第9話 旅の支度と 公爵令息

 くたくたに疲れて眠った翌日。

 ふたりは筋肉痛に悲鳴を上げながら、地上階まで降りて行った。

 既に厩舎では、精霊たちに世話をされたスカルが、馬場を駆けて遊んでいた。

 昨日の今日だが、なんとはなしに元気になった様子だ。

 柵の側まで来たアンリとユーリカに気付いて、飛ぶように走ってくる。

「ストップ! ダメだって! もうぅ」

 筋肉痛で素早く動けないアンリを捕まえて、スカルは機嫌よく髪を食みだした。

「毛が抜ける、ハゲになる、やーめーてー」

 昨日、髪を食むのは愛情表現だと聞いたアンリは、怒るに怒れなくて仏頂面だ。

「おまえ、ユーリの方が主人だろ。何で俺なんだよ」

 ぶつぶつ言いながらも邪険に扱わず、なんとなく嬉しそうな様子のアンリに、スカルも存分に甘えていた。

「アンリの髪って、美味しいのかしら」

「…んなわけねぇだろ」

 天然気味のユーリカに、思わずツッコミを入れる。

「でも、わたくしの髪は食べてくれないのよ? 」

 綺麗に編んだ髪は艶やかで、動く度に尻尾のように揺れている。

「馬のクセに、空気読むってか? 」

「くうき? 読む? 」

「…勘弁してくれ」

 ため息したアンリに水桶とタオルを渡した精霊たちが、スカルを馬車に繋ぐ。

『スカルも満足した事ですし、そろそろ旅の雑貨を買いに行きましょう。必要なものは塔の中にもございますが、気に入った物を揃えて下さい。昨日の街道に門を開きます』

 薔薇苑へ続く石畳に、巨大な門が立ち上がった。

『御者の練習も、致しましょう』

 昨日の道を逆に辿って、涼しい空気の中を駆ける。

 山の中腹には堅牢な城があり、王都を囲む壁と黄金色の穀倉地帯が一枚の絵に見えた。

 幾つかの商隊に混じって、支障なく王者の門を潜る。

 今日も最高の天気で、王都は賑わっていた。

「ユーリは、何を揃えたい? 」

 必ず聞いて貰えるのが嬉しいのか、ユーリカの機嫌も最高潮だ。

「絵本の馬車には、寝袋という寝具があったの。後はお花の模様のティーセット」

「それなら大通りへ出て、先に見つけた店から回ろう」

 馬車道をゆっくり流しながら、目当ての店を探す。

 アンリの肩で、マダムは襟に爪を立ててバランスを取っている。

 あちこち見回し、ワクワクした尻尾が、忙しなくアンリの背中を叩いていた。

「雑貨屋見っけ」

 童話に出てくる魔女の小屋みたいだと思いながら、アンリは雑貨屋の車寄せに馬車を留めた。甘えるスカルを撫でてやり、店の扉を押す。

 期待通り甘い雰囲気の店内には、ユーリカが好みそうな雑貨が積み上がっていた。

「あ、この絵本です。 懐かしい」

 丸いフォルムの柔らかなタッチで描かれた表紙には、仲が良さげな兄妹がいた。

 ふたりで可愛い幌馬車に乗り、国中を旅する話しだとユーリカは目をキラキラさせる。

 次々と違う品物に目移りするユーリカから離れて、アンリはこっそり絵本を購入した。

『好ましい殿方に、成長なさいました』

「…まぁな」

 マダムに褒められるのが気恥ずかしくて、そっけない返事を返す。

 店員の勧めで、ユーリカは割れにくいクローバー柄のマグカップと深皿を選んで、木のスプーンを添えた。お揃いの柄でリネンも追加し、気に入った食器に満足して、雑貨の買い物を終了した。

 アンリは飾り気のないマグカップと深皿を選び、後はユーリカの品に合わせる。

 極端な違いが出ないよう、なおかつ大人っぽいものを選んでいる。

「旅行用の寝具でしたら、通りを右に三区画越えた場所にございますよ」

 会計の際に寝具店の場所を聞き、ふたりは混み始めた街路に馬車を進めた。

 手綱捌きは拙いが、なんとなく伝わる意思に従って、スカルは速度を調整してくれる。

 御者席が無人でも行先さえ指示すれば、無事に行き着けそうなほど優秀な馬だ。

「へぇ、隣に宝石店がある。この区画は高級店が並んでいるのかな? 」

 広めの馬車寄せを挟んで、寝具店と宝石店が並んでいた。

 制服を纏った店員が、ふたつの店へ行く客を、それぞれの停車場まで案内している。

 傷だらけのスカルを見て一瞬表情を変えた店員だが、寝具店へ行くと告げると、丁寧な動作で奥の区画へ誘導してくれた。

 馬車から降りたユーリカが、突然息を飲んで立ち止まった。

 視線の先には豪華な馬車があり、扉に描かれた紋章で貴族の持ち物だと知れた。

「知っている家紋か? 」

 小声で聞いた問いに、ユーリカが頷く。それと同時に御者が開いた扉から、貴族の青年が降りてきた。

 素早くマダムが、アンリの内ポケットに潜り込む。

 固まるユーリカを咄嗟に背後へ庇い、アンリは頭を垂れた。

 良くわからないが、貴族との関わりは避けたい。

 目の端で盗み見た端正な顔には、傲慢な笑みが浮かんでいた。

 目を引くほど硬質で艶やかな黄金の髪が、陽の光を反射する。なんとなく覚えていた。

(嫌な奴)と、アンリは心の中で吐き捨てた。無性に気にくわない。

 通り過ぎようとした青年が、目の前で立ち止まった。

「スカル? 」

 弾かれたように顔を上げたアンリなど目に入れず、青年の手が馬に伸びる。

 途端に嘶き、スカルは足を踏み鳴らした。

「すみません。俺の馬に、何か御用ですか? 」

 口を開いてから、マズい事になったと思う。

 貴族の許しがないのに、対等な質問をしてしまった。

「おまえの、だと? 」

 不興をかっても、ここはキッパリした態度でいようと直感で思った。

 スカルとユーリカを背に庇って、アンリは真っ直ぐに青年を見上げる。

 睨みつける青年の目元が、醜く歪んだ。

「無礼な! 」

 顔に衝撃を受け、気がつけば、アンリはスカルの足元に倒れていた。

 しがみ付いてくるユーリカの背を、しっかり抱きとめる。

 威嚇するように首を振るスカルに驚いて、従者らしき男が青年を庇った。

「なりません、若さま。人目が…」

 気づけば、誘導の店員や立ち止まった人々が、批判的な視線を向けていた。

 貴族とはいえ、子供に暴力を振るうようでは品性が劣る。

「まぁ、良い。無礼は見逃してやる」

 もう一度スカルを忌々しげに見やり、従者を従えた青年は宝石店に消えた。

「痛っ。あんちくしょう、子供相手に マジかよ」

 アンリの襟元から顔を出し、マダムは治癒術を使いながら殴られた頬を舐めた。

 目立つほど回復させては、怪しまれる。

 痛みを緩和させたところで、赤く腫れた頬がやや小さくなった。

「あの時のあいつ、だよな。思い切り殴りやがった」

「…アレン・サントリナ 公爵家の跡継ぎ」

 しがみ付いたままつぶやくユーリカに、やはり元婚約者だと納得し、朧な記憶で顔を思い出す。

 まだ震えている背中を、アンリは優しく撫でた。

「大丈夫だ。もう終わったから。寝袋、見に行こう? 絵本みたいに、旅に出よう」

 心配そうに鼻面を押し付けてくるスカルの顎も、丁寧に撫でてやる。

 ようやく落ち着いたユーリカの手を引いて、アンリは寝具店に向かった。

 一部始終を見ていた誘導係りの店員が、気遣って扉を開けてくれる。

 寝具全般を扱う店は、大層な高級店だった。

 色々な寝袋を出してもらい、触り心地から程良い厚みまで感触を確かめる。

 通気性と保温性を魔石で調節するような、優れものまで揃っていた。

 もちろん魔石を使った便利機能付きで、極上の羽毛仕立ての寝袋を選ぶ。

 専用のシーツと枕も合わせて、天蓋付きの寝台が買えるくらいの代金を支払った。

 停車場でのいざこざを思い出して怯えるユーリカを、背中にくっ付けて外に出る。

 停車場は閑散としていて、少し肩の力が抜けた。

 見渡しても、公爵家の目立つ馬車はいなかった。

 荷物を運んでもらう間に、宝石店の飾り窓を覗いてみる。

 魔石の照明器具で照らされた窓の中には、ビロードの台に飾られた宝石が並んでいた。

「! 母さまの 結婚指輪…」

 飾り棚のほぼ中央に、透明度の高い深紅の魔石が填まった指輪があった。

 丸い曲線のシンプルな指輪だ。

 それ程大きくはない石だが、輝きが他とは違っていた。

『買いましょう、アンリ。あれは、フェンネル家の家宝です』

 肩の上で乗り出したマダムが、忙しなく動く。

「分かった」

 ユーリカを扉の外に待たせ、すぐさま宝石店に入る。

『精霊を使います。わたくしの言う通りに、交渉してください』

 内ポケットにいるマダムの指図通り、低い陳列棚を見ながら奥へ行く。

 店内は格式張った造りだが、妙に落ち着かない雰囲気がした。

 どこを見ても成金趣味が浸透し、どぎつい調度品で溢れている。

「ようこそいらっしゃいました。何か、お探しで? 」

 ねっとりした喋りかたで対応したのは、見るからに素行の悪そうな店員だ。

 執事が着るような上下の服に、不似合いな大ぶりの指輪を嵌めていた。

「飾り窓の指輪を、見せて欲しい」

 アンリの背後を確認するように視線を走らせて、店員は軽くため息を落とした。

「坊ちゃん。ここは、子供の遊び場じゃぁないんだ。買いたけりゃ、金持ちの大人を連れてきな。痛い目をみないうちに、帰るんだな」

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