第4話 これからの ご相談です
『ひとつ 確かめたい事が』
掌ほどの発光体から、マダム・ブランティエの思念が湧き上がる。
ふたつの輝く繭を前にして、大小の発光体が浮遊していた。
残滓である少年の姿は、ひとつの繭に吸い込まれて消えた。
繭と言っても、幼児に毛が生えたくらいの大きさだったが。。
『はぃ? 何でしょう』
幼児並みの発光体になっているユーリカは、自分に纏い付く奇妙な感覚に戸惑いながら返事を返す。
声帯を使わない言葉は、微妙に発しにくかった。
『あの少年に、あなたの中に残る前世の記憶を、分けて差し上げても、宜しいでしょうか』
マダム・ブランティエの問いに、ユーリカは自分であって自分でない記憶は必要ないと思った。まして男性だった時の記憶は、理解しがたい気がする。
『構いません。差し上げてください。本来なら、彼のものでしょう? 』
この先、共に過ごすなら、少しでも互いが平穏にいられるようにしたかった。
『分かりました。それと、お許し頂けるなら、もうひとつお願いが』
何だろうと小首を傾げたつもりのユーリカは、自分も発光体だと思い出して、了承するように上下してみた。
『ありがとうございます。出来ますれば、わたくしにも少しだけ、肉体を分けて頂けないかと思いまして。わたくしは数百年も前に、役目を終えております。ならばもう、自由になっても良いのではないかと思うのです。大変に身勝手で不躾なお願いでございますが、もしもお許し頂けますのなら、わたくしの望みを叶えては頂けないでしょうか』
これから世話になるマダム・ブランティエの願いを、ユーリカは断れなかった。
『どうぞ、お申し出のままに。わたくしは気にいたしませんので』
小刻みに跳ねるマダム・ブランティエから、わくわくした感情が発散する。
少年の入った繭とは別の繭から、手の平ほどの繭が分離した。
『ありがとうございます、ユーリカ。では、貴方にも暫しの休息を』
ユーリカの発光体が、僅かに小さくなった繭に引き込まれて消えた。
それを見送った後、マダム・ブランティエは、空間から楕円形の平たい結晶をふたつ取り出す。ひとつは淡い紅色で、もうひとつは一回り大きな紺碧だ。
『姫さま、共に参りましょう。この子たちと共に、王都を出るのですよ。遠くまで参りましょうね。もう、自由になりましょうね。オリジンも共に行きましょう。もう哀しまないで。永い時が過ぎたの。終わったのよ。肉体さえあれば、ここに縛られる事も無くなるのです。だから、自由になりましょうね』
涼やかな音と共に結晶が震える。
薄紅の結晶はユーリカの繭に。紺碧の結晶は少年の繭に。輝きを増して、それぞれ吸い込まれていった。
『わたくしも、この先に備えて休むとしましょう。精霊たち、お世話をお願いしますよ。ユーリカを嵌めた者たちの監視は、決して手を抜かないように。どんなに小さな事も、どれほど末端にいる者も、すべて見逃してはなりません』
マダム・ブランティエの発光体が一番小さい繭に消え、居間の明かりが落ちた。
暫くは静かな時が流れ、やがて硝子扉から朝日が差し込んでくる。
幾筋も差し込む光のなかに輝きが生まれ、六色の精霊が姿を現した。
掌に乗りそうな、鳥の姿をした者たちだ。
『お世話ね』
『そう、お世話』
『丁寧にお世話しなくちゃ』
『先で困らないように、キチンと監視もしましょう』
『困らないように? 』
『マダム・ブランティエのお願いだもの』
『そうよね』と、精霊たちは一斉に思念を揃える。
それぞれが持てる最高のお世話を、これから生まれ出るふたりに施す為に。
マダム・ブランティエの言いつけを守って、水も漏らさず監視する為に。
*****
心地よい微睡みが、賑やかなおしゃべりで払われてゆく。
何だか楽しげに弾けて、少年の耳元をくすぐった。
『ねぇ、起きて。お寝坊さん』
何度も促され、唐突に目蓋が開いた。
固まった身体と思考が、これは何だろうかと思う。
天蓋付きの寝台は最上の寝心地で、身体を包む掛布も滑らかだ。
周りを覆う紗の垂れ幕越しに、ぼんやりと明るい室内も見える。
さらに見えるものは想像の域を越えて、少年の上を飛び回っていた。
『あ、起きた』
『起きたわ! 』
『ねぇ、起きたの? 』
『起きた、起きた』と騒がしいものたちに一層身体を硬くして、少年は後退った。
クルクル飛び回り、急に止まっては空中で笑い転げる。その様が蜂鳥のようだ。
『朝のお風呂よ』
『そうね、お風呂』
『綺麗にしなきゃ』
『男の子ですもの、決まりよ』
『お風呂なの? 』
『早く行こ? ん 少年? 』
蜂鳥の呼びかけに反応して、ひとつの名前が少年の意識の底から浮かび上がる。
「おれ、あんり。 そうだよ。おれは、広長安里だ」
薄くて曖昧ながらも、自分の事が分かる。
『あんり? 』
『アンリなのね』
『思い出したの。さ、お風呂』
『ねぇ、アンリって名前なの? 』
『でも先にお風呂よ』
『ん、早く行こ』
目まぐるしくて、何も聞けない状態で、アンリは浴室まで追い立てられた。
白一色の洗面台と浴槽。大きな丸窓からは、抜けるような青空が見える。
浴室の鏡に映った自分の姿は、六、七歳の面影をしていた。
肩まで伸びた黒髪と濃茶の瞳。随分と生意気そうな表情をした子供だ。
自分には似合わないバラと泡に満たされた浴槽で、身体を擦る。
香りと弾ける泡の感触が、心地良かった。
(ここは、マダム・ブランティエの幽閉塔だったな。この新しい身体が俺なのか)
手早く済ませて、バラの香りがするシャワーを浴びる。
(さっきの部屋は寝室かな)
慌ただしく浴室に向かったが、天蓋付きの寝台と小振りの机があったのは覚えている。
蜂鳥たちの用意してくれた服は、柔らかな白綿のカッターシャツと、サスペンダー付きの紺の半ズボンだ。着替えて廊下に出るなり、少し年下の少女が壁にもたれて立っているのに気がついた。
腰までありそうな銀髪が綺麗で、紺碧の瞳が微笑を湛えている。
切り揃えた前髪の下で、僅かばかり不安を乗せた少女の唇が震えた。
「おはようユーリカ、起きてたんだ」
どうにも決まりが悪いと、お互いに視線を逸らす。
「えぇ、さっき目覚めました」
「俺も、さっき起こされたところ」
賑やかに集まってきた蜂鳥に急かされて、ふたりは階段を巡る廊下に行き着いた。あの日のように、居間の扉は開いている。
一歩踏み込んで反射的に身体を硬くしたふたりに、テーブルの一角で寛いでいた白い子猫が顔を向けた。
『大丈夫ですよ、精霊陣は発動致しません。さぁ、席に着いてくださいな』
ほんのり白光を纏う子猫は、間違いなくマダム・ブランティエだ。
『軽い食事とお茶を頂きながら、眠っていたあいだの出来事を覗いてみましょう』
初めての日のように席に着いたふたりは、改めて挨拶を交わした。
「目が覚めたら、少し思い出したんだ。俺は広長安里。アンリって呼んでくれ。前世の事は曖昧だけど、二十歳にはなってなかった筈だ。あー、いまは七才くらい? 」
現実に感情が追いつかない様子で、アンリは落ち着かなげに頬を掻いた。
「わたくしはユーリカ。そう、ユーリと呼んで頂いても構いません」
ふたりはテーブルの料理を見つめ、不安げにマダム・ブランディエへ視線を向ける。
『これは精霊の糧ではなくて、物質界の食べ物です。さぁ、気兼ねなく召し上がれ。わたくしも、頂きますから』
蜂鳥が取り分けた皿の料理を、マダム・ブランティエは口にした。
「猫 だよな」
「可愛い子猫 ですね」
頷くユーリカと見交わして、アンリはスプーンを手にした。
具沢山の野菜スープとふんわり卵を挟んだサンドイッチ、新鮮な果汁で朝食を終える。
手早く蜂鳥たちが食器を片付け、掌大の丸い結晶をテーブルの中央に置いた。
「マダム・ブランティエ。この蜂鳥たちは、妖精ですか? 」
ユーリカの問いに、顔を洗っていた子猫が首を傾げる。
『そう、妖精と言うよりは、六属性の上位精霊です。この塔を管理してくれています』
思い思いに飛び回わる精霊を目で追って、アンリが楽しそうに笑った。
「六属性って、もしかして、この世界には魔法があるの? 」
魔法? と、子猫ブランティエが考えに浸る。
暫くして上げた顔は、微笑んでいるように見えた。
『アンリの言う魔法は、特別な因子を受け継いだ一族の者にしか扱えません。この世界を満たす始原の素、マナと呼ばれる精霊力を取り込んで核を成し、オドを操る者たちです。それとは別に核を持っていないにも関わらず、周りにいる下位精霊の力を取り込み、精霊術を魔術と偽って操る人族ならば、宮廷に巣食っておりますよ。精霊術を魔術と偽って、国に仕える宮廷魔術師と言う馬鹿者でございますね。人族において稀な者たちですが…本当に愚かな事でございます。彼らは精霊の核に似通った親和性の高い肉体を持ち、オドを溜める事なく下位精霊からマナを吸収します。他には、独自の宗教に基づいて生活している人族もおりますね。主に神殿の者たちですが、これも愚かなことに、精霊の力を神の奇跡と称しております。なんとも、嘆かわしい』
不穏な発言もあった気はするが、玩具を見つけた子供のように、アンリの顔が輝いた。
『残念ながら人族の魔術師は希少です。大抵の者は、精霊術さえ使えませんよ』
「……おれは? 」
『……いまはまだ、何とも言い難く』
期待していたアンリの顔が固まって、虚ろになった。
子猫ブランティエが尻尾で結晶の表面を撫でると、空中に様々な映像が切り替わる。
早送りのコマのように、ユーリカの投獄やフェンネル公爵一家の拘束、辺境領への追放など、時間経過に沿って景色が移り変わった。
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