第7話 王都の役所で 精霊鑑定
右手に広がる露店広場は、規則正しく並ぶ屋台で、埋め尽くされていた。
色取り取りに飾りつけた天幕の間を、買い出しの人々が移動している。
『このまま通りを参りましょう。下位教会の隣りが各種ギルドの役所で、その横が移住市民の戸籍所です』
引っかかる物言いに、アンリは首を傾げる。
『王都生まれでない市民の事を、移住市民と呼ぶのです。五代遡っても王都の生まれではない者たちを、移住市民と呼びます。王都の東区全体が、移住市民の居住地区です。ちなみに生粋の王都生まれの市民は、都民と呼ばれていますし、都民の戸籍所は南中央広場の役所の一角にございます。都民の役所に隣接する教会も、中央の上位教会です』
「それなのに、貴族街の通用門は東区にあるんだな」
茶化したアンリに、マダムは鼻で笑ってから姿勢を直した。
『無作法を失礼致しました。東区の貴族街は、辺境の領地持ちと下位貴族でございます。王城勤めの中位貴族や高位の貴族は、もちろん南中央の広場に通用門がございます』
生まれた場所が人生のすべてだとか、理不尽な環境にアンリは眉をひそめる。
「とことん身分制度な世界なんだな。 …って事は、奴隷とかもいるの? 」
急にキラキラしだしたアンリを見つめ、マダムの雰囲気が剣呑になる。
『居りますが、なにか。…あぁ、戸籍の説明をしておりましたね。もちろん、奴隷に戸籍はございません。それに、寒村では、生まれた時より戸籍を持たない者も居りますし、借金や犯罪で戸籍を剥奪抹消される者も居ります。それは、王国の常識…とでも申しましょうか』
マダムの冷えびえする視線に、繋いだユーリカの手が震える。
「アンリ、変」
変なのはマダムのほうだと言いかけて、アンリは目を泳がせた。
(地雷 踏み抜いた? )
マダムの爪が肩に食い込み、言葉に詰まる。
『人族の奴隷に関する常識を、わたくしは良しと致しません』
いつに無く硬い念話が怖い。
「そうだよな、人権は大切ダ ヨ」
『はい、当然でございます』
会話が途切れ、黙々と歩くのが辛くなってくる。
沈黙が重たい。
背後から来た大型の馬車がすぐ先で止まるのを、なんとなく立ち止まって眺める。
上等とは言い難い古い箱馬車だ。
御者が歩道に降り、建物の硝子扉を開けて中に声をかけた。
しばらくして、厳つい男たちが出迎えるように列を成す。
ちょうど馬車から建物の入り口まで、人垣で通路をつくる形だ。
派手な建物は、酒場か、劇場か。。
入り口の真上に、ひときわ目立つ看板が掛かっていた。
「月の灯…」
抽象的な新月の中に、踊る少女のシルエット。
何の店かとマダムに聞こうとして、アンリは固まった。
開いた馬車の扉から、降りようとする少女の横顔が現れた。
男たちの頭越しに周りを見渡す表情が、感情を堪えて精一杯の矜持を溜めている。
目が合った瞬間、変化した表情が何だったのか、理解が追いつかない。
馬車の踏み台を降りて行く少女は、男たちの背中に遮られた。
次々と馬車を降りては、少女たちが男の背中で見えなくなる。
『冬でございます。おそらく寒村から保護されてきた、戸籍の無い者たちでしょう』
「は? 」
間抜けな声が出た。
見上げるユーリカも、理解できずに惚けている。
『辺境の寒村では、冬を乗り切る為に子供を間引く悪習がございますから、闇に消えるはずの命は、僅かながら救われているのでしょう。出生証明書を発行する治癒士も、寒村にはおりません。毎年幼い者たちのうち、どれ程の人数消えていることか。…王都には、国の認可を受けた養子縁組の仲介組織がございます。食糧難に喘ぐ寒村を救う為、国が打ち出した公共事業と銘打っておりますが、実体の程は分かりません。仲介組織は食料と引き換えに、飢える農家から出生証明書を持たない子供を保護し、養子縁組をしています』
割り切れない感情に、何かがつかえて気持ち悪いと、アンリは顔をしかめた。
『営利目的ではございませんので、利益は見込めません。裏で何と繋がっているのやら』
言葉にしない言葉が、奴隷商人と囁く。
『わたくしたちには、どうしようも……参りましょう』
厳つい人垣が建物に吸い込まれ、箱馬車が通りの角を曲がって消える。
理不尽さに苛立ち、気分が悪くなったアンリの手を、ユーリカはそっと引っ張った。
「アンリ、行こう」
一年前の理不尽を思い出して表情を消したふたりは、また歩き始めた。
『あれが下位教会です』
人並みの向こう正面に見えるのは、高い鉄柵で囲まれた優美な建物だった。
アンリの想像通りにきらびやかな教会が、良くないイメージを強くさせる。
「教会って、やっぱり孤児院なんかもあるのかな」
あまりに壮大すぎて、かえって孤児の悲惨な情景が思い浮かぶ。
『教会には、大抵孤児院が併設されておりますよ。 …あ、たぶんあの屋台が、孤児院の露店ではないかと思われます』
色取り取りな露店の中にあって、随分と質素な屋台だった。
長机に生成りの布を広げ、籠に入れた焼き菓子を子供が量り売りしている。
『孤児のほとんどは、出生証明書を持ちません。縁故で仕事を望めない分、幼い頃から何がしかの労働に従事して、実績を積むようです』
「それじゃあ、戸籍を貰えないんじゃないか? 」
手のひらくらいのビスケットを買うのは、平民の主婦が多い。
見ている限り、寄進の意味合いが強そうだった。
『孤児院の出身者は、世話になった教会の院籍を貰います。最低限の、市民の戸籍でございます。稀に出生地が判明する孤児もいて、運良く精霊鑑定を受ける事ができましたら、平民の戸籍を取れるようですが…』
マダムが稀だと言うなら、本当に奇跡に近い確率なのだろう。
ユーリカたちが訪れようとしている場所こそ、精霊鑑定の窓口だったりする。
鑑定料と登録料に銀貨一枚と高額なため、余裕の無い者は訪れない。
差し迫った必要が無い限り、一般で利用する者はいないようだ。
『大雑把ですが』と言いながら、マダムの説明は細かかった。おそらくはアンリに首を締められた仕返しに、ことさら詳しく戸籍についての詳細を語っているのだろう。
うんざりするアンリだが、自覚があるのか大人しく耳を傾けていた。
ユーリカは、語られる知識にわくわくと目を輝かせている。
貴族の令嬢には余計な知識として、教えてもらえなかった政の仕組みに、いたく興味を持った様子だ。
淑女は礼儀作法とダンスの他に、貞淑であれば良い。親や夫に従順であるのが最上と、専属教師に教えられた。貴族間の駆け引きは男の裁量で、女の勝敗は才覚のある侍従同士の駆け引きだ。醜い争いなど、淑女に似合わないと言われて育った。
アンリに手を引かれるがまま歩いて、ふっと思考の渦から帰ったユーリカは、雑踏の中で目を見開いた。
目線を上げた前方の広場で一番緑の多い一角に、暖かな色合いの建物が見えてきた。
周りのくすんだ石造りの建物に比べ、柔らかな佇まいだ。
角の取れた石積みの階段を登ると、開け放たれた扉から正面の案内板が見えた。
子供の背丈で見上げれば、反り返るほど大きなものだ。
「精霊鑑定の窓口で、いいんだな? 」
こっそり肩のマダムに確認して、アンリは右側のカウンターに添って歩き出す。
『精霊鑑定の係員に、シルベスタ領の北西にある港町、ドッペで生まれた兄妹だと言って下さい。去年の津波で養い親を失って、王都に来たのだと。養い親は、漁夫頭のゴウヤです。あぁ。言い忘れましたが、精霊は誓約主の言いなりです。官吏の質が落ちているそうですので、充分にご注意を』
マダムに小さく舌打ちを返して、アンリの顔が引き締まった。
長いカウンターの端に、精霊鑑定登録窓口と書かれ札が、天井から吊るされている。
今は対応する窓口に、受付はいない。
「嘘がばれたら、やばいでしょ」
肩のマダムに口を寄せて、アンリは小声で言い返す。
『下位精霊が、わたくしに逆らうとでも? 何か、問題がございまして? 』
事も無げに言うマダムを呆れて見つめてから、再びアンリはユーリカの手を引いた。
「…はぁ、精霊って、契約主の言いなりだってその口で言ったでしょ? ほんとにもぅ、無事に終わらせて帰りたいよ」
カウンターに置かれたベルを二度叩き、周りを見渡す。
「ホテルのロビーかよ」
意味不明の呟きに、首をかしげるユーリカ。
掘り起こした曖昧な記憶に引っ掛かるも、理解不能だ。
「悪いユーリ、なんでもない」
困った顔で見返すアンリに、横合いから声が掛かった。
「お待たせ …呼んだのは、あんたなの? 」
子供ふたりを値踏みした係員は、付き添いの大人がいないかどうか、アンリたちの後ろへ視線を彷徨わせた。
「俺たち兄妹だけど? 手続きしてくれないか」
どうしてか盛大にため息を吐く係員に、アンリは小袋から出した銀貨を見せた。
「ちょ、本物? かして」
伸ばしてくる手を躱し、見せびらかしながらアンリは微笑んだ。
「父さんから、言われてんだ。相手が誰でも、簡単に金は渡しちゃいけないって」
もう一度、指に挟んだ銀貨二枚を見せつけて、手のひらに握り込む。
「精霊鑑定をふたり分、よろしく」
繕うことなく舌打ちし、嫌な顔を晒す係員の手元へ、アンリは銅貨を一枚転がした。
精霊鑑定は高額だ。
付き添う大人を探したのは、心付けを払える者が居るかどうかの確認だろう。
たぶんそうだろうと、アンリは推測する。
役所に勤める者が堂々と個人向けの金を催促するなんて、最低だが。。
「けど、潤滑剤は必要だってのも、父さんに教えられたよ」
この世界では、これが常識なのだと改めて肝に命ずる。
「分かってるじゃない。今日は、精霊も調子が良いみたい。精霊は気まぐれだから、うまくいくと良いけどね。ダメだったら日を改めてよね。じゃぁ、いらっしゃいませ。精霊鑑定登録ですね。では、おふたりとも、こちらの鑑定板に手のひらを当てて下さい」
胸ポケットに銅貨を落とし込み、係員は朗らかな声を上げながら、両手が乗りそうな大きさの石板をカウンターに置いた。
「ご兄妹なら、同時に鑑定します。こちらの質問要項を読みながら、お答えください。読めないなら、別料金がいりますが」
もう一枚銅貨を転がして、アンリは片眉を上げた。
「では、質問します」
嬉々として胸ポケットへ硬貨を入れた係員が、仕切り直しに軽く咳をする。
生誕した場所の地名。両親、もしくはそれに代わる者の名前など、概ねマダムの指示通り答える度、石板が青く発光した。
石板から繋がった別の台座に、係員は申告の内容を打ち込んでいく。どうやら金属加工の工具で、文字を打っているようだ。
無事に鑑定が終了した後、かなり意地悪な笑みで係員は種明かしをした。
手を置いた石板は、嘘をつくと赤く、真実なら青く発光するのだと。。
「あぁ、嘘発見器か」
「あんた、うまいこと言うね。精霊は騙せないもの。赤くならなくて幸いさ」
銅貨二枚をせしめて上機嫌な係員は、口が軽くなっている。
「あたしの精霊は優秀だからね」
欲で濁った笑みを浮かべて自慢する係員に、アンリは肩を竦める。
カウンターに銀貨二枚を並べて、受付嬢へ押しやった。
「なるほどね、綺麗なオネェサン」
「…なんか引っかかるけど。まぁいいわ」
銀貨と引き換えに二枚の金属タグを置いて、係員はそそくさと背中を向けた。
細い革ひもを通した楕円のタグは、親指くらいの大きさだ。
「首に掛けとこう。落としたら欲深なオネェサンが、もう一回料金をせびりそうだし」
ユーリカの首にタグを掛けながら声を上げるアンリの後ろで、係員が振り返る。
「聞こえてるんだけど? 」
「聞こえるかもしれないって、思いながら言ったよ。綺麗なオネェサン」
ユーリカの手を引きながら、アンリはもう片方の手を振る。
「このぉ、クソガキ」
肩越しに振り返ったアンリは、満面の笑みを浮かべた。
「褒めてくれてありがとう、綺麗なオネェサン。再発行は銅貨一枚だって、その書類に書いてあったよね。上辺だけ綺麗で、嘘つきなオネェサン」
目を見開いて黙り込む係員から、アンリは素早く離れる。
役所の玄関まで来て、ユーリカは口を開いた。
「ねぇ、アンリ。文字が読めるなら、どうしてお金を渡したの? 」
心底不思議そうなユーリカに、アンリは上等の笑顔を見せた。
「あのオネェサンは、精霊使いだ。心付けを渡さない相手には、精霊に答えるなって命令だってできる。そんな命令を無視して精霊がマダムに従ったら、たぶん難癖をつけてくると、俺は思ったわけだ。銅貨二枚で動いてくれたんだから、良しとしよう。騒がれるよりは、さっさと身分証を貰いたかったしな」
「おぉっ」と感心するユーリカに、アンリは腹の底から楽しそうに笑った。
『確かに、阿漕な真似をする人族でございました。ささ、早く参りましょう。旅には馬車と馬が必要でございます』
どことなく面白くなさそうなマダムが、ふたりの会話を遮った。
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