第12話 欠食少女と 生まれた子竜
アンリの体感で一時間ほど駆けた頃、道の先に小さな森が現れた。
『あの森で、休みましょう。スカルが心配です』
速度を落として道を外れる。
あれからずっと、ユーリカはアンリにしがみ付いて離れない。
『【ブランティエの名において、安らかなる地へと繋げよ】』
森の木々が左右に分かれ、馬車を通した後に閉じてゆく。
暫く進むと前方が開け、草地に囲まれた泉が陽に煌めいていた。
『ここで良いでしょう。アンリは鞍を外して、世話をしてあげて下さい』
「うん、了解」
どうしても離れないユーリカは、水桶を運ぶアンリの上着を掴んで付いて回った。
おびただしい汗に塗れ、スカルの身体からは湯気が上がっている。
泉から汲み上げた水で布を絞り、丁寧に馬体を拭いていく。
「頑張ってくれて、ありがとう。凄く助かったよ、スカル」
返事をするように軽く鼻を鳴らしたスカルが、ユーリカの胸に頭をこすりつけた。
「…ありがと スカル。うん、大丈夫。 うん」
気遣う優しげな気配が、スカルから溢れてくる。
仔馬の頃から公爵家の家族に愛されてきた馬だ。
恐れで落ち着かないユーリカを、出来るいっぱい慰めている。
「ユーリ、ご褒美に砂糖の欠片をあげてくれる? 」
ほんの少し落ち着いたのを見計らって簡単な用事を振ると、怖かった記憶が遠のいたのか、馬車のほうへと走って行った。
「ありがとうスカル。これからも、ユーリカをよろしくな」
後ろ姿に安堵して、アンリは拭きあげた首を撫でた。
刻んだりんごを浅い桶に入れ、泉の側に置く。
馬車から出てきたユーリカに砂糖の欠片を貰ったスカルは、泉で喉を潤し、柔らかな草を食み出した。
「お腹すいたね、ユーリ。馬車に戻って、何か食べよう」
*****
転移の扉を塔の居間に繋ぎ、開け放った状態で軽食をとっていた。
馬車の後方扉の向こうには森と泉が見え、精霊たちと遊んでいるスカルが垣間見える。
『スカルは、あの子たちに任せておけば大丈夫です。それよりこの子ですが。アンリ、助けて下さって、ありがとうございました』
早食いのアンリは食後のお茶を味わって、ユーリカはまだ食事中だ。
「いや、あいつらから助け出せて、良かったよ」
テーブルの一角で、夢中になってポリッジを食べているのは、可哀想なほど痩せた少女だ。褐色の頬は痩けて、金茶の目の周りも落ち窪んでいる。
塔に送った時、精霊たちに世話をされて、今は清潔なワンピースを着ていた。ただ、泥や垢を落とした黒髪は適当に切られたのか、見ていて腹が立つほど不揃いだった。
ポリッジのカップを渡した時、食べてもいいのかと怯えていた。
よほど飢えていただろうに、自分からは手を出さなかった。
(…初めは、野生の獣かと思ったけど)
強烈な臭いを思い出して、思わずコーヒーを吹きそうになる。
(あいつら、反省しないだろうな。…って、生きているのかな? )
ほんの少し心配して、理不尽な奴らなんかどうでも良いと思い直した。それよりも、マダムが慌てて助けたこの子に、疑問が湧く。
「んで? この子、誰なの」
動きを止めたマダムと、暫く見つめ合う。
『…聴きたいですか? 』
見つめ合ったアンリは、ゆっくりと視線だけ外した。なんだか、聞くのが怖い。
「いや、簡単で良いです」
視線を戻した先で、マダムが器用に肩を竦める。意外と可愛い仕草だ。
『…この、ヘタレが』
どんなに小声で呟こうと、念話は聞こえるのだと言いたかった。
反応すればするだけ弄られる。堪えろとばかりに、笑顔を作る。
あからさまに鼻であしらって目線を上げる猫が、凄く憎たらしい。
『名前すら忘れられた亡国。草原の国の民です。今は幾つかの部族に別れ、遊牧民となって、オ・ロンの長城の向こう。ライグル領に居るはずですが』
ユーリカの家族が追いやられた、元チェストリー侯爵家の辺境領だ。
今は王家の直轄地で、派遣された軍の指揮官が政務を執っているらしい。
軍が取り締まる城塞都市オ・ロンは、遊牧民が長城を越えて南下する事を認めない。
本来なら遠く離れた王都の近郊に、草原の民が居るはずもないのだが。。
ようやく食事を終えたユーリカが、同じように食べ終わった少女に歩み寄っていく。
怯えて緊張した少女は、泣きそうな顔でユーリカを見上げた。
止めようと動きかけたアンリを、マダムが視線で抑える。
少女の側で立ち止まったユーリカは、そっと手を上げて不揃いな頭を撫でた。
「髪がとってもかわいそうなの。マダムに頼んで、お手当てしてもらいましょ? 」
ユーリカが触れた瞬間、固まって歯を食いしばった少女が、震えながら目を開く。
「わたし、ユーリなの。アンリとマダムと一緒に、旅を始めたの。あなたは? 」
言葉もなく見上げていた少女の喉が、小さく鳴った。
まん丸な目から、突然、ほろりと涙が溢れる。見る間に幾筋もの跡が頬を伝った。
『…アンリ』
「わかってる」
驚かせないように近づいて、アンリは包み込むように少女を抱え、頭を撫でた。
「大丈夫。 もう、終わったから。もう、誰も君を叩かないから。…大丈夫だ」
すすり泣きが大きくなり、しまいには悲鳴のような叫び声になる。
それでも少女の手は、縋り付くようにアンリの胸から離れなかった。
何度も大丈夫だと話しかけ、何度も泣きながら頷いて、やがてしゃくりあげるように息をついた少女が、アンリを振り仰ぎ、ユーリカに目を向ける。
「あ たし、じ な。 ジー ナ」
*****
夕方にはまだ早い。
手綱を繰りながら、アンリは乾燥果物を齧っていた。
昼食を済ませたユーリカとジーナは、馬車の二階でお昼寝だ。
あの後、綺麗に洗濯したジーナの持ち物を、精霊たちが持ってきてくれた。
殆どぼろ切れ状態の服と、紐の切れた守り袋だ。
細かな模様編みで仕上げた守り袋の紐は、すっかり色が抜けていた。
『…呪い紐でございますね。切れたおかげで、呪縛が解かれています』
「呪い紐って、なに? 」
爪で紐を突つきながら、念の為にとマダムは模様を切っている。
守り袋には、竜の文様が刻まれた魔石が三つ入っていた。大きさは、小指の爪くらいで、涙型だ。
『紐に仕込んだ模様は、魔力封じの陣です。おそらくジーナの魔力を封じて、逃亡を防いだのでしょう』
これが何を意味するのかは分からない。へたな想像は、必要ないと思う。
守り袋の魔石が何なのか、当然のことジーナは知らなかった。
新しい紐に取り替えて、なくさないよう首にかければ、見るからに緊張を解いた。
ジーナが落ち着くのを見計らって少しずつ話しを聞いたが、あまり収穫はなかった。
物心がつくかつかない内に拐われたジーナには、兄と姉がいたらしい。
拙い答えを返すジーナの話から、ずっと庇ってくれた兄姉が、いつの間にかいなくなった事が分かった。
残酷な仕打ちは考えたくないアンリだが、いないという事は、そういう事なのだろう。
ジーナの扱いから見て、逃げたとは思いたくない。
生まれ故郷や家族の記憶は、残念ながら残っていなかった。
あれから精霊たちに散髪をされて、男の子のように短くなったジーナの髪。
服装は、アンリと同じ短パンとブラウスを着たがった。
どこから見ても、完璧に欠食男児だ。
馬車の二階の狭い空間も、包み込む寝袋も、感情が不安定なジーナの恐怖心を抑えるのか、お昼寝はすっかり熟睡モードに移行していた。
マダムとの念話が途切れ、長閑な景色の移り変わりに、ついウトウトとアンリの瞼が落ちてくる。
「アンリー! たーいへん! 」
「のわぁっ」
ユーリカに飛びつかれ、のけぞった後頭部を背もたれに頭突きして、目が覚める。
「生まれるの! うまれるのぉ」
「な にが」
訳もわからずスカルを止め、大急ぎで上に向かう。梯子に足をかけて、上半身だけ二階に乗り出したアンリの目の前に、金色の鶏卵が転がってきた。
「…たまご? 」
片手で掴めるくらいの卵が、鼻先で左右に振れる。
コツコツと啄くような音もする。
よく見れば、殻に細かなヒビが走っていた。
「これって 」
なに? と、聞こうとした時、卵の上部が欠け落ちて、首をもたげた雛と目が合う。
「…ん? ひよこ」
卵白に塗れ、毛足も何も分からないが、雛にしては嘴が変だった。
『キュァ』
ジッと見つめていた雛が、大口を開けて鳴いた。
なんだか、金色の煙が見えたような。。
口の内側に、細かな歯列も見えた。かも。
「マダム。この世界の犬って、卵から生まれるの? 」
『…卵から、犬など生まれません』
アンリの横に登ってきたマダムが、床に着地して呆れたように首を振った。
「いや、おかしいでしょ。これって子犬っしょ。生まれたての子犬っしょ…あ、いや、子犬でしょ? 」
黄色がかった白い毛並みはぺしゃんこだが、ひしゃげた耳も、ボタンみたいな鼻も、つぶらな目も、子犬特有の愛くるしさだ。
(…め、目? )
獣眼と言って良い、縦長の金の光彩が目に飛び込んでくる。
子犬にしては、爬虫類がかった口元のライン。
両耳の間、頭部に煌めく二本の金の突起。
「マダム。小さな角が生えているような、幻覚が…」
呆れ返った猫が、頭を抱える。いや、マダムが。。
『アンリ。竜には角も、翼も、あって当然です』
なんだかびしょ濡れの子犬に見えるが、小刻みに震えるひよこ? を前にして、アンリは途方にくれた。
生まれたばかりの赤ん坊が、何の処置もせずに放置されるのは良くない、はず。
「マダム、どうしよう。俺、どうしていいか、わっかんねぇ」
賑やかに鳴く声を追えば、ユーリカとジーナの手のひらにも、一匹ずつ? いや一羽ずつ? それとも一頭ずつ? の物体が鳴いていた。
『ここに小竜がいるなど、理解の外です。けれども、とにかく、塔に帰りましょう。このままでは、風邪をひくかもしれません』
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