第10話 婚約指輪と 腹黒マダム?
子供だけと知って態度を一変させた店員に、アンリは軽く鼻を鳴らした。
できるだけ尊大に見えるよう、嘲笑を浮かべる。
「子供の使いだと侮るなら、後で痛い目に合うよ」
「何を… 」
恐れる様子も無いアンリに一瞬惚けた店員だが、苛立って声を荒げた。
「いいか小僧。あれは、由緒あるサントリナ公爵家ゆかりの品だ。紹介状も持たないガキに、おいそれと見せる物じゃない。とっとと帰れ」
追い払う仕草で手を振る店員に、アンリは大げさなため息を吐いた。
「愚かだな。あれは、サントリナのものじゃない。呪われた亡国の副葬品だ。死者の持ち物だって、知っていた? 」
「なっ! 」
思わず飾り窓に目を向けた店員は、指輪から立ち昇る濃い紫の煙に言葉を失った。
差し込む日差しの中で、うねる一筋の煙。まるで、奇怪な蛇のよう。
「騙されたね。呪いはサントリナから、あんたに移りそうだ」
弾かれたように視線を戻した店員が、アンリの胸倉を掴んだ途端、雷に打たれて崩れ落ちた。尻餅をついた形でアンリを見上げ、動かない身体で恐怖する。
「店長はいる? この店も損しちゃ気の毒だし。あれを買い取った値段で譲ってもらいたい。封印しなきゃね 祟るんだ」
痙攣しそうに肩で息をついていた店員がひどく咳き込んだ後、引き攣った声を上げた。
「わ わたしが、店長 だ。買い取り 頼む」
マダムの指示で風の精霊に取り込まれた男は、薄くなった空気に顔色が悪い。
「良いとも、きちんと封じておくよ。御宅も気味の悪い噂なんて困るだろうから、この件は黙っておく。それで いいよね? 」
首振り人形の言い値を、へたり込んだ足の間に置き、アンリは飾り窓の指輪をハンカチで摘み上げた。
「じゃあ、貰って行くね。 お大事に」
後も見ずに大通りへ出たアンリは、ユーリカの手を引いて駆け出した。
「あいつが正気に戻る前に、ここを離れよう」
既に荷物が積み込まれた馬車は、誘導員が警護して待機していた。
お礼に銅貨一枚を握らせて馬車を出す。
中央門を越えて王都から出れば、後は大丈夫なはずだ。
『急がずとも宜しゅうございます。今暫く、風の精霊に相手をさせましょう』
見かけの白さを欺くマダムの腹黒さに、苦笑しか浮かばない。
「呪いだなんて、ハッタリも良いとこだ。笑い出しそうで、困った」
アンリの言葉に、マダムが斜め上を見上げる。
釣られてユーリカも、同じ方を見た。
同じく見上げようとしたアンリだが、また揶揄われそうな気がして動きを止める。
『… チッ』
(舌打ちかよっ。…精霊? が舌打ちって アリか)
念話で器用な真似をする。
指摘すれば揚げ足を取られそうで、アンリはぐっと我慢した。
『ハッタリではございませんよ。ある意味、精霊にとっては呪いに違いありません』
ギョッとするアンリに視線をずらし、マダムは目を細めた。
『卑怯な手段で精霊を縛り、対価も与えずに永遠の結界を張らせるなど、まさに呪いでございましょう? 』
聞けば重そうな話しだろうと察して、気まずい顔でアンリは目を逸らす。きっと、精霊の言い分は正しい。
むかつく公爵子息の態度も、店主や受付嬢の仕打ちも、腐りすぎた王国の現れだ。
それでも今は聞かないと決めて、アンリはなんとも言えない空気に口を噤んだ。
『…失礼を致しました』
本気で謝っているのかいないのか、何に対しての謝罪なのか。
よく分からないマダムの調子に、翻弄されるばかりだった。
「あ、ユーリ。これを」
ポケットから取り出した指輪を、ユーリカに差し出す。
「お母さんのだろ? 鍵の鎖に通しておけば、無くさないんじゃないか? 」
「ありがとう、アンリ」
胸元から取り出したユーリカの鍵に目をやり、鍵と一緒に手に入れた赤い石を思い出した。それが指輪の石と同じ色に思える。
(あれ? 同じ石? )
似ているみたいだと言いかけて、アンリは慌てて口を押さえた。
重たい話しに繋がっていそうで、聞くのが怖い。
既に関わっているのだろうが、必要に迫られるまで避けていたかった。
『何か、ご質問でも? 』
マダムの勘が良いのか、こちらの思考を読んでいるのか。
深く考えれば恐ろしい。
「いや、なんでもない」
馬車は無口になった一人と天真爛漫な幼女、腹黒子猫一匹を乗せ、穀倉地帯を抜けつつあった。何の妨害もなく、順調に復路を行く。
「ね、アンリ。いつ旅に出るの? 明日? 」
「…そうだね。マダムに判断してもらおうかな? 」
見た目が幼くなっただけでなく、ユーリカは中身も幼女にかえったみたいだと、半ば呆れ気味に首を傾げる。
甘やかされて育っていても、初めて会った日には大人びたしっかり者だったはず。
アンリの中には、ユーリカの記憶はない。
自分の前世も、名前と朧な知識の欠片があるだけだ。
今のユーリカが素の状態なのか、肉体に引かれて幼児化しているのか判断できない。
(良くいって、五才か六才ってところか。俺だって、精神的に子供返りしてる気がする。…仕方ないのかなぁ )
これからの旅が、不安になってきた。
小生意気な子供と天然幼女の二人連れは、無事に目的地まで行き着けるのかと、他人事のように思った。
*****
『この経路を辿って行くのが、最短距離かと思われます』
塔の居間で地図を広げ、マダムは主要街道から外れた間道を尻尾で示した。
リンデン王国の首都から北は、広大な穀倉地帯で占められている。
穀倉地帯の半分は王家の直轄地で、北側の半分が旧フェンネル公爵家の領地だった。
今は旧公爵家の領地を二分割し、王都寄りの土地は侯爵位を賜ったチェスチリー家に、北寄りの土地はサントリナ公爵家に下賜されている。
北に向かう主要街道は、穀倉地帯を分ける各領地を網羅しているので、大きく湾曲して北に伸びていた。
それとは別に、主要街道から分かれた間道のひとつが、目的地に至る長城都市オ・ロンへ直接つながっている。
幾つかの城砦都市を経由するものの、主要街道を行くより距離は短縮できる。
王家直轄の穀倉地帯を掠めて西に向かう間道は、草原地帯を北へ縦断していた。
なだらかに標高が高くなる草原地帯は乾燥し、あまり樹木の育成には適さない。
長城都市周辺一帯は、丈の短い草原と剥き出しの岩場が続く荒地だった。
『元の領主チェストリー家は、随分と経済的に困窮していた様子です』
何代か前の国王が領土拡大を目論んで、隣接する草原の国を滅ぼし奪い取った。
主要な穀倉地帯にしようと占拠したのは良いが、事前調査があまりにも杜撰だった上、人為的な不備も祟って、無駄な侵略に終わっている。
気候も土壌も穀物の生育には適さず、水の確保も難しい土地だった。
利を産まない土地なうえ、遊牧民となった草原の国の民が我が物顔で居着き、開墾もままならない領地。
武勲を上げた貴族を適当に選び、褒美として下賜する以外にない土地だ。
そこを授与され、貧乏くじを引かされた侯爵家がチェストリー家だ。
元々王都の郊外で小さな領を任されていた子爵家が、敵の襲撃から王太子を守った功績で特別に侯爵位を授与され、位階にふさわしい土地として占領地を賜ったが、内情は高位貴族に辞退された問題の土地だったというオチだ。
何代にも渡って負債を生み続ける領地に、チェストリー家は困窮の一途を辿っていた。
『チェストリーは、毎回王族を守って昇格していますね。今回は、貧乏くじを引かなかったようで。 忌々しい限りです』
マダムの声のトーンが下がる。
今回、フェンネル家が冤罪を問われ降格した折に、凶刃から王女を守った功績で、フェンネル家の豊かな領地の一部を、チェストリー家は譲渡された。
『王女付きの侍女が、チェストリー家の娘だったとは、ご都合主義です』
おどろおどろしい地声が聞こえそうで、アンリは両腕を摩った。
寒くはない室内が、寒い。
『間道を辿り、草原地帯に入ってしまえば、面倒くさい検問のある主要街道と、出入りの厳しい衛星都市を通らなくとも、オ・ロンまで行けますね』
一通り簡単に説明して、マダムはクッションへ移動した。
テーブルの端に置いたそれは、繊細な刺繍を施した白サテンのクッションだ。
マダムが乗ると一体化して、居るのか居ないのか分かり辛い。
(顔を洗えば。 招き猫だな。 うん、気まぐれなところも猫だな)
毛繕いするマダムを見ながら、失礼な想像をするアンリだ。
綺麗になった髭に満足して、マダムは話しを続ける。
『馬車の扉で転移の鍵を使えば、自由にここへ帰れますので、当面は生活に支障はないかと考えます。北への距離を稼いで頂くだけで、充分かと』
塔で食料や必需品の確保さえできれば、旅に不自由はないだろう。
転移の鍵は、訪れたことのある場所にだけ、転移の道を繋ぐ。
一気にラグーン領まで繋がらないのは、仕方がなかった。
「なら、明日にでも出発できるんだ」
何気なく口にしたアンリの言葉に、ユーリカが反応した。
「たいへん。急がなくっちゃ」
慌てて飛び出して行く背中を見送って、アンリは片手で顔を覆う。
(なんで そうなる? )
『…では、出立の準備を致します』
マダムの指図で、姦しい精霊たちが更に賑やかになった。
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