第6話  地下の廃棄離宮に 眠る者

『連結魔法陣? いいぇ、魔法陣なるものは存在致しません。オドとなる核を持っていた民は魔法を使いましたが、精霊陣は操れませんでした。これは、王都を守る防御精霊陣です。かの宮廷魔術師が古の存在を縛り、数多の精霊を使役するために造った精霊陣です。精霊にとっては、迷惑この上無い代物です。王国に従属し、古の存在を裏切って、構築した王都の防御結界ですが、わたくしたちにとっては、街への扉を開ける大切な転移の鍵でもあります』

「転移の鍵? 」

 アンリの呟きに答えて、マダムは淡々と説明する。

『精霊陣の結界内に入れるのは、特別な核を体内に持つあなた方だけなのです。御足労をおかけ致しますが、あの中心にある結晶を手に入れて頂きたいのです。あれこそ出入り口への鍵です。あ、なるべく陣の光核は、踏まないようにお願い致します』

 初めてのお使いを指図するように、マダムは精霊陣の外から細かな指示を出す。光核とは、陣の呪文を構成する光の粒らしい。

 とんでもない事を聞かされた気がして、ユーリカは声を潜めた。

「でも、マダム。あれを取り外したら、王都の防御結界が停止するのではないですか? 」

 身分を剥奪されたとはいえ、ユーリカには貴族としての意識がある。

 魔獣や敵国の侵略などを思えば、結界の消滅は許容できない。

『国の基となる公爵家を、王家は王都から排除致しました。国外に追放したり、処刑したわけではありませんが、古の誓約を破る行為です。元々この防御結界を維持する代りに、公爵家の血筋を守ると誓約したのですから。公爵家を王都から追放した時点で、古の誓約は破棄されました。ならばこの結界を、公爵家の下に移動させるのは当然です』

 凄く頭が痛いと、ユーリカは難しい顔をする。

 アンリは意味が分からないと、あくびを噛み殺していた。

 子供の身体に、ここまでの道程は随分とキツい。疲れも溜まっている。

 かたやユーリカは、一族の血筋がどうとか、聞いた覚えがない。

『防御精霊陣から核を取り出したとしても、後数十年は勝手に発動しています。まぁ年々と威力は落ちますが、その間に自分たちで対処すれば宜しいのです。血筋を蔑ろにしたあれらなど、気にする必要はございません』

 あれらとは、王家の事だろうか。

 きっぱり言い切るマダムに、思うところはあるふたりだが、王都から追放された家族の安否が気にかかる。

「色々と複雑ですが、分かりました。 アンリも協力してくれますか? 」

 輝き脈動している精霊陣は人の鼓動に似ていて、その上を歩くには絞り出すような勇気がいった。

「OK。 いいよ、あんたが俺の主人だ」

 何のてらいもなく言い切るアンリに、ユーリカは言いようのない罪悪感に襲われる。

「…できれば、友達で。わたくしにとっては、兄妹に等しいかと思っています」

 主従関係よりも、近しい間柄でいたい。

 ユーリカに残っている記憶の残滓からは、アンリの穏やかさが読み取れた。

「あー、俺が兄貴ね。了解、ユーリ。よろしく」

「はい。アンリ、よろしくお願いします」

 何とは無しに手を繋いだふたりは、陣の模様を跨いで中央に進む。

 模様は複雑だが、器用にバランスを取って越えてゆく。

 近づくにつれ、中心の赤い結晶が異様に大きいと気がついた。

 足元に神経を配って辿り着いた核は、ひと抱えもありそうな赤い楕円型だった。

「無理だと思うけど、ちょっと持ち上げてみようか? 」

 到底子供の力では動きそうにない大きさだが、何か行動しなければ、マダムは納得しないだろう。

「ユーリ。せぇので、持ち上げてみよう。  せぇの!」

 ふたりが同時に手を着いた瞬間、結晶を取り巻く精霊陣が空中に飛散した。続いて中心の結晶も解けるように霧散して、三本の輝く竜巻に変化する。

 空中で舞い踊るそれが、見る間に収縮し、瞬時に三つの珠に凝縮した。

「ふぇ? 」

「あぁ? 」

 奇怪な悲鳴を上げ、落ちてくる珠に掌を伸ばしたアンリは、ふたつの鍵と手の平くらいの宝石を受け止めた。

「え、なに! 」

 クローバー型の取っ手が付いた鍵は黄金色で、どこにでもあるような形だ。手の平大の宝珠は、漆黒に赤が沈んだ艶やかな石だった。

「ほんっとに、鍵だったのかよっ」

「えぇ、鍵ですね…」

 緊張した割に危険な場面もなく、とても円滑に事は運んでいる。

「いいのか? ほんと、こんなので、いいのか? 」

 納得しがたいアンリを引っ張って、ユーリカは光を失った精霊陣の縁まで帰り着いた。

 音を立てて神経を削られた気がすると、ユーリカは内心で呟く。

『上出来です、ふたりとも。この転移の鍵があれば、簡単に距離を縮められます。さぁ、失くさないように、首からかけて下さい』

 マダムが空間から出してきた鎖に鍵を通し、ふたりは首にかけた。

 楕円の結晶は、マダムが手元の空間へ収納する。

 一段落ついたところで互いを確認し、ふたりはマダムに視線を向けた。

「んで? 街はどっちだ? 」

 どうやって街に行くのか、気持ちは次に向いていた。

『もちろん、ここの幽閉塔に登ります』

「まだ登るのかっ! 」

 ユーリカと同じ気持ちを、アンリが叫んだ。

 

*****

 そこは、まるで双子の塔。

 違うのは、生物の欠片もない石造りの場所だった事。

 何も無い階層は、虫の抜け殻に似て不気味だった。

 最上階の居間もがらんどうで、物哀しい事この上ない。

 カーテンもない両開きの硝子扉の取っ手には、どちらも鍵穴が空いていた。

 硝子を透かした向こうに、廃墟同然の王城が見える。

 ここまでのあれこれを思い出して、ふたり同時にため息を落とした。

 張り出したバルコニーの床も、朽ちていそうな状態だ。

「ここから出て、また歩くんだよな」

 踏破した距離を思い、疲れ果てたふたりの目は、すでに虚ろだった。

『街へ出ましょう。王都の東区に道を繋いでいます。さぁ、アンリ。右の扉の鍵を、開けてください』

 言われるがまま、アンリは機械的に鍵を差し込んで回す。

『決して、飛び出さないで下さいね。危険は回避致しませんと』

 言われた意味が分からず、しきりに首を傾げながら露台へ踏み出した。

「… は? 」

 瞬きすれば、袋小路の行き止まりを背にして、ふたりは狭い路地に立っていた。

 少し前方には、横切る大通りが垣間見え、大勢の人が行き交っている。

「王都 の街なのか? 」

 随分と慎重に、アンリは言葉を紡ぐ。

 ついでのようにユーリカを引き寄せて、背に庇った。

 ユーリカもアンリの服の裾を掴んで、そっと前を覗き込む。

『王都の東地区。一般市民の商業区です。日用品や安い食料品の店がございます』

 足元にいたマダムは、軽々とアンリの肩に跳び乗った。

『わたくしたちが眠っている間に、精霊が調べてくれましたの』

 素早くマダムを掴んだアンリは、不機嫌この上ない顔で舌打ちをした。

「いつもいつも説明が足りないんだよ。て言うか、きちんと先に説明しろやっ。一から十まで、きっちりな! 」

 若干握力が強かったようで、じたばたしていたマダムが、くたりとなる。

「たいへんアンリ、マダムが変 」

「あ? やべぇ」

 慌てて手を離すアンリと、落下寸前のマダムを抱き取るユーリカ。

 咳き込んだマダムは、逆毛立ってアンリを威嚇した。

 本当の子猫みたいだと思いながら、吹き出すのを堪えてアンリは謝った。

 ツンと顎を反らす仕草も、猫の姿では愛らしい。

『この転移の鍵は行きたい場所を指定して、鍵を回します。ただし、行ったことのない場所に、転移の道はつながりません。帰りは塔の居間を指定し、どの扉でも良いので鍵を回すだけですが、人目に付くと騒ぎになりますので、ご注意のほどをお願い致します』

 多少棘のあるマダムを、ユーリカは宥めるように撫でた。

 毛並みの滑らかさが気持ち良いのか、思わず頬摺りをしている。

 アンリは、何かが引っかかって首を傾げた。

「出てきた塔の扉って、両方に鍵穴があったよな」

 地下幽閉塔のバルコニーの硝子扉には、左右とも鍵穴があった。

『左の鍵穴は、塔と塔を繋ぐ扉ですの。わたくしたちの幽閉塔の硝子扉にも、鍵穴はふたつございましてよ。そんなことより、時間も余りございません。急いで身分証を作りに参りましょう』

 行ったことのない場所には、繋がらない。マダムはそう言った。

 王都であれば、ここに道が繋がっている。

 過去のどの時点かはわからないが、マダムは王都の街へ出ていたのかと疑問が湧いた。

 目的の役所は、貴族街への通用門を囲う広場に面している。

 通称、中央門広場と呼ばれる露店広場だ。

 各業種のギルドは、広場に沿って点在していた。

 露店広場では、毎日のように市が立つ。

 露天商のみで構成された市は、有事の際に撤去し、衛兵軍が陣を張る場所らしい。

 大通りを役所に向かって歩きながら、マダムは大まかな説明を始めた。

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