、やがて切れ切れに途絶えてゆく。

 痛い、熱い、助けて、誰か、と。。

 マグマと化した身体に罅が走り、灼熱する緋肉が弾ける。

(!!!)

 身体の中心から沸々と滾り、果てしなく膨張してゆく。

(だ れか  だれ… )

 助けを求めて手を伸ばす。伸ばしたいと、願う。

(…たすけ て)

 身を焼く苦痛から逃れたい、脱ぎ捨てたい。誰でもいい、誰か、と。

『……! 』

 伸ばしたはずの指先に、ひやりと解ける冷たさを感じた。

 爪の先から指の腹、手のひら、腕、肩と、癒しの涼やかさが染み透る。

 全身から爛れる痛みが引いてゆき、感覚の薄れた両手を誰かが握っていた。

「アンリ 」

「アンリ兄ぃ? 」

 浅く息をつくたび、胸に残る痛みが酷くなる。

「ゆ り、じー な? 」

 無理やり目を開けば、両側から覗き込むユーリカとジーナが見えた。

 定まらない視線の向こうに、明け行く空がある。

 安堵して、息を引いて、しゃくりあげた。

 涙が溢れる。嗚咽が止まらない。

「ユーリ …ジーナ 」

 華奢なふたつの手を握りしめ、すすり泣く頭を、両側から幼い指が撫でる。

「…大丈夫よ、アンリ。もう、夢はおしまい」

「だい じょぶ だよ? 」

 穏やかに宥めるユーリカの声に、泣くのを我慢するジーナの声が混じる。

「…ん、ありがと。心配かけて、ごめん」

 幾度か深呼吸して、アンリは身体を起こした。

 胸や腹に乗っていた小竜たちが、投げ出した膝に転がり落ちる。

 視界に入った足の先で、白猫マダムが、きまり悪げに一声鳴いた。

 場違いなくらい呑気に見えて、何か言ってやろうと息を吸い込んだアンリは、肩から流れ落ちてきた自分の髪に絶句する。

 不自然極まりない色と、長さだった。

 見回す辺り一面に、白く輝くものがうねっていた。

 敷き詰めたと、言っても良いほどの量で。。

 昇った朝日に照らされて、地面に広がったアンリの髪が輝きだした。

 細かな光が浮き上がり、神々しいまでの煌めきの中、髪が溶け出して薄れる。

 光になって、消えてゆく。

「うそ! はぁ? 消える、失くなる、 は…は 」

 光に溶けて、消える速度が早くなる。

『は? 』

「は? って。アンリ? 」

「アンリ兄ぃ? 」

 急に黙りこくったアンリに、皆が問いかけた。

「は …はげ  はげ、ハゲんのかぁ! 」

 悲痛な叫びが、草原に響き渡った。 

「アンリ、だいじょうぶ? 」

「え、アンリ兄ぃ? 」

 びっくりして固まる少女たち。唖然と魂の抜けたアンリ。

『大丈夫でございますよ、アンリ。ほとんどの魔力は放出致しましたし、魔力量に見合っただけ、髪の長さは残ります。 …たぶん』

 自信無さげに目を逸らすマダムに、アンリが復活した。

「ほんとだな? 嘘ついたら、分かってるよな? 説明は 後で 聞く」

 涙を溜めたジーナとユーリカの頭を抱き寄せて、アンリは安堵した息を吐き出した。

 

*****

 非日常の朝が過ぎ、穏やかな昼間が訪れた。

 変わりなく、アンリは御者席で欠伸を連発している。

 色が抜けて白くなったアンリの髪は、踵に達するほど残っていた。

 魔力の塊らしく、切っても見る間に伸びてくる。

 鬱陶しそうにしていると、ユーリカが緩く編んで、三ヶ所ほどを紺色のリボンで括ってくれた。

 マダムは珍しく、アンリの膝で寝そべっている。

 足元には、小竜が仲良く眠る籠がひとつ。折り重なるように眠る小竜たちが、なんだか一回り大きくなったような気がする。

 思った以上に魔力の暴走がトラウマになった女子組は、アンリの側を離れない。

 昨日までと違うのは、御者席の仕切り囲いにもたれ、毛布に包まったユーリカたちが、昼寝をしている事だ。

 板囲いのおかげで、馬車から転がり落ちる心配はない。

 短かったジーナの髪も、豊かなユーリカの髪も、限りなく色が抜けて膝裏近くまで伸びていた。ユーリカの銀の髪は白金に。ジーナの黒髪は、艶のある薄銀色に変化していた。

 その上どう見ても、ふたりは一、二才くらい成長している。

 目の高さに違和感がないあたり、アンリも成長しているはずだ。

(俺が八、九才だとして、ユーリが七、八才くらい? ジーナが五才くらいかな。まぁ、これから何があるか分からないし、少しは成長して良かったのかな。うん)

 眠っている間、何があったのかアンリには分からない。

 死にかけて、とんでもない醜態を晒した覚えはある。

 トラウマになる程の不安を、ふたりにかけた。

「あれは、何だったんだ? いい加減に吐けよ」

 膝の上で、マダムが顔を上げた。

『吐けって…。えぇ、話しますとも。でも、お分かりなのでしょう? 女王の事も、オリジンの事も。夢界であなたが見た通りですのに、おふたりの事を深く知りたいなんて』

「違うし! って、意味わかんねぇよ!  なんで俺なんだ? なんで、こんなのが」

 はだけた胸元に、くっきりと赤い痣がある。

 見ようによっては、太陽とコロナみたいな痣だ。

 まだ痛みが残っていて、シャツに擦れると飛び上がる。

『…それについては、申し訳ございません。実は、あなたの肉体再生に使った核なのですが、そのぅ… オリジンの核 でして』

 瀕死の肉体をふたつに分け、再生するには核が必要だったと前に聞いた。

 新しい身体をくれたのだから、アンリとしても今更文句はない。

「いいよ、それは分かってる。でも、なんであんな事に? 」

 今から思えば、みんな一緒に死ぬような目に会ったはずだ。

 何百年前だか知らないが、恋愛事情は他所でやってもらいたい。

『オリジンの核に残っていたのが、どうやら魔力だけではなくて、ですね。その…記憶と申しましょうか、魂の欠片と申しましょうか。一途な想いが、残っていたようでして』

 オリジンと女王の事を知っていたマダムは、もっと早くにふたりの核を同じ場所に納めてあげたかったそうだ。けれど防御精霊陣に入れないマダムは、オリジンの核を女王の側に連れて行けなかったらしい。

『ふたりの核が共鳴しても、精霊陣の中でしたら暴発はいたしませんから。…たぶん』

 怖い事を言うマダムに、引き攣った苦笑がおきる。

 あの日、アンリの再生にオリジンの核を使った後、万が一の共鳴と暴発を考えて、女王の核はアンリの側に置かなかった。けれどアンリの身体にオリジンの魔力が定着し、小竜へ魔力を与えて魔力の循環が起こった事で、眠っていたオリジンの記憶が目覚めてしまったのだろう。

 強烈なオリジンの夢に侵食されたアンリが消耗すれば、おそらく長くは持たない。

 オリジンの核に残った思いが、アンリを危険に晒している。そう、マダムは判断した。

『オリジンの核は、アンリの胸の中にあります。取り出せば、アンリの肉体は崩れ去るでしょう。ならば、防御精霊陣から回収した女王の核を、オリジンの核に近づければ良いのではないかと、思いついたのです』

 肉体を持たない核は、魔力の塊だ。アンリを救う手段とはいえ、もしも女王の核がオリジンの核と必要以上に共鳴すれば、アンリの肉体に膨大な魔力の負荷がかかる。

『…このままでも、いずれ死に至るなら、試してみようかと思いまして。ほんとうに、申し訳ございませんでした』 

 アンリを眠らせた後、マダムはオリジンの核と女王の核を接触させる賭けに出た。

 女王の核を眠るアンリの胸に乗せた途端、異変は始まった。

 炉に投げ込んだように融解を始めたアンリの身体と、膨大な魔力が暴走する。

 燃え上がり、弾けるアンリを、マダムは精霊の力で押さえ込もうとした。

 悲鳴に起きてきたユーリカがアンリの手を掴み、ジーナも腕に抱きついて三人ともが燃え出した。ついてきた小竜たちもアンリに抱きついて、巨大な篝火のように炎を上げて、マダムも暴走する魔力を吸収しようとマグマに飛び込んだと言った。

「それで 帰って来られたのか」

 ユーリカやジーナには感謝しかない。小竜にも、頭が下がる。

(ま…マダムも? かな)

 落ち着いた今なら、オリジンの執念に感嘆するしかない。

 胸の痣に手を置いて、アンリは瞑目する。

 消え果てても不思議ではない永い時を、ただ一途に求め続けたのかと。

(ひとつになれたか? オリジン)

 瞼の裏で、精悍な男が照れたような、気がした。

なんだか可笑しくて、顔が緩む。

『あの、アンリ? 』

 遠慮がちなマダムに、ほんの少し不穏な気持ちになる。

『…実は、こちらを』

 器用に空間収納から取り出した手鏡を、アンリに差し出す。

『では…失礼を致します』

 なんとなくマダムを見送って、首を傾げながら鏡を覗き込む。

 静寂 暫し。

「なんじゃこりゃ! …うそ。 嘘だろぉ〜!」

 知らぬ間に青紫に変わっていた自分の瞳に、再びアンリは悲鳴をあげた。

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