第8話 旅の支度と 軍馬スカル

 街道に直結した王者の門は、王都全体を囲む街壁の南側にあった。

 馬車溜まりを含む王者の門の広場に面した大通りは、頻繁に商隊が行き来し、替え馬屋から貸し馬車屋、荷物預かり所までが連なり、賑わいに揺れていた。

 大小の酒場と旅の雑貨屋、有名どころの薬屋がある通りを渡れば、複雑に入り組んだ安宿から、豪華さの目立つ高級宿までが立ち並んでいる。

 老舗の宿を区切る路地ごとに、どぎつい看板が奥へと誘い、いかがわしさ満載の宿があると宣伝していた。

 真昼の王都は雑多でけたたましく、陽気な景色の奥に闇が潜む。

 いまは夜の顔を追いやって、至極華やかだった。

『はい、真っ直ぐで正解です。有益な店はここだと、精霊が申しております』

 アンリの肩の上でマダムが指示を出し、比較的広い道をふたりは手を繋いで行く。

 近づく不審者は見えない何かに弾かれて、勝手に遠くで転げ回った。

 目当ての馬商人の店が、突き当りに見えてくる。

 門前の一等地から外れた袋小路は、開けた馬場を背負った厩舎の入り口だ。

 馬車も扱っているようで、店舗は広い。

「あ、絵本の馬車」

 立ち止まるユーリカに引かれ、アンリも足を止めた。

 目の前に、大きな玩具のような幌馬車がある。

 馬車の前後に取り付けた扉の上部は半円で、縁は白い。

 後部の昇降階段も、角のない丸く柔らかなフォルムだ。

 扉の上部に色硝子の格子窓を配置し、明かり取りも考慮されている。

 幌を固定する台座の横板は木目のままだが、四隅は白く塗られ、ベンチタイプの御者台の上に板屋根が張り出して、御者台の周りは低い板囲いが張られていた。

 風は無理としても、少々の雨なら濡れないだろう。

 板で囲った御者台は、背面の一部を横にスライドし、出入りする仕様だった。

 蓋のない木箱を嵌め込んだような、しっかりした造りになっている。

 御者台と馬車の間は、本体の扉が開く幅で空間があり、両脇から昇降できるように、角を丸く削った階段が二段ついている。

 なんとなく、窓ガラスがないトレーラーの牽引車を連想した。ならば御者台と言うよりは、御者席と言ったほうがしっくりくる。

「客人、気に入ったのか? 」

 夢中になっているユーリカと、見守っているアンリの横から、野太い声がした。

 大工の前掛けをしたゴツい男に、ユーリカはアンリを盾にする。

「あ、妹が気に入ったみたいで。勝手にすみません」

「構わんさ。中も見るかい? 」

 強面の笑顔はそれなりに不気味だが、不思議と怖くはなかった。

「俺はガッシュ。馬車大工のガッシュだ。よろしくな、嬢ちゃん」

 アンリの脇の下から無言で頷くユーリカに、ガッシュは苦笑いを零す。

「俺はアンリ。妹はユーリ。人見知りで、ごめんなさい」

 代わりに謝るアンリを、ガッシュは気に入ったようだ。

「構わねぇさ。妹ってのは、大概そんなもんだ。 来な」

 誘われるままに覗いた幌馬車の中は、意外にもしっかりした木の壁で囲われていた。

「外から見れば幌馬車だが、中はしっかり箱馬車の造りにしている。上を見れば、なんでこんな造りにしたか、納得できるだろう」

 御者席へ出る前扉の横に、作り付けの梯子がある。登ると、細長い空間が空いていた。

 緩い曲線を描く天井板のせいか、閉塞感は少ない。

「寝室に使えるね。トンネルみたいだ」

「とんね? なんだって? 」

 アンリの呟きを拾って、ガッシュが聞き返す。

「ごめんなさい、あんまり意味の無い事を言った」

 幅広の箱に、それより幅の狭い箱を重ね、蹄鉄型の骨組みで仕上げた屋根は、幌を被せるのに最適な形だと、ガッシュは自慢する。

「幌と本体の間に空けた隙間を、開閉できるようにした。暑さや寒さが多少和らぐ」

 物造りに燃える職人の工夫が、対価に反映していないよう願うばかりだ。

 一階の壁に引き上げ式の窓があり、幌との間があるぶん夏の直射日光を遮る。

 椅子代わりの棚も両サイドに配置されて、狭いが寝床の代わりにもなりそうだった。

「アンリ、絵本の馬車なの」

 おねだりなのか、見上げるユーリカは可愛い。ガッシュも笑顔を深くする。

「気に入ったの? 」

 アンリに頷き返す顔が、心配そうだ。

「って事で、ガッシュさんは、お安くしてくれるんでしょ? 俺たち子供だし」

 あんぐりと見返すガッシュに、ユーリカが満面の笑みになる。

「お安く」

 口真似するユーリカに、渋い顔のガッシュが力任せに頭を掻いた。

「俺の改良作なんだが。あんまり期待するなよ」

 目の前に節くれだった両手の指を、八本立てた。

「金貨八十だ。他の客なら両手だな」

 暫く考えて、アンリは頷いた。

「馬も欲しいけど、高い? 」

 値切らないアンリに肩透かしを食らい、唖然とするガッシュに畳み掛ける。

「まぁ、選り好みをしないなら、付けてやらんでもないが」

 手招きに従って、隣の厩舎について行く。

 干し草の新しい匂いに混じって、嗅ぎ慣れない獣臭がした。

 綺麗に区切った馬房に、一頭ずつ馬が入っている。

 どれも逞しい体躯をしている馬は、ゆったり飼い葉を食んだり、顔を覗き込むように突き出したり、知らない人間に興奮したり、忙しい。

「こいつなら、無料で馬車につけてやる。まだ若いし、大人しいぞ」

 指差した奥の馬房には、彫像のように立つ赤茶色の大きな馬がいた。

 ただ、無数に傷を負った軍馬だったが。。

「! スカル なの? 」

 ユーリカの呼びかけに、微動だにしなかった馬が動いた。

 差し出した華奢な指にこめかみを押し付けて、明らかに甘えてくる。

「どうして? こんな傷だらけになって。 みんなは? 」

 いけない言葉を口走りそうなユーリカの肩を、アンリは急いで引き寄せた。

 抗議するように鼻を鳴らす馬から、一歩後退る。

「ありがと、ガッシュ。いい馬だね。俺が貰っていいの? 」

 いつもと違う反応の馬を訝しんだのか、ふたりを見るガッシュは戸惑っていた。

「ありがとう、ガッシュさん」

 ずっとアンリの影から出なかったユーリカが、祈る姿勢で前に出た。

 明らかに動揺したガッシュの、目が泳ぐ。

「いや、見てくれがな。傷だらけなもんで、誰も欲しがらなくてな。前の持ち主に懐かなくて、そのぉ、こうなったそうだ。大人しい奴でな、可愛がってくれるなら俺も嬉しい」

 しどろもどろのガッシュ。美少女の笑顔は無敵らしい。

「前の持ち主って、だれ? 俺たちも知っている人かな」

 不味い事を聞いたらしく、ガッシュは思わずといった様子で顔を顰める。

 それでも人の良い苦笑いを浮かべて、軽く肩を竦めた。

「誰にも言うなよ。元々の持ち主は、フェンネル公爵様だ。何でも王宮で不味い事になって、持ち主がサントリナ公爵様に移ったらしいが、どうしても御子息様を乗せなくてな。屈服させるのに躾けて、この有様だ。けど、結局言う事を聞かなくて、出入りの馬商人から、俺の所に流れて来たわけだ。まぁ、王都でいわく付きの馬は、だいたい俺の店に来るからな。本当に、初めて見たときは驚いたぜ。随分と酷い事をすると思った。こんなに大人しいのに、何で懐かなかったのかね」

 傷だらけの馬を見るガッシュの目は、優しい。

「フェンネル公爵様って、どうなったの? 王宮で不味い事って、もしかして追放? 」

 ガッシュの穏やかな顔が、瞬時に険悪になる。これ以上は答えたくないと、気配まで厳しくなった。

「北に領地替えしたらしいが、詳しい事なんて、平民の俺たちが知るもんか。てめぇが可愛いなら、興味本位で詮索するな。これ以上首を突っ込んだら、あぶねぇぞ」

 庶民も疑問視するような、あぶない噂があるらしい。

「なぁ、最後に一つだけ。北って、どこの領地に行ったの? 」

 アンリはウエストバックから、白金貨を出した。

 一枚取り出して、強引に渡す。金貨で百枚分だ。

「好奇心は、これっきりにするから」

 ガッシュが言い渋るように、元公爵家に関わる事が禁忌なら、ここまで聞くのが精一杯かもしれない。

「…長城オ・ロンを越えた先。 元チェストリー侯爵家の領地だった、ライグル領だ」

 

*****

 地平に陽は傾き、朱色や金色に染まる景色が美しい中、馬車は街道をひた走る。

 機嫌良く牽引するスカルの背で、マダムは器用にバランスを取っていた。

 御者席に並んで座るふたりは、手綱を持っているだけだ。

 スカルに指示を出すのはマダムで、格好だけアンリが御者をしている。

 あの後、旅に出るまで預かって欲しいと交渉したが、機嫌を損ねたガッシュに追い出された。ただし「困った時には訪ねて来い」と、明後日の方向に言っていた。

「素直じゃないね」と言うアンリに「やかましい、クソガキ」と、返していたが。。

 夕方の混雑する王都で、馬車を駆るのは難しい。雑貨の買い出しを明日に回し、幽閉塔に帰れる場所を探して街道を進む。

 初めて作った身分証で、初めて門を出て馬車を走らせる。

『廃棄離宮の方へ行ってみましょう。手前の森に入れば、人目も無いでしょうし』

 王都から離れるに従って、穀倉地帯の村が疎らになってゆく。

 道の舗装も雑になり、大きく馬車が跳ね始めた。

 無人らしい家屋を行き過ぎ、点々と散らばる廃屋の幾つかを見送れば、急に緑が増え、王都の近辺では珍しい森の中に入った。

 石畳は剥がれて、振動と騒音が酷い。

『ここで良いでしょう。【ブランティエの名に於いて、森の精霊に命ずる。彼方への道を開きなさい】』

 歩みを止めずに命じた途端、揺らいだ前方に巨大な門が現れ、速やかに開いてゆく。

『さぁ、我が家へ帰りましょう』 

 潜り抜けた巨大な門は、王都の中央門より壮麗だった。

 無事に抜けた先には、見覚えのある薔薇苑が広がっている。

 滑らかな石畳の上を塔に沿って裏手へ回ると、芝生に囲まれた厩舎の前へ出た。

 その後ろには、柵で囲った馬場もある。

『馬具を外して休ませてあげましょう。ここは癒しの空間ですから、ある程度の傷は消えますが、さすがに古傷は難しいでしょうね』

 馬車から降りる頃には、集まってきた精霊たちが世話を始めていた。

 ユーリカは、確かめるようにスカルの傷をなぞる。

 アンリはマダムの指示で馬体を洗い、丁寧に拭ってやった。

『意志の疎通ができるように、魔道具を出しましょう。スカルは、あなた方に懐いているようですから』

 塔から戻ってきた精霊が、ふたりに精霊石の付いたバングルを持ってきた。

 濃い翠の精霊石からは、強い力が感じられる。

『風の精霊石です。思いの波を伝えてくれるものです』

 指幅一本ほどの平たい金属に、蔦模様の精霊陣が走る。

「携帯みたいなものか? 」

 アンリの不思議発言に慣れたのか、誰も反応しなくなっていた。

 手首にはめた途端、暖かくて包むような気配が伝わってくる。

「スカル」

 急に髪を食べ始めた馬に、硬直するアンリ。

 その足元で、子猫マダムが転げまわっていた。どうやら、笑い転げているらしい。

『愛されていますね、アンリ。充分に、相手をしてあげて下さい』

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