第5話 塔の地下は 遺跡?
『どうやら、一年ほど経過しておりますね』
子猫ブランティエの思念に、ユーリカは息を呑んだ。
「わたくしの家族は どうなりました? 」
貴族令嬢らしからぬ感情的な物言いに気づいて、表情を歪める。
気持ちを抑えられない様子に、アンリの表情まで歪んでいた。
『北の辺境領に、降格のうえ領地替えになったかと思われます。精霊は声を記録できませんので、詳しい情報は街へ出てからに致しましょう。まずは正規の方法で、身分証を手に入れる事が先決です。後は馬車と馬を買いに、公爵家と縁のある商人を訪ねましょう。その商人が情報を持っているようですので、アンリ、上手に聞き出して下さいませ』
街へ出ると聞いて、アンリが小さくガッツポーズをする傍らで、ユーリカは呆気にとられていた。
「ここから街へ、出られるのですか? 」
幽閉塔から出た罪人が、街へ入るなどありえない。
『最初に申し上げました。 ここは幽閉塔であって、幽閉塔ではございませんと』
疑問符を浮かべるふたりに、マダム・ブランティエも小首を傾げる。
『まぁ、良いでしょう。外出の準備を整えて、一からご案内致します。それに、わたくしのことはマダム と、お呼びください』
蜂の巣を突ついたような騒ぎで、飛び回る蜂鳥… 精霊たち。
『お出かけですわ』
『お外ですのね』
『たいへん、帽子と靴とポーチを用意しなくちゃ』
『ハンカチに手鏡も用意しましょ』
『ハンカチ? 手鏡? 』
『お出かけだもの。マダム・ブランティエのチョーカーも、忘れないで』
いつの間にか飛び出して行った精霊たちが、ユーリカとアンリの荷物を運んで来た。
ユーリカには黄色いワンピースと同色のリボンが付いた帽子に、足首までの白い皮靴。
靴と合わせた肩掛けポーチには、柔らかなハンカチと木の手鏡が入っていた。
アンリには、先の丸いショートブーツに、鎖で繋いだウエストバックが用意される。
丈の短いフード付きの生成りのローブはお揃いだ。
色も素材も、初秋の装いだった。
厚みのある綿布の室内履きから、しっかりした革靴に履き替える。
子猫ブランティエの首には、青い宝石のチョーカーが光っていた。
皮の小袋ふたつを受け取ったアンリは、貨幣価値を聞いて硬直した。
ひとつには金貨と銀貨が、もうひとつには、白金貨が三枚入っている。
「をぃ、俺に四百万も預けるか? 」
『大きな買い物をしますので、白金貨三枚が入った袋と、旅の雑貨を買う代金を用意致しました。当分の間、お金はアンリが管理してください。基本的にユーリカは、自分で買い物をした事が御座いませんので』
ウエストバックに小袋を仕舞いながら、「お嬢様だぁ」とアンリが呟いた。
貴族は、現金で買い物をしない。
御用達商人が屋敷に訪れ、商品を選ぶ。
当たり前の事に気分を害する筈もなく、ユーリカは外出に心を躍らせた。
ユーリカにとっては、馬車のカーテンの隙間から、こっそり眺めた街だ。
アンリは、初めて訪れる異世界の街。
街の中はどんな風になっているのかと、わくわくしだした。
どうやって身分証を手に入れるのだろうと、疑問も多い。
『ユーリ、これからに備えて、平民のやり方を覚えてゆきましょう。では、参りますよ。付いてきてください』
子猫ブランティエ… マダムを先頭に、ガラスの螺旋階段を降りて行く。
小麦の階層を過ぎ、一番長い一階までの階段で、回りすぎて眩暈を覚え、初めて地下へと続く階段に足を掛ける。
再び延々と降りて辿り着いた地下空間は、巨大な銀河で満たされていた。
床も天井も、光を撒いたように発光している。
よく見れば、星を纏った石柱が乱立して、空間に紛れていた。
底知れぬ天界の星空に、呑み込まれそうな畏怖を感じる。
『そうそう、廃棄離宮の幽閉塔には、地下しか居住空間が残っていません。地下一階の迷宮が、罪人の居場所です。まぁ今は、だれも居ませんが』
「マダム、それってこの階なのか? 」
嫌な予感に、アンリは顔をしかめる。
『いいえ、この場所とは違います。それは廃棄離宮の、幽閉塔の地下です』
ここも廃棄離宮の幽閉塔ではないのかと、ふたりは思う。
「じゃあ、ここは何処なんだ? 」
足を止めたマダムが、天井に目を彷徨わせた。
何かあるのかと、アンリとユーリカも星空のような天井に目を向ける。
巨大なひとつの空間は、規則的に配置された銀河のようだった。
「プラネタリウムみたいだよなぁ。 なんとなく、魔法陣っぽい みたいな? 」
アンリは、時々聞きなれない言葉を発する。
ユーリカに残る微かな残滓は、見慣れない星空を連想させた。
『確か、次元? いえ、空間が違うのです。重なってはいますが、空間が違う。ここを構築した裏切り者の精霊術師が、そう言っていました。この場所ができてから召喚されたわたくしでは、充分に説明致しかねます』
再び歩き出したマダムに「何で見上げた? ねぇ、意味ねぇの? 」とアンリが零す。
小首を傾げるユーリカの手を引き、脱力したアンリはマダムの後を追った。
しばらく行った先に、白く細い柱で囲まれた地下への階段があった。
『では、この国の基となった古代の遺跡へ、ご案内致します』
一段づつ飛び降りるマダムに癒されながら、星が煌めく螺旋階段を降りる。
気がついた時には、石壁が金属壁に変化していた。
指でなぞると表面の埃が剥がれて、硬質な面に指先が映る。
「この世界の文明って、 近代的? 未来的? どっちだろ」
ブツブツ言い始めたアンリを、今度はユーリカが引っ張った。
『時代考証は、後になさって下さい。置いて行きますよ』
降り切った地下二階は薄暗い小ホールで、うっすらと埃にまみれていたが、何も無い空間は、昔の物とは思えない雰囲気がした。それでも、正面にひとつだけある扉は朽ち果てて、見渡せる範囲の向こう側は、不自然に散乱している。
危機感のないマダムについて踏み出した先は、どこまで続いているのか分からないほどの空間だった。
瓦礫が積み上がり、小高くなっているここからの眺めに、ユーリカは見覚えがある。
「王都 ? まさか、地上と同じ街並みなの? 」
この眺めは、王城のバルコニーから見た夜景だ。
夜空に瞬く星の形も、覚えている。
真正面の丘には、黒々とした廃棄離宮の建物がある。
『ここは、失われた王国の遺跡。あれに見える離宮の中に、地上への道があります。街へ繋がる扉の鍵も。 さぁ、参りましょう』
「地上へって…ここは、地下なんだよな」
夜空のように星がある。地下とは思えない場所に、驚きが湧いた。
崩れ落ちて重なった瓦礫の上を、慎重に降りて行く。
マダムは軽々と、アンリは慣れた様子で。ユーリカはアンリの手を借りて、恐る恐る急な坂を下る。
降り立った先の城門は腐り落ち、城壁も所々が無くなって、深い空堀に崩れた石垣の山ができていた。それでも街へ続く石畳が綺麗に残っていて、胸を撫で下ろす。
『馬車など、洒落たものはありません。しっかりと、歩いて下さいな』
すでに体力の大半を使い果たしていたふたりは、マダムの決定に仲良く肩を落とした。
*****
「綺麗な夜空だなぁ」
「… ほんとうに きれい」
月のない満天の星空に、ふたりの棒読みが吸い込まれてゆく。
『おふたりとも、後少しで到着です。現実に お戻り下さい。 置いて行きますよ』
容赦ないマダムに、ため息を吐き出すアンリと、ため息を零すユーリカ。
騙し騙し歩いてきた遺跡内には、生き物の気配はなかった。
動物も植物も、いっさい無い。
はるかな昔にあったであろう人の営み。その微かな痕跡以外は、なにも。
瓦礫の向こうに、剥き出しの階段が見えた。
石畳の続きのように地下へ続く階段は、闇を充している。
『ここを下りれば、終点です。もう少し、頑張ってください』
マダムの尻尾が円を描く。光の線が走りながら丸まって、灯の球が空中で静止した。
『こちらです』
階段を下りるごとに闇が深まり、比例して灯が光度を増す。
幽閉塔の地下へ降ったくらい先へ進めば、床いっぱいに輝く模様がある場所へ出た。
「…連結魔法陣? なに、これ。凄く怖いんですけど? やばい、ほんとヤバいって」
緊張して立ち止まったマダムの後ろで、腰が引けるほど怯えるアンリ。
その横でユーリカも、圧倒的な気配の威圧に、固まっていた。
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