第3話 塔の番人 マダム・ブランティエ

 扉の向こうには、落ち着いた居間が待っていた。

 正面の両開きの硝子戸は、室内を映して闇に沈んでいる。

 涼しげなレースのカーテンは小振りの薔薇模様が透けて、窓の両脇で垂れていた。

 磨き上げたテーブルに、美しい曲線を描いた椅子が二脚。

 シンプルなポットと可愛らしいカップの横に、果物を乗せたカナッペの皿が並ぶ。

 なにげなく一歩踏み込んだ床で、突然足元に光る陣が浮かんだ。

「えっ! 」[なに!]

 積層する光陣が足元から天井に抜けると、ユーリカの身体がふたつに分かれ、弾き出される。

「あなたは、だれ? 」

「あんた 誰だよ! 」

 たたらを踏んで相対したふたりが、同時に声をあげた。

 驚愕するふたりをよそに、色の抜けたユーリカが、光陣の上で石化していた。

『どうぞ、お茶を召し上がれ。ふたりの招かれ人』

 テーブルの上で純白に発光するものが、フルーティーな香りを振り撒いて明滅した。

『わたくしは マダム・ブランティエ。お見知り置きを』

 睨み合っていたふたりは、石化したユーリカに視線を送り、また発光体に目をやり、再び睨み合った。

 暫くして、黒髪黒目の女装少年が先に動く。

「お茶、もらうよ」

 肩までの髪を掻き上げ、流し目でユーリカを睨みつける仕草をする。

 服装はユーリカと同じ物、やはり同じ場所が破けていた。

 中性的な顔立ちの少年に、不思議なくらい正装のドレスが似合う。

「わたくしも、いただきますわ」

 対面する席に着き、自分でお茶を注いだのは黒髪の女装少年。

 暫くして侍女の不在に気づいたのは、長い銀髪に紺碧の瞳を持つユーリカだった。

 気を取り直し、優雅な所作で茶を煎れ、香りを楽しんで、程よい苦味を味わう。

 昨夜から何も口にしていないふたりは、片や忙しなく、片や綺麗に食事を始めた。

 尽きることのないお茶を味わい、完食し終えてやっと、ふたりは発光体のマダム・ブランティエに向き合った。

「一体、なんだよ。これっておかしいよな。説明してくれ」

 光陣の上で石化したユーリカを指差して、少年が声を上げた。

 もちろん質問の相手は、マダム・ブランティエ。発光体だ。

『彼女はユーリカ・フェンネル。公爵家令嬢です。そして、あなた方の器でもある。ある程度の治癒はかけましたが、あの肉体は酷く損傷しています。このまま放置すれば、死に至る状態と判断致しました。なので、こちらにお招きした次第です』

 ふよふよと微かに上下しながら、頭の中に答えが返る。

『ここに招かれた者の魂は、本来に近い形をとります。あなた方のように、ふたつの意識を持たれる方とは初めて出会いましたが。 興味深い』

 告げられた内容に、ふたりは目を見開いた。

「魂が、ものを食べるのか? 」

 もっともな少年の問いに、ユーリカも頷く。

『いまあなた方が召し上がったのは、精霊の糧。物質界のものではありません。いまのあなた方は、精霊に近い不確かな存在なのです。恐らく肉体を失えば、消滅するでしょう。現状をどう為さりたいのか、決断くださいませ』

 黒髪の少年に近づいたマダム・ブランティエが、小刻みに震える。

『それで、あなたの お名前は? ご自分の記憶は、御座いまして? 』

「はぁっ? ふざけんな。俺は!  俺 」

 言葉に詰まった少年の黒瞳が、恐怖を溜めてゆく。

「嘘だろ? 俺 名前を 思い 出せない? なんで あれ? あんまり 覚えてない」

 頭を抱える少年から、マダム・ブランティエが移動した。

『では、あなたは? 記憶はございまして? 』

 紺碧の瞳を揺らし、ユーリカは深く息を吸った。

「わたくしはユーリカ。ユーリカ・フェンネルです。あれは、わたくしの筈です」

 石化したユーリカの身体に、紺碧の視線を向ける。

「マダム・ブランティエ、あなたは何者ですか? それに、ここはどこですか? 」

 発光体と俯いた少年を交互に見ながら、ユーリカは言葉を紡ぐ。

 微かに純白の光が陰り、発光体に闇色が混ざった。

『わたくしは、現存する廃墟ではなく、ひとりの姫を守るために造られた、幽閉塔の番人です。不遇のお方を保護するため、建国の始めに召喚された存在。お役目が終わった時には、すでに忘れられていた存在です。それにここは、現存する廃棄離宮の幽閉塔ではありません。詳しい事を知りたいのなら、またあとで。それと、そこにいる者が誰なのか、あなたなら ご存知でしょう。ユーリカ・フェンネル』

 何を? と問いかけて、ユーリカは口を噤んだ。

 実際、己の中には答えがある。

 公爵令嬢として生きて来た記憶はもちろんの事、目の前でうろたえる少年の記憶も、曖昧ながら持っていた。

『この少年も、おそらくは貴方です。いえ、貴方の前世での記憶なのでしょう。本来ならば、泡沫のように消え去る筈の残滓ざんし、なぜ残っているのか分かりませんが、人の想いは奇跡を起こすもの。ならば、塔を預かる存在として、受け入れましょう』

「…残滓 言うな 」

 マダム・ブランティエの声なき声に、情けない口調で少年が抗議する。

『誠に残念ながら、わたくしには貴方が、そうとしか… 』

「容赦ねぇ! 折れるだろ、大事なモンがよぅ」

 拳で胸を叩いたあと、ため息を落として突っ伏す仕草が、ユーリカには演じているように感じられた。まるで、壊れる自我を必死で繋ぎ止めているかのように。

『けれど器はひとつ。貴方は今生のユーリカを押しのけて、女性として生きますの? 』

 伏したまま、ヒクリと肩が揺れた。

『幽閉されて、ここで生涯を終える覚悟は、ございまして? 』

 マダム・ブランティエの問いかけに身体を起こした少年は、真摯な眼差しを向けた。戸惑うような、どこか諦め切れない、か細い息を吐く。

「マジ酷ぇ。こんなでも俺は男だ。勘弁してくれよ。無理だから! 絶対に女になるのは無理! 乗っ取るのも嫌だ。 なんとかなんねぇの? 頼むからさぁ」

 困り果てた様子に、ユーリカも術がないのかと発光体に目をやる。

『…手段が無いわけでは。けれど、それを決めるのはユーリカ、貴方かと』

 弾かれたように顔を向ける少年に、ユーリカは面食らった。

 少年からは、茶化した気配は消えている。

「それは、どう言うことですか? 」

 テーブルの上を浮遊するマダム・ブランティエが、動きを止めた。

『その者に己を分け与え、条件を呑むならば、ふたりともを生かして差し上げましょう』

「分け与える? 条件とは? どう言う」

 含みをもたせたマダム・ブランティエに、思わずユーリカの背に震えが走る。

『言葉通りに、二等分すると申し上げている。もっと正確に申し上げるなら、同等くらいの年齢になるよう肉体そのものを分ると言っているのです。当然、実年齢も半分以下。特殊な核を体内に取り込みますので、出来上がるまでの練成時間も、かなり掛かるかと』

「時間」と言われ、拘束されたであろう家族を思った。

 ユーリカは今年のシーズンで、社交界デビューするはずだった。デビュタントは十五才と決まっており、綿密な準備のもと開催日を待つだけだったのだが。。

 たとえ冤罪でも、ユーリカが起こした騒動で、フェンネル家は罪を問われる。

 なんの対処もできなかった自分が、いきどおろしい。ただ、いまはもう、ここから出る事も、家族の情報を得る事もできない。

「そう。 いまは何の手立てもない。どれほど願っても、わたくしには何もできない」

 ならば自分と同等らしき者を生かしてあげても良いと、ユーリカには思えた。 

「わかりました。分けて下さい。 あなたも良いですね」

 縋るように見つめていた少年の顔が、歪んだ。 

「あ りがと」

 ふるふると上下するマダム・ブランティエが、石化したユーリカの前に移動する。

「あの、できれば、男の身体が欲しいです」

 切実な希望を、少年は躊躇いながら口にする。

『よろしい、叶えましょう。ただし、貴方はユーリカと魂を共にする者ですが、決して彼女と同じ者ではない。なぜなら、貴方の人生は既に終わっているからです。今生で、ユーリカの妨げとなるなら、生かしておく事はできません。我儘を言わず、こちらの指示には従うように』

 光の繭に包まれてゆくユーリカの身体が、ふたつに振れた。

『時が満ちたのでしょうか。これは  良い機会かもしれませんね』

 マダム・ブランティエの独り言が消えた居間に、ふたつの輝く繭と、大小ふたつの発光体が残った。

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