第14話 アンリと 夢界の騎士

「…色々な意味で、ジーナを助けて良かったよ」

 人にとっても小竜にとっても、王都のすぐ側で凶暴化しなくて本当に良かったと思う。

 胡座に乗せた籠で眠る小竜。

 見掛けは無防備で愛くるしいが、竜種の強さは桁違いだ。

『離乳するまで、充分にオドを与えてください。そうすれば、とっても逞しくなりますので… はぁ、先が楽しみです』

 なぜかうっとりするマダムに、アンリは胴振るいした。

(何を考えているんだか、この精霊の親玉は)と、つい構えてしまう。

『あの時、ジーナの身体は大量の魔力で覆われていました。恐らくは逃げ出すため、無意識に身体強化をしていたのでしょう。だからこそ、核を持つロロブルの者ではないかと、気がついたのですが。救えて安堵しております』

 あの時とは、ジーナが街道に飛び出してきた時の事だろう。

「…野生の獣かと思った」

 第一印象はあまりにも強烈だった。思い出すたびに臭う気がする。

『精霊の加護を受ける彼国かのくにでは、身体強化は体内に核を持ち、オドを扱える者にしかできません。気まぐれな精霊の支援とは、比べものにならないくらいに強力でございます。草原の民の中で、核を持つ竜使いのロロブルが、ジーナの部族でございましょう』

 草原の民にも、いくつかの部族があるようだ。

『そうでした、あなたとユーリカのオドの元についてですが。簡単に申し上げれば、肉体の再生に必要な条件が核の有無でございましたので、手持ちの核を流用いたしました。魔力も定着したようですし、宜しゅうございましたね。と言うことで、わたくしもそろそろ就寝いたします。結界は張ってございますので、ゆっくりお休み下さいまし』

 そそくさと馬車に駆け込むマダムを見送って、アンリは顎を落とした。

「え。 俺ひとりで、野宿なの? 」

 焚き火はあれど、辺りは真っ暗だ。

 辛うじて空にかかる月は細くて、心細い事この上ない。

 アンリの寝袋はジーナが使うだろうから、馬車の二階に居場所も無い。

「…さびしい」

 ポツリと零した本音に、スカルが嘶いた。


*****

 風が、鳴っていた。

 耳元を掠め、頬を叩き、髪をなぶる。

 抑えきれぬ高ぶりに、くつくつと湧き上がる笑声。

 甘やかでいて、薄い硝子珠を転がすような儚い音だ。

『…… 来て 』

 呼ばれて瞼を開けば、辺り一面に広がる雲海の波。

 艶やかな毛並みに跨って抱いているのは、成熟した麗しい女性だった。

『……て』

 呼ばれた名前に、アンリは首を傾げる。

『…陛下  女王陛下』

 求めるように掠れた男の声が、僅かな震えを帯びて応えた。

 ふと、後ろから女性の胴に回した腕が、自分のものでは無いと思う。

 飴色の手綱を握る手は、金属の手甲に包まれた厳つい男のものだ。

(なに? )

 加速と急旋回を繰り返し、目の前の雲を突き抜ければ、緑の絶景が広がった。

 彼方まで見渡せる草原と、直下の深い森。

 山腹から平野まで埋め尽くす、白く巨大な都市。

『我らが草原の国。コスタニア』

 白竜の背で、アンリは切なく呻く。

 一方的な殲滅と手酷い裏切りに、呆気なく滅んだ女王の小国。

『…を、救って。 ア ンリ  』

 嘆くような、囁くような女王の懇願に、アンリは慄然としていた。


*****

「 ねむ…」

 草原と夕空しか見えない景色の中、只々単調に馬車は進む。

 今日もスカルは楽しそうだ。

 相変わらず、御者席でぼんやりするアンリ。

 独りきりの野宿を乗り越えて、次の夜からは馬車の一階で丸まって寝ている。

 一人きり? 一頭きり? になるスカルが心配で、野宿の度、結界内に厩舎風のテントを立てている。

 あれから夜毎に見る夢は、炎上する城内を白竜と共に延々と飛ぶものだ。

 怒り、哀しみ、焦燥の中で、女王を求めて飛び続ける男の想いを、繰り返す。

 目覚めのやり切れなさが辛く、二桁に達した悪夢の夜に、寝不足の欠伸が止まらない。

 開け放った背後の扉から、音読する声がしていた。

 初めて目にする絵本はジーナを魅きつけ、読み聞かせる楽しさをユーリカに教えた。

 暗記するほど聞いた物語が、子守唄に思える。

『眠れませんか。 困りましたね』

 アンリに付き合って足元にいるマダムは、小竜と一緒に籠の中だ。

「なんだろうな。意味が分からない。 すっげぇ、キツイんですけど」

 際限なく繰り返す感情に引きずられて、何かが壊れていきそうだった。

『ほんとに、どうしたものでしょう』

「ねぇ、夢の原因って、なに? 」

 精霊の親玉なら知っているはずだと、坐り切った目を向ければ、同じように坐った視線を返される。暫く睨み合ったすえ、諦めたようにマダムは目を伏せた。

『仕方ありません。本人同士で、語り合って頂きましょう』

「…をい」

 アンリにお構いなく、いつものように泉を見つけ、野宿の準備が始まる。

 今夜は外に居るよう言われたアンリがごねて、マダムが付き添う条件で妥協した。

 寝袋が気に入った女子組は、野外の食事に満足し、早々に馬車へ引き上げた。

 スカルも厩舎テントに収まり、焚き火の燃える音だけがする。

『ほんとうは、使いたくなかったのです。少々…その 危険が伴うかもしれませんので』

 遠慮がちに俯く白猫が白々しいと、アンリの視線が上を向いた。

「んで? どこまでが本気? 使いたくなかったところ? それとも危険? 」

『両方かと…』

 しれっと言い切るマダム。頭を抱えるアンリ。

 続く沈黙を、爆ぜて崩れた焚き火が破った。

「わかった。 やってみよう」

 吹っ切った調子のアンリに、驚いた白猫が顔を上げる。いや、マダムが。。

『宜しいのですか? あまり申し上げたくはございませんが…危険です』

「言うか、今? 決心が鈍るだろ! ったく もうぅ。 早くやってくれ。頼むから」

 タイミングを外せば、心が怯む。すでに後悔する自分が、やめたいと叫んでいる。

『では、横になって下さい。眠りの精霊に導かせましょう』

 言われるまま焚き火から離れた場所に寝転がり、毛布に包まる。

『宜しいですね。始めます【我が名により、闇の精霊に命ずる。彼方を此方へ誘え。彼の者らの残せし闇を現せ。彼方と此方を間合いの界に誘え。我、ブランティエの名の下に、求むる夢よ、集え】』

 瞬間、音もなく世界が揺れた。

 砕ける夜空が散り放たれて、アンリを飲み込む。

 星海に、落ちる。

 吐息を吐いて、意識が途切れた。


*****

 闇の中で、飛んでいる。

 探して、求めて、見つけられずにほぞを噛む。

 守りたい、救いたい。

 たとえ間に合わなくとも。

 たとえ叶わなくとも。

 側に、居たい。

 力の限り、魔力の限り、命を削ってでも、魂をすり減らしてでも、この腕に。。

 突き進む彼方に、微かな灯火が揺れた。

 求めて止まない気配が、する。

 消えゆく残滓を振り絞り、せめて、側に。。

 逝きたい。。行きたい。。

 渇望に突き動かされて、翔ぶ。

 揺らめく灯火が引き寄せる。

 四散していた命の欠片が、戻ってくる。

(お側に。 今 参ります。 陛下 )

 目前の灯火が膨張する。

 瞬く間に紅蓮の炎が渦巻いて、辺り一面を飲み込んだ。

( 女王 陛下。 騎士オリジン。御前に)

 逆巻く炎が収束した。

 紅蓮が黄に、青に。白から更に輝きが増し、眩いばかりの人型に変化した。

 求め続けた面影のまま、在りし日の女王が現れる。

 裾を引く細いシルエット。在るだけで全てを威圧する気配。

 片膝をつき、オリジンは騎士の礼をとった。

 

*****

(…これ ゆ め? )

 見上げれば蒼穹。

 見渡せば雲海。

 只中に佇む貴婦人と、低頭した騎士と、 守り立つ白竜。。

(竜? オリジン 女王って なに! )

 確かに、これは夢だと思う。そう納得して、アンリはひとまず落ち着こうとした。

 中空にいる主従の正体は、正確に理解できる。

 疑問すらおこらない。

 なぜなら、自分の見る夢だから。

(なんだよぅ リア充かよぅぅ)

 ためらいながら立ち上がり、畏れるように広げた腕に、女王が縋りつく。想いを抱きしめた騎士も、ふたりを懐に守る竜も、ゆるゆると溶け合わさって煌めく塊になった。

 アンリの内を絶え間なく苛んでいた焦燥感が、消える。

 ふうっと、深い吐息が漏れた。

(おわった )

 潰されそうだった心が、軽くなる。

 きつい拘束が解けて、安堵感に、もう一度深呼吸した。

( …は?)

 瞬いてすぐ、気づいた時には遅かった。

 溶けて高温に滾る塊が、目の前にある。

(うそ っ!)

 呑まれる刹那、アンリは音もなく叫んでいた。

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